藤原学園の『年中夢求』日記

〜今日も顔晴るみんなへ〜

諸般の事情により、車を手放すことになった。同じタイプの車に乗り続けン十ン年。手となり足となり体となってくれた。

とっても寂しく残念だ。

どこかの空の下で再活躍することを期待してさようなら~。

ネタ切れ

ネタ切れ。

忙しくて、忘れてました。

忙しいという字は心(りっしんべん)を亡くすと書きます。心を亡くしてました。済みません。

上本町


今は一郎も次郎も三郎も四郎も何処に行ったかわかりませんが…。

ダムカードとは

 国土交通省と独立行政法人水資源機構の管理するダムでは、ダムのことをより知っていただこうと、平成19年より「ダムカード」を作成し、ダムを訪問した方に配布しています。
 カードの大きさや掲載する情報項目などは、全国で統一したものにしており、おもて面はダムの写真、うら面はダムの形式や貯水池の容量・ダムを建設したときの技術、といった基本的な情報からちょっとマニアックな情報までを凝縮して載せています。
 カードは、国土交通省と水資源機構の管理するダムのほか、一部の都道府県や発電事業者の管理するダムで作成し、ダムの管理事務所やその周辺施設で配布しています。

 国土交通省HPより

台風の番号と名前

 気象庁では毎年1月1日以後、最も早く発生した台風を第1号とし、以後台風の発生順に番号をつけています。なお、一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合は同じ番号を付けます。

 台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太平洋または南シナ海で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国などが提案した名前)を付けることになりました。

 平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は25.6個ですので、おおむね5年間で台風の名前が一巡することになります。

 なお、台風の名前は繰り返して使用されますが、大きな災害をもたらした台風などは、台風委員会加盟国からの要請を受けて、その名前を以後の台風に使用しないように変更することがあります。また、発達した熱帯低気圧が東経180度より東などの領域から北西太平洋または南シナ海の領域に移動して台風になった場合には、各領域を担当する気象機関によって既に付けられた名前を継続して使用します。このため、に記されない名前が付けられた台風もあります。

気象庁のHPより天気、ちがった転記しました。

ちなみに
18号は 62/140 ラオス Phanfone ファンフォン(動物)
19号は 63/140 マカオ Vongfong ヴォンフォン(すずめ蜂)
20号は 64/140 マレーシア Nuri ヌーリ(オウム)
です。


秋の声

ブログ忘れてました…。

前回は秋にふさわしくない内容でしたが、今回は秋の声ということで。

8月の立秋を過ぎ、夜になるともうコオロギなどの秋の虫が鳴き始めていました。

まだまだ暑い(今年は少しマシだったが)のに、季節は秋だなあ…。

でも今年はまだエンマコオロギの声を聞いていないなあと思い出しました。

今度の小豆島で聞けたらいいなと思っていましたが、台風ですね。

秋に思う?こと?

10月の実験学校の締め切りも近いので、再掲載しようとも思ったのですが、他の方々が秋らしいことを書いているので、見送りました。気になる方はこちらをご覧ください。

さて、本文?ですが、何にも考えずに書き始めていますので、内容は薄いと思います。

最近よく思うのは、私の前に立つな!です。立つというよりは前を横切ったりするなということです。
状況的にわざわざ?自転車で斜めに走ってきたり、あり得ない状況で前を横切ったり、電車のドア付近で降りもせずにいたり…。
あんまり秋にふさわしくなかったですね。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろお世話になりました。
本年もよろしくお願いします。

と、一通りのご挨拶を終わりまして、
あんまりおめでたくない人が元旦の担当です。
年末に骨折をしてしまい、治療中に元旦を迎えたので、今年の抱負はとかよくある質問には、やっぱり健康が第一ですねえとなってしまいますね。

みなさんの抱負は何ですか?

退院

本日、退院しました。

なぜ入院したかは先週のブログをご覧ください。

先週、入院し、次の日手術。今回は足の時と違い、伝達麻酔という方法で行われました。ということで、耳の横で先生方の話しやドリルを使う音、時にはカンカンとトンカチで釘のようなものを打つ音など、大変な手術だなあと人ごとのように聞きながら、何とか終了。3時間30分かかりました。

そして経過も特に問題なく今日退院となりました。これから約1ヶ月、ギプスでほぼ片手の生活です。

PCでは片手では苦労しますが、iPhoneでは片手でがんばれるのでブログは修飾無しであれば、出せます。

しばらくご迷惑をおかけします。

やってしまいました

小豆島で足を滑らせ骨折してから18年の年末、再びやってしまいました。
若江教室で棚の上のものをなおしているときにバランスを崩しイスから落ちてしまいました。起きようと手に力を入れるも動かない様子、パッと右手を見るとあり得ない方向に手があるではありませんか!
やっちゃた~この一番忙しい大変な時期に…
痛む手を抑えながら真也先生に電話をして済みませんをいい、救急車を呼び、病院へ。
そして今日大きな病院で診察。手術が必要とのこと。
いろいろな方に迷惑やご心配をおかけします。
ブログで書くようなことではありませんが、とりあえずご報告を。退院は早そうなので、見舞いはいりません。

美味しいものや見舞金なら…。コラ!

フラッシュモブ

最近、you tube を見ていて、いいなと思ったのをアップしておきます。

もうすぐ、年末。そして年が明けたら卒業シーズン。藤原学園でも毎年、卒業式を行っています。
今年度は2014年の3月20日(木)にあります。卒業式でこんなんがあったらおもしろいかな。

http://www.youtube.com/watch?v=flLr7t0pvdg


フラッシュモブと言います。一般人と思っていた人が次々と参加していく…。このようなダンスであったり、
演奏であったりといろいろあります。まだ出会ったことはありません。

情報化社会とは

 情報化社会とは、ハード(情報機器)よりもソフト(情報内容)が重視される世の中のことだ。ソフト重視の世の中では、何よりも一人ひとりの人間が個性的であることが求められる。個性的といっても、なにもすべての人々が奇妙な振る舞いをしたり、一芸に秀でなければならないという意味ではない。これまでの日本人のような均質で画一的な生き方をするのではなく、それぞれが個人として自分なりの考え方や生き方を持つということだ。
 ところが、情報源をマスメディアだけに頼っていると、みんなが似たような知識の断片を共有することになる。その結果、どの人も同じような物の見方や考え方をするようになってしまうわけだ。ワイドショーでXさんのコメントを聞いた人はXさんの意見、新聞でYさんの解説を読んだ人はYさんの意見を、それぞれ、さも自分の意見であるかのように語っているだけ。これではいくら「情報」を集めているつもりでも「個」を確立することができずソフト重視の情報化社会に逆行することになる。
 本来、情報は各個人が自分独自の考え方や生き方を形成するための素材となるべきものだ。オーダーメイドの洋服をつくるための生地に当たるのが情報だといえばいいだろう。そうなって初めて、情報化社会は個性にあふれたものになる。
 世の中にあふれている情報に流されずに自分らしい考え方や生き方をつくり上げるためには、いったい何をどうすればいいのかと、途方に暮れる人もいるだろう。でも、情報がメディアの中にあるものだという先入観さえ捨てれば、これはそんなに難しい話ではない。もともと情報というのは公的(パブリック)な場所にあるものではなく、一人ひとりの人間が持っている私的(パーソナル)なものだと思う。
 だいたい情報という言葉に含まれている「情」という文字は、無味乾燥な客観性を意味するものではないだろう。情熱、感情、情念といった言葉と同様、「情報」にも人間らしい主観的な判断や感覚が必要なのだ。これは、明治、大正期の代表的作家である森鴎外がドイツ語から翻訳した言葉らしい。さすがは鴎外、最初から情報の本質を見抜いていたに違いない。
 したがって、主観的な情報、一人の人間の個人的な価値観や経験などによる偏った見方や物の考え方を含む情報こそ、本物の情報だといえる。極論すればテレビのキャスターのコメントではなく、近所のおばさんの世間話の中に情報はあるのだ。なかには偏見に満ちているものもあるだろうし、独善的なものもあるだろう。でも、拒絶する必要はない。それも一つの見方として受け入れて、参考にしていけばいい。自分の生き方や考え方を作るための素材にすべきなのは、そういう生々しい情報なのだ。
 これらの「情報」を与えてくれるのは、人間しかいない。つまり、自分なりの情報ネットワークをつくるということだ。そのため情報化社会では、ビジネスライクな人脈ではなく、生活レベルでの深いつながりが重要になってくる。
 いろいろなタイプの友だちがいれば、それだけ物の見方や考え方は幅広くなる。自分とは正反対の意見を持っている友だちもいれば、意外な角度からの視点を与えてくれる友だちもいるだろう。かけ離れている存在だがらこそ、つきあっていて面白いということもある。そのネットワークはマスメディアとはまったく違う個人的なネットワークだから、そこから得た素材によってつくり上げた意見や発想は、間違いなく自分独自のものになる。それが自分の個性だ。そして、友だちの数が多ければ多いほど、そこからつくり上げられた個性は豊かなものになる。
〈横澤彪「大人のための友だちのつくり方」より〉

上本町 土曜理科コース 中学部コース 開校

上本町 土曜日理科コースに 中学部コース 開講します。 

4月7日から土曜日理科に「中学部コース」を開講します。

時間は今までの6年と同じ5:30~6:50です。

見学ご希望の方は、お問い合わせの上、お申し込みください。

上本町 2012年度 土曜日理科コース ご案内

上本町 2012年度 土曜日理科コース ご案内

小1 2:00~3:00
小2 2:00~3:20
小3 3:40~5:00
小4 3:40~5:00
小56 5:30~6:50
中学 5:30~6:50

 実施月日
第1クール 4/7、4/14、4/28
第2クール 5/12、5/26、6/2
第3クール 6/23、6/30、7/7
第4クール 9/1、9/8、9/29
第5クール 10/6、10/13、10/27
第6クール 11/10、11/24、12/1
第7クール 12/8、1/12、1/26
第8クール 2/2、2/9、2/16
第9クール 2/23、3/2、3/9

1クール(3回分)¥10,500-
1回毎¥4,000- です。

見学ご希望の方は、お問い合わせの上、お申し込みください。

宇宙天気予報

宇宙天気サービスというのがります。

宇宙の天気?具体的には、太陽風や黒点、フレア、地磁気じょう乱やプロトン現象、地磁気嵐の観測情報を提供してくれています。といわれてもあまりピンときませんが…。でも、けっこう地球に影響があります。

フレアの画像はダイナミックですし、オーロラの映像なんかはきれいです。一度見てみては。

http://www2.nict.go.jp/y/y223/sw_portal/sw_portal.html

(参考書や英会話本に載っている)笑う英会話

独特のイラストと参考書や英会話本に載っている英文と和文が載っている本です。

笑う英会話

英語の勉強中にこんな例文が出てきたら…

笑う1

笑う2

笑う3

笑う4

笑う5

ちなみにさすがにイラストは後づけです。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

実験学校に来ていて、今は大学生(東京大学)の子がfacebookで紹介していた文です。
少し長く、また、高校生向けですが、紹介します。(林)

(これより本文)
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

                                   立教新座中学・高等学校

                                   校長 渡辺憲司

モンドセレクション

モンドセレクション金賞!!!

この言葉があると、何か美味しそうだったり、高品質そうだったり、感じますね。

銅や銀でなく、金!1等賞!



しか~し、そもそもモンドセレクションってどんな賞?

「Wikipedia」からのコピーです。

出品者からモンドセレクション本部に送付された商品に対し、専門家や評論家などが審査を行う。ジャンルはビール・菓子・タバコ・美容などのカテゴリからさらに100以上のグループに分かれており、出品数もまちまちである。審査基準の詳細は非公表だが、「味覚」「衛生」「パッケージに記載されている成分などが正しいか」「原材料」等の項目だといわれている。各項目の点数を加算し総合得点によって各カテゴリごとに特別(最高)金賞、金賞、銀賞、銅賞が授与される。

100点満点の90点以上で特別(最高)金賞(グランドゴールドメダル)
80点以上で金賞(ゴールドメダル)
70点以上で銀賞(シルバーメダル)
60点以上で銅賞(ブロンズメダル)
3年・10年・25年連続して金賞以上を受賞すると、国際優秀品質賞(インターナショナルハイクオリティートロフィー)が別途授与される。
本認証は相対評価ではなく絶対評価を用いているため、定められた技術水準を満たした商品には全て認証が与えられる。特別金賞は2006年以降毎年50点以上の日本製品に与えられている。なお国際的にはほとんど無名である一方、日本国内で近年急激に知名度が上がったため審査対象品の5割が日本からの出品という状態にある。さらに、日本から出品した食品の8割が入賞している。


審査基準が非公開で、かつ、国際的には無名…。要は「カタカナ金賞!」と付けば、箔がつく。と言う事か。

衛生面や味は当然として、ある程度以上なら、取得できる賞なのだ。お金さえあれば取れる?賞ということか。



何事も、人の意見だけに頼らず、自分の感覚を大事にしたいものだ。モンドセレクション金賞でもそうでなくても

おいしければ、自分の中で「○○○金賞!」と名付ければいいのではないでしょうか。




新ブログに移行して、しれっと復活してみました。また、忙しくなるとバックレルと思いますが…。

無題

昨日は思い通りに印刷できない印刷機と戦っていたので1日遅れ



(でも、日付は昨日にしておきます。)のブログです。



当然できるだろうと思っていたことでも、何が原因かわからないけれども



できないこともあるんだなあ と改めて思った日でした。





今、福島で働いている人たちも、ひょっとしたらそんなことを考えているのかなあ。



当然原子炉は冷えているだろう。メルトダウンは起こっていないだろう。



見事に予想?がはずれ?新たな対策の必要に迫られているようです。





印刷機はちょっと手順を変えただけで何事もなかったかのようにスムーズにいきました。



でも、原発は違うだろう。手順を間違えることは許されない。



現場で働いている方たちの苦労・疲労・苦悩は計り知れませんが、なんとか頑張ってほしいです。



関係各所はできるだけフォローしてあげて欲しいです。







ゲンパツ

ゲンパツ



げんしりょくはつでんしょ

原子力発電所



本当に必要だったのだろうか?



使用済み燃料棒の廃棄方法が確立されていないのに、原子力発電所は稼働を始めてしまった。



責任者はだれと言うなら、当時の方々(当事者も傍観者も)と言う事になってしまうだろうか。



でも今は責任の所在よりも、今後どうするか?が大事ではないだろうか?



今後も学習して正しい判断をできるようにならなければならない。



参考HP よくわかる原子力 http://www.nuketext.org/index.html


本当?

 地球温暖化が叫ばれています。二酸化炭素を減らせと。本当?ツバルが沈むから?



http://monden.daa.jp/01tuvalu/02prefix2.html



ホッキョクグマの棲家が減るから? 



そもそも温暖化は悪いことなの?昨年の夏は酷暑でした。温暖化のせい?都市が暑いのはヒート



アイランド現象であって、温暖化が直接原因か? http://www.mag2qa.com/qa4598051.html



色々な方の色々な意見をしっかりと読んで判断しないといけません。テレビが言っていることは



本当か?一度は疑ってみましょう。



入園

 今日、一番下の子の入園式がありました。入園式は親と一緒なので、普段どおりでしたが、明日から



いよいよ一人で園の生活が始まります。親に似て人見知りするようで、恥ずかしがって何も出来ない



のではないかなと少し不安です。





新学期になっていろいろな「初」挑戦があると思います。期待だったり不安だったりもあると思います。でも、



やっぱり一歩を踏み出さないことには始まりません。勇気を出して第1歩を踏み出そう。







橋下徹ツイッター

今週はこれ



http://twitter.com/#!/t_ishin



大阪府知事の橋下徹知事のツイッターです。ツイッターにしては文字数が多く、ツイートするには不向きですが、時々まとめてみるにはいいかなと思います。

prayforjapan.jp

下記 メッセージを 見てほしい…



http://prayforjapan.jp/message/



FFC

塾で実験を楽しむ会 = JJT (ヒゲ先生がされていた塾の先生に実験を教える会



Fujihara Fishing Club = FFC(真也先生のブログ池畑先生のブログ参照)





先日から他にもいろいろなネーミングを考えている。



小豆島 = syoudosima = SDS → SDS24 (24は二十四の瞳の24)



星くずの村 実験学校 = HJG → HJG55 (藤原学園55周年にちなんで)



FFCにも何か数字つけようか…先日ならFFC0(ゼロ) = 坊主(釣り用語で魚が釣れなかったこと)



何か後ろに数字をつけないと、今風ではないかな?



ちなみに



藤原学園実験教育研究所 = Fujihara Educational Institute of Science Experiment です。



FEISE ちょっとつづりが違うけれど フェイス(face:顔面)ですね。フェイズ(faze:おどろかす)



でもいいかな。















キツネの嫁入り

 昨日、お昼ごろに突然雨が降った。そしてすぐに晴れてきた。けれども、お日さんが照っているのに、まだ、



しばらく雨が降っていた。いわゆる「キツネの嫁入り」である。天気雨とも言うそうである。諸説はネットを



ググれば出てくるのでjここには書きませんが、この「キツネの嫁入り」で思い出すのは、ギターインストゥル



メンタルの曲である。学生時代、ギターを一生懸命に弾いていた時代に練習した曲のうちの一つである。



晴れている(ゆったりとしたテンポ)イメージから、一転、雨が降る(速いテンポ)になり、ふたたび、元の



ゆったりとしたテンポになる曲である。「キツネの嫁入り」通りのイメージで大好きな曲のうちの一つである。



You Tube で「キツネの嫁入り 中川イサト」と打ってください。聞けると思います。



 晴れてから空を見たら、真也先生のブログの「行雲流水」にぴったりだなあと感じました。「人は流れに



乗ればいい(シャーアズナブル)」ってか。

 

ヒゲ

  ヒゲ先生がお亡くなりになった。



その数十年前、私がはじめて藤原学園に入学して、みんなから「プレゼント」がもらえるよ。と教えて



もらっていた。何がもらえるのかは全く想像できなかったが、まあ何かもらえるならうれしいなと思って



いた。そして、その時が来た。新しく入った林くんに「プレゼント」をあげよう。これはまた欲しいと思って



もどこにも売っていないものである。分かるか?(?分からん)



では、あげよう、じょりじょり…。それがはじめてのヒゲだった。なぜヒゲ先生だったか、分かった瞬間



でもあった。後輩にも同じようにされていた。先輩にも同じようにされていたであろうその光景はもう



見られない。合掌。





ヒンズー教の教え(らしい)

心(考え方)が変われば態度が変わる



態度が変われば行動が変わる



行動が変われば習慣が変わる



習慣が変われば人格が変わる



人格が変われば運命が変わる



運命が変われば人生が変わる



 「野村ノート」 野村 克也 



松井の母校 星陵高校のベンチにも同じような文が書いてあるそうです。





油断した!

 真也先生のブログにもあったように、この連休に小豆島で釣りをした。釣果はそこそこでしたが、一つ失敗



したことがあります。それは、天気予報以上に良く晴れたことに原因があります。前日までの天気の流れ



から想像すれば、少し雨が残るかくもりが多いだろうなと思っていました。



 が、しかし、2日ともいい天気でした。で何が失敗か?5月の連休もそうですが、日は短くなり直射日光も



夏ほどではなくなっても、紫外線は強いのです。そう予想以上に「日焼け」をしてしまいました。夏ほど



痛くはありませんが、服がこすれたりすると痛いです。ここ何年か日焼け止めで対策をしていただけに



油断大敵!を正に肌で感じました。

ひるんだら負け

 ひるんだら負け、というのはスポーツや勝負ごとばかりでない。数学でも「自分に解けるはずがな



い」とはじめから思っていたら、解ける問題まで解けなくなる。数学の不得意の生徒は、試験問題を



見たとたんに「これは難しい」と思ってしまうらしい。この瞬間、金縛りにあったごとく本当に解け



なくなる。数学における最高の賞、フィールズ賞を受賞したコーエン教授(アメリカの数学者)は、



毎学期異なる分野の講義をし、学期末にはその分野の論文を著すといわれる天才である。その彼が、



問題をだれかに出されるといつも「これは簡単だ」直ちに言うそうである。無論すぐに解けるとは限ら



ないのだが、まずそう言って自分に気合を入れ、問題に圧倒されないための勇気と楽観をふるい



起こす。ひるむのはもちろん、悲観的であっても脳は全開しないからである。コーエン教授にして



そうなのである。



 「古風堂々数学者」 藤原 正彦 著 新潮文庫

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