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藤原学園の『年中夢求』日記

〜今日も顔晴るみんなへ〜

『リメンバー・ミー』

森山's Honey Buket 370

1年ぶりくらいでしょうか、駅前のレンタルDVD屋さんを覗いてみました。

何か当てがあったわけではなかったので、ぶらり店内を歩きながら、陳列棚の作品を手に取っては、裏に書かれた作品紹介を斜め読みしていました。

これにしよう!

決めた作品はディズニー映画『リメンバー・ミー』。

『カーズ3』などを手掛けた監督やスタッフが力を注ぎ、昨年度のアカデミー賞・長編アニメーション賞も受賞したとのことでした。




もう感動しまくりました。

映像の美しさへの感動もさることながら、家族・生と死などについて、改めて考え直すことの出来る内容で、とても素晴らしい作品でした。


もし、学園生や卒業生の貴方がまだ『リメンバー・ミー』をご覧になってられないなら、どうぞ。めっちゃお勧めしたい映画です。





ディズニーの公式サイトも参考に、映画のあらすじをここに記しますね。


主人公は、ラテンアメリカのメキシコに住み、ミュージシャンを夢見る、ギターの天才少年ミゲル12歳。

しかし、《家族の掟》によって、ギターを弾くどころか音楽を聴くことすら禁じられています。


ある日、ミゲルは古い家族写真をきっかけに、自分のひいひいおじいちゃんがメキシコ伝説のミュージシャン、デラクルスではないかと推測し、自分に流れるミュージシャンの血を確信します。


家族の掟に背き、音楽を愛するミゲルは、ある日屋根裏部屋に隠していた手作りのギターをお婆さんに見つけられ壊されてしまいます。


そこで、「死者の日」(亡くなった人が1年に一度この世に戻って来れる日)に、憧れのデラクルスの廟に忍び込み、飾られてある彼のギターを持ち出してコンクールに出ようと企てました。


しかしどうでしょう…ミゲル少年がデラクルスのギターを手にしてつま弾いた瞬間、先祖たちが暮らす“死者の国”に送られることとなります。

「死者の日」に故人の物を盗もうとしたからです。



死者たち(ガイコツたち)が暮らすその場所は、夢のように美しいテーマパークのような世界でした。この世界で、ミゲルは憧れのひいひいじいちゃんを探そうと決意します。

しかし「死者の国」に迷い込んだ命ある者は、次の日の日の出までに元の世界に帰らないと、体は消え、永遠に家族と会えなくなるというルールがありました。


唯一の頼りは、陽気だけれど孤独なガイコツのヘクターだけ…
彼は今も生きる家族(娘)に会いたい…ただそれだけを願うガイコツでした。


けれどこのヘクターにはあるタイムリミットが近づいていました。

「生きている家族に忘れられると、死者の国からも存在が消える(2度目の死を迎える)」という運命です。その2度目の死がヘクターに確実に迫っているのでした。


ミゲルとヘクター…そして彼らの家族をつなぐ唯一の鍵は、ミゲルが大好きな曲、“リメンバー・ミー”。



不思議な力を秘めたこの曲が、時を超えて奇跡を巻き起こすのです。




「この世から居なくなった人であっても、家族が忘れさえしなければ、その人がほんとうに死んでしまうことはない。」

この映画が伝えたいメッセージに僕はとても共感しました。


『リメンバー・ミー』…“忘れないで”…

ミゲル少年の歌声は、切ないけれど暖かい。

幸せな気持ちになる映画を観ることができました。


孫が大きくなったら一緒に見よう!って涙ぐむ僕でした。

長文にお付き合い、ありがとうございました😊





お宮参り ~デブの遺伝子おそるべし~

森山's Honey Buket 369


金木犀の優しい香りが風に運ばれてくる季節になりました。

今年は台風の度重なる襲来に気持ちが落ち着きませんね。次の7・8日に予定している「星くずの村」実験学校もまた、25号の進路と睨めっこしなければならない羽目になりました。



さて、8月末に孫娘を授かって早ひと月。

先日、自宅近くの弥栄(やえ)神社で「お宮参り」をしました。

「お宮参り」には、土地の神様に、出産を無事終えられたことを感謝・報告し、併せてこれからの健やかな成長を願うという意味があるそうです。

出産を無事果たすことやその後子どもを健康に育てることが、昔ははるかにたいへんだったのでしょう…。

あめつちの神への信仰が今より遥かに厚かった時代、出産からひと月たって、お宮参りをするという風習がこの国に始まりそして根付いてきたのも何となくうなづけます。


お宮参りの当日は台風の影響も受け、あいにくの雨でした。
しかし、神殿の中から見るその景色は、雨に煙る境内の様子といい木々の潤いといい、たいへん厳かで、神の在わす雰囲気を感じることさえできました。




祝詞を奏上される神主の声が神殿に心地よく響き、その下に集うわれわれ6人の大人たちの祈りがひとつになって神様に届くように思われました。




2160gと小さく産まれた孫も、ひと月で3459gまで大きくなりました。おおよそ1.3kgも体重を増やしたということです。

「あまり太らせ過ぎないように注意してくださいね。将来のコレステロール値に影響が出るかもしれませんからね…」と、1ヶ月検診で先生からアドバイスを受けたそうです。

さすが我が孫、体重を増やす天分があるようです(笑)





またまた、私ごとのみで今日のブログを終えます。
爺馬鹿でございますねんわ。
ごめんやしておくれやして、ごめんやっしゃ~




ロマンチスト

森山's Honey Buket 368




これ何ていう花かご存知ですか?



ホテイアオイ(ホテイソウとも呼ばれます)です。
夏から初秋に美しい薄青色の花を咲かせる水草(浮き草)です。


このホテイアオイ、実はヒゲ先生がとても好んでおられた植物です。

僕と同年代かまたは先輩の方であれば、昭和45年頃の旧教室の入り口にホテイアオイが幾つも浮いていて、綺麗な花を咲かせていたのを覚えてられないでしょうか?


観賞用としてだけでなく、実験のとき、膨らんで浮き袋の役目をしている茎を縦に切って、中が編み編みの空洞になっているのをヒゲ先生に見せてもらった記憶があります。



30年~10年程前、「星くずの村」の天の川はホテイアオイの楽園でした。その黒い根っこはメダカやヤゴたちの格好の住処になっていました。


しかし、日本庭園が完成した当時(今から43年ほど前)は、「天の川」にはホテイアオイも他の水草もカエルもサワガニもメダカもそしてヤゴも…生き物たちの姿はありませんでした。


少し不思議ですよね?

種明かししますと…


「星くずの村」の中を流れる「天の川」は、自然の川ではありません。人口の川は人口の池が水源でした。

ヒゲ先生は、島が断水に見舞われた時の対策(実際半世紀前は断水は日常の出来事だったようです)で、コペルニクスという名の人工池(20~30㎡程の広さ)を築かれました。

断水時、飲み水以外の生活用水の確保を考えられてのとこでしょう。


しかし、稀代のロマンチストヒゲ先生が、生活用水の溜池造りで終わるはずがない!ですよね。


案の定(笑)、そこから流れ出る「川」、そしてその川の水を下流域で一旦大きな水槽に集め、それをポンプアップして「池の上へと導く水路」を作り、そしてなんと言うことでしょう…コペルニクスに流れ落ちる「滝」と水面から高く立ち昇る「噴水」までこしらえてしまったのです。


池も川も滝も噴水も、元は生活用水となる水の確保が主目的。その水が濁っていたり、プランクトンいっぱい!っという訳にはいきません。

合宿の無い時期は水を抜いておき、いざ合宿で水を張り滝を落とす前には、棒ずり(デッキブラシ)で池底や川底を丁寧に磨くんです。僕ら職員も何度かやりましたが、それは重労働でした(笑)


だから、子どもたちがワイワイとやって来るタイミングには、澄み渡る水が池に満たされて、そこから流れ出る「天の川」も文字通り清流でした。



当時毎年、合宿を終えたお盆の頃に、「蒐英舎総会」という学園の同窓会が、島で行われていました。毎年ほんとうにたくさんの同窓生が集まられ、賑やかな会でした。

総会の最後の夜は、参集した老いも若きも同窓生たちが共にすき焼きパーティーをし、「蒐英バンド」の演奏に酔い、やがてドンチャン騒ぎとなります。

バンドの生演奏に合わせて歌い踊りときには絶叫し、そして1人また1人と人工池のコペルニクスに飛び込んでいきます(笑)。今どきプールでそんな飛び込みをしたら必ず係員に大目玉を喰らうような遠慮無い激しいダイブです!

池で気持ち良さげに泳いでいる人。池の水をバンドメンバーに容赦なく浴びせている人。

中には天の川を下流から上流へ、匍匐前進している猛者もいました。

想い出しても楽しい時間でした。
よく怪我人が出なかったものです(笑)。



そんな清き「コペルニクス」や「天の川」ですが、残った水にカエルが卵を産み落とすようになってからでしょうか?それとも島に大きなダムが出来て断水の心配がなくなったからでしょうか?ヒゲ先生は生き物たちの生活の場に提供されるようになりました。

ほぼ毎週末、島を訪れておられたヒゲ先生は、人工の池と川の水を枯らすことの無いよう気を遣われるようになりました。

そしてやがて、立春過ぎの「カエルの産卵」は「星くずの村」の風物誌となりました。

春合宿では無数のオタマジャクシが「天の川」を
泳ぎまわり、夏にはカエルが大合唱を聴かせてくれました。
メダカだって、ヤゴだって、カニだって…そしてホテイアオイだって…皆、人工の川とは知らず、幸せに暮らしていた気がします。



このお休みに夫婦で、大和三山を巡るハイキングをしました。ふと立ち寄った「本薬師寺跡」にそれはみごとなホテイアオイの広い群生がありました。

その美しさと共に、地元の方々の取り組みを思い、とても感動しました。


そして、ヒゲ先生のことを思い出しました。



長文にお付き合いくださり、どうもありがとうございました。







祝っていただきました!

森山's Honey Buket 367



先日また1つ歳を食いました。

中3の女の子にhappybirthdayの唄を歌ってもらったり、園長やスタッフ仲間・卒業生・友人などからメッセージを届けていただいたり。


「あれ!鍵どこへいった🔑??無い!!」というボケ現象を救ってくれる、最新「鍵探しグッズ」を頂いたり。
はたまた「初孫」という銘柄の日本酒をわざわざ取り寄せてくださる方がおられたり。
お好み焼きにメッセージを添えてもらったり…

今年も身に余る祝福を頂きました。






そして一昨晩には、専任の先生方でパーティーを開いてくださいました。

会場は言わずと知れた「鳥貴族 若江岩田店」

招かれた者であるにも関わらず、率先してメニューを繰っては、じゃんじゃん発注!

「チキン南蛮!モモ焼きタレ・塩!ぼんじり!手羽先!牛串!せせり!つくね!どれも3人前ずつ!」って具合で…

親しき仲にも礼儀あり…やったなあと、あとでかなり反省😂


仲良しメンバーと、何1つ気遣いをせず(笑)、呑んで、舌鼓を打って…

心も胃袋も満たされてた極上の時間を過ごさせて頂きました。


そんな58歳ですが…

先日実験学校の帰りの船の中で、小学生の子たちと「変顔コンテスト?」をしました。

なにごとにも手加減や容赦を加えてはならぬ。子どもたちのためにならない!との確信のもと。真剣勝負を挑みました(笑)

体力は還暦過ぎ、気持ちは小学生、の僕であります。
















ボランティア

今朝は網戸越しに涼しい風が入ってくる。秋の虫の音も耳に心地よい。

さて、西日本豪雨・台風21号・北海道胆振地震が立て続けに日本列島を襲った。

北海道に移り住んだ卒業生があり、気がかりになって連絡を入れた。不幸中の幸い、彼のところは大きな被害は無かったようだ。が、停電が続き不自由を強いられている…とのことだった(その当時)。
たくさんの方が命を落とされたことにお悔みを申し上げます。だだ、教え子である彼と彼のご家族の命が無事だったことは喜びたい。



災害が起こると被災地に復興のためのボランティアの方々がいちはやく集って来られる。

顔や手を泥だらけにし汗水流して尽力される姿をテレビニュースで見るたびに毎回頭が下がる。
被災されたお年寄りが涙ながらに感謝される様子からも、ボランティアの人たちの懸命さが伺える。

しかし、かの方々に、偉いなあ…立派だなあ…といつも感銘を受けるのにもかかわらず、僕は災害復興のボランティアに参加したことがない。
阪神淡路大震災の時ですら、淀川を越え被災地に近づくことはできなかった。


他人の良かれを願い、人の苦しみを少しでも軽減するために、自分の労力と時間と財を惜しみなく提供できる崇高な志を持ってられる人。そんな人のみが、きっとボランティアとなられるのだろう…と、思ってきた。

また、心に傷を負った被災者に寄り添うには、きっと細やかな気遣いも必要となる。そんな配慮のできる方がボランティアに相応しいのだろう…とも。

要は人格者でないとボランティアは務まらん…そんな一歩引いた所から、半分以上逃げ腰で物を見てしまっていた。

自分の可能性の芽を早くに摘んでいたのでは?と思ってしまう。


初めから出来る者は居ない!

あくまでも自分の体力と他を思う心の力とそして財力の範囲の中で、出来ることをやってみればいいのでは…と考え直すこの頃だ。

足手まといを怖れるよりも、実験してみる自分になってはどうか!


それぞれの人生、それぞれの価値があるだろう。


僕は、だれかのために役に立ち、喜んでもらえる人生が理想だ。

さて…残された時間で、ほんとうに間に合うか?



初孫!

森山's Honey Buket 365

久しぶりに恐怖を感じる台風でしたね。

皆さま、大きな被害には合われませんでしたか?

学園本部校は3階の階段横の大きなガラス窓が大破しました。畳一枚程の網入りガラスでしたが、余程の風圧だったのでしょう、ガラス片は2階の踊り場を超えて1階の下駄箱前まで飛び散っていました。
返す返す、休校にしていて良かった…と、胸を撫で下ろしました。




さて、学園ブログに毎度私事で恐縮ですが、ご報告させていただきま~す。


8月29日(焼肉の日)にめでたく孫を授かりました。
2160gと小さな女の子でしたが、待合で祈っていた僕の耳にも産声が聞こえてくるほど、元気に生を受けました。
お陰様で母子共に健康に出産出来ました。


産まれて間もない我が子を愛おしく抱きしめるうちの娘を見て、言葉にならない大きな感動を覚えました。





出産後は安堵感に包まれながら、孫娘の名前をあれこれ考えてみることにしました。

焼肉の日生まれなので…
“はらみ”“ロース”“こころ”“ハツ”いっそ“たれ”…

そう言えば、僕の娘の生まれた日が“花博”の開会日で、当時の生徒に名前を考えてもらうと、
1位 ゴルバチョ子(開会式に参列したソ連大統領名から)
2位 花と緑の博覧会子(そのまんま…)

うちの娘はそんな生徒投票は参考にせず“あゆみ”にしたのと同様、孫娘の名も焼肉とは一切関係なく娘夫婦が“柚花(ゆずか)”と名付けました。


退院後も近くに住んでいることをいいことに、毎日顔を見に行ってます。

今の僕のなによりも大きな楽しみであり、エネルギー源です。

どうぞこれからは“もり爺い”と呼んでやってください。

爺馬鹿ついでに…すみません…













奇跡

森山's Honey Buket 364

講習合間の日曜日、卒業生の子たちとA先生と僕の6人で飲みに行った。学園48期生の子たちだ。

集まった4人は29歳と30歳の女の子。
こないだまで中学生やったのに…

話を聞くと、彼女たちどうやら昭和生まれと平成生まれに分かれるらしい。同級生なのに生まれた元号が違うって、女性にとってはゆゆしき問題?
案の定、「誰がババアや!」って暫くなじりあっていた(笑)

来年生まれてくる子たちもそんな運命が待っているんだなあ…



ミナミに出るなんて実験学校の集合くらいしかない(笑)
予約されていたのは、道頓堀川のリバーサイドにBBQテラスも設営されたお店。高級感溢れるお洒落なお店だった。

地元の居酒屋か立ち飲み屋しか知らない僕と比べ、今どきの娘さんは素敵なところを知っているもんだ…とひとしきり感心する。


乾杯して程なく、店のスタッフさんから来店者皆に、2組のカップルの結婚が報告された。なかなか素敵な演出で、幸せのおすそ分けをしてもらった。


幸せ…といえば、この子たちも負けて?いない。


4人のうち、1人は間も無く入籍する。その入籍の日は「今年最も縁起のいい日」ってGoogleで検索して決めたんだとか…
隔世の感しかない。
挙式も12月に決まっていて、あとは住まいを最終決定するだけだとか…
この時期は幸せなんやよなあ、なんて30数年前を思い出す。


別の1人は、学園の同級生の男の子と愛を育んでいる。中学生の頃から「わたし将来R君のお嫁さんになりたい!」って公言していたので、もう一踏ん張り頑張って、めでたくゴールを迎えて欲しい。
新婚間もないふたりの寝込みを襲ってやろう!って今から目論む僕である。


また別の娘は、さっきの公言娘が愛のキューピット役を務めて、高校で同じクラスだった男の子と久しぶりに再会。今交際寸前らしい。
「高校・大学と同じだったんだけれどその時はあまり意識してなくって…」て恥ずかしげに話す彼女の目元から幸せの予感が溢れている。


もう1人はガラス職人への道を極めている。尊敬するお師匠さんに付いてかれこれ8年。遠く京都の山奥のそのまた奥で、日々ガラスを吹いている。
目下の熱いお相手は、ガラス君のようだ。
ちなみに毎夜愛用の水割りグラスは彼女が吹いてくれたものだ。だから毎晩、J子頑張れって思ってる。




大いに呑み食べ、大音響で喋りまくった(近隣の皆様ゴメンなさい)&唄いにも行った(笑)


かつて学園に入学してくれるという奇跡が無ければ、この子たちと永遠に出会うことはなかっただろう。

せっかく巡り会えた人たちなのだから、できる限り長く、そして大切におつきあいしたいものだと思う。


幸せな時間だった。








ドラレコ

森山's Honey Buket 363

万一事故を起こしたり、トラブルに巻き込まれたりした時のため、装備する運転者が増えてきたというドライブレコーダー。

このドラレコはもともと、トラックに追突される事故でバイクに乗る息子を失った父親が発案し開発に深く関わったそうだ。この事故ではバイクの息子の方に重大な過失があったと判断が下されたそうだ。

死人に口なしとばかり、被害者が一方的に不利な状況に追いやられたり、残された家族がより深い悲しみの淵に沈められたりしないように…との父の思いが、企業との共同開発に繋がったらしい。


先日車検を受けるのを機に、うちの車にもドラレコを付けることにした。2週間ほど前のことだ。


まさかこんな早く日の目をみるとは…

と言っても、うちの車が事故をしたり巻き込まれたりしたわけではない。


事故の瞬間を目撃する羽目になったのだ。


ほぼ40キロで走っていたうちの車を、轟音を響かせながら1台のバイクが抜き去って行った。しかも左側から…

かなりのスピードが出ていたので、あっという間に前方の交差点を左折しようとしている車に近づいて行った。

うちの車に乗る3人が「わあ~」やら「あ~」やら「あぶない!」やら絶叫するのとほぼ同時に、バイクは車の土手っ腹に、勢いそのままに突っ込んだ。

その瞬間ライダーは高く舞った。映画を見ているようだった。

興奮の中、目を凝らすと、ライダーが身体を起こすのが見えた。

ほっ…ちゃんと生きている。


意識があるのなら、当事者たちが救急車や警察への連絡も出来るだろうと判断し、その場を離れることにした。


役に立つのか立たないのかは分からないが、とにかく警察署に行って、情報提供を申し出た。それが市民たる者の責任ではないかと思えたからだ。

きっとドライブレコーダーがそれなりの記録をとどめているはずだ。


その足で向かった警察署で事情を話し、SDカードを預けて帰った。

翌朝、警察から「とても鮮明に記録されていました。ご協力ありがとうございました。」との感謝の言葉とともにカードが返却された。

「幸いバイクの人は軽傷でした…」警官はその一言を添えてくれた。


小市民も役に立てたかな…小さな自負心を持った。



ドラレコを付けて思うのだが、ドラレコの目は運転者である自分にも向けられている。

信号無視や速度超過、強引な右左折や追い越し、自分の運転が全て記録される。

自らの違反を強く自制する作用が、ドラレコには確かにある…と思う。

エアバッグやETCが多くの車に搭載されているように、シートベルトが全ての車に付いているように、ドライブレコーダーが公道を走る全車に義務付けられる日が来ても良いのになあと思う。















夏合宿始まる!

森山's Honey Buket 362

8月16日 待望の本科夏合宿が始まろうとしている。
今、集合場所から神戸港へ向かうバスの中、あちこちから明るい声が聞こえてくる。


久しぶりに会う子どもたちの顔は皆真っ黒に日焼けしている。この5日間でますます黒くなることだろう。


暑い夏を熱く過ごしてもらうため、今回の合宿でもたくさんの工夫を凝らした。

オリエンテーリング・ボートツーリング・海辺の生物観察…と、外に出る行事も多いため、熱中症への対策もずいぶん話し合って来た。

上記の3大行事については、なんと朝一番の時間帯を選んで挙行することにした。
オリエンテーリングは開催40年を越える伝統行事だが、朝7時にスタートというのはかつてない。まだ気温が上がりきる前の美しい海岸線を歩き、島で一番のプールへと向かう。
出発前の検温や問診、スタート後も4キロ毎のチェックポイント(エイドステーション)での水分補給やエネルギー補給を欠かさない。
今回から、予めチェックポイント通過の制限時間も設けた。

万全のバックアップ体制は敷きつつも、我々は黒子。「自分と仲間と」やり遂げた達成感は子どもたち自身のものと感じさせてあげたい。


そろそろ神戸港に到着する。

事故なく無事に、大きな喜びと自信を身につけたこの子たちを大阪に連れて帰りたい。



ご無沙汰でございます。

真也先生がただお一人ブログを更新してくださっている現状ですが、遥か以前、実は他の何人かの職員もこのブログに参加していた時代があったのです…。皆さんご記憶にあられますか?
もう忘れてますよね(笑)

という事情ですので、まずは自己紹介からやり直します。


蒐英舎(藤原学園卒業生の呼称)20期 森山隆伸です。今はもりもりと呼ばれて喜んでます。

小学4年生春入学。当時おそらく身長120cm。
中1~2年生は他県への引っ越したため学園には通えず。中3春に出戻ったあと、人生で一番熱心に勉強し?昭和50年卒業。高校生となる。

高1の冬合宿で付き添いデビュー(当時は1年後輩の子たちの質問聞き役に、高1生が各部屋1人ずつで当たっていた。)

大学1年の秋、学園助手に誘っていただく。
もっぱら授業終了後の電話帳(全国高校入試問題集)の質問を受ける役目。
当時は夜中の1時近くまで、中3生ほぼ全員が居残って勉強してたなあ…

大学2年春、通年での授業を受け持つ。
自分なりにめっちゃ予習して、大学の空き教室で授業の練習をしてから本番に臨んだなあ…ああ懐かしい。
当時生徒だった皆様、拙い授業、この場で深くお詫びします…

そう言えば、現役時代にはビビって泳げなかった弁天島までの3kmの遠泳を、隊列の先頭で泳がせてもらったのも大学2回の夏だったなあ…


4回生夏、小学校の先生に成る夢に向かって頑張っていたつもりが力及ばず、採用試験不合格。

涙ながらにヒゲ先生に報告に行くと…
「君さえ良ければヒゲの元で一緒にやらないか!」と、思ってもみなかったお声を掛けていただいた。悲しみの涙が嬉し涙に変わった。


結婚式ではヒゲ先生ご夫婦に仲人をお願いし、高砂の席でお祝いのヒゲをいただいた。ジョリジョ~リ


大好きな学園にお世話になって早35年。

息子も娘もそして嫁も、学園のことを大好だと思ってくれているこの幸せ!


そしてまもなく

超々憧れだった
お爺ちゃんとお婆ちゃんになれる日がやって来る予定です。
(自転車置き場に孫のプールを置くため用の人工芝は3年前から用意してました…はい。)


今からドキがむねむね

母子ともに元気で出産できますように…



と、こんな内容のブログ再開で失礼しました!

ここだけの話…
何でもいいから書け!って学園長に一喝されたもので…

嘘です。









天体スペシャル!6月実験学校

森山's Honey Buket 360

6月2日3日に実施予定の「星くずの村」実験学校は「天体スペシャル」だ。

かつて合宿に参加してくださった方にはご記憶もあろうが、小豆島の星空はとにかく美しい。

普段明るい街の夜では、心して星空を見上げる機会も少ないが、島の夜は空の星が近い。


今回の天体観測は、そんな美しい星々に子どもたち共々酔いしれようと、人工的な灯りが殆ど届かない場所まで移動して行う予定だ。


以前、そんな場所にスタッフだけで出向いたことがある。
文字通り降るような星空は、僕には「美しい」というレベルを超え「恐ろしい…」とすら思えた。(語彙力貧困)

そんな体験を子どもたちともしてみたい。



メインはもちろん本物の天体に触れる天体観測なのだが、他の実験や工作も天体にまつわるものを企画している。

そのうちの一つが、「プラネタリウムを作る」だ。

なかなかの大工作。75分間の授業時間内に、各自が満足な作品を仕上げるためには、ある程度下準備を進めておく必要がある。
目下、学園スタッフの手をたくさん借りて、準備を進めている。



学生時代の文化祭、友人を我が家に招くとき、家族旅行…どれをとっても、本番に向かう準備に心踊ったものだ。


6月の実験学校で、子どもたちのたくさんの笑顔が見られるよう、心弾ませながら、今しばらく準備を楽しもう!
(手伝ってくださっているスタッフの皆みなさんに感謝!!)




↑試作品

喜びひとしお

森山's Honey Buket 359

胸膨らませ期待していたことを諦めるのは辛い。

しかし一発逆転?諦めざるを得ないと覚悟していたことが上手く行ったときの喜びはひとしおだ。


いや何も、そんなにたいそうな話ではないのだが、このGWの天候が、僕にとってはその一発逆転だった。


二度にわたって延期していた今年の富士山見学ツアー。1回目はインフル。2回目は豪雨。今回ばかりは決行するぞと宿も予約していた。

一目だけでもいいから富士の勇姿を仰ぎたい。

しかし、週間天気予報を見て「あ~あ…」出るのはため息ばかり。よりによってその期間だけ曇/雨…トホホ…


開き直って、富士山麓の空気を吸いに行こう!それで良い!富士山は何も晴れているばかりが富士山なのではない!自分に言い聞かす日々だった。


出発のとき。覚悟を決め、しかし一縷の期待を胸に愛車のハンドルを握った。実験学校から帰宅して半時間。これから夜を徹して高速を走る。


途中浜名湖SAで嫁に運転交代。富士川SAで息を吹き返し、一路富士五湖のひとつ山中湖へ。


山中湖到着午前3:30


そこから奇跡続きでした。
(ここから文体を敬体に)


なななんと3日連続して、憧れの富士を見上げることが出来ました。


何度も何度も神様仏様にお礼をつぶやきました。


そんなこんなの僕と嫁の喜びの富士山ツアー、ちょっと見てやってください。

































子どもたちと育ち合える喜びを感じつつ

森山's Honey Buket 358

10日間の入院生活を終え、やっとの思いで娑婆に戻った。
とは言え、まだ食べものには制限が多く、いたって好きなアルコールや珈琲も今暫く我慢を余儀なくされている。


しかし、子どもたち相手に授業が出来るようになった喜びは大きい。
今日の授業は上手くいかんかったなあ…と、相変わらず反省も多い。

それでも1日を終え教室を出るときに、なんかニンマリしてしまうのは、やっぱりこの仕事が好きだということなのだろう。



さて昨日、探し物をしていたら、ふと懐かしいものが目に止まった。


上本町校校長時代に出した新聞チラシの中の挨拶文だった。

読み返すと、そこに書かれていた子どもたちとの場面がありありとよみがえり、「そうなんだよなあ……」と一人で感激した。




子どもたちと育ち合える喜びを感じつつ

と題したその挨拶文は…





「でも……このコマユバチとしては こんなふうにしないと 生きられへんかったんちゃうの?」



小学3年生の子たちと、春のキャベツ畑から採集してきたモンシロチョウの卵や小さなアオムシを飼育・観察していたときのことでした。


いっぱい食べていっぱいフンをし、脱皮を繰り返して まもなく“さなぎ”へと成長を遂げる終令のアオムシ。


が、そのアオムシの背中が突然裂けて 中から小さな幼虫がウジャウジャ無数に這い出してきたのです。
(これがアオムシコマユバチなのか……知識としては知っていたけれど)


子どもたちに直視させるにはあまりにも凄惨。
教科書や参考書・図鑑でも、まして児童用教育ビデオなどでは お目にかかることのない衝撃的情景でした。


驚きの次に私と子どもたちに同時に湧き上がったのは、このウジャウジャの小さなヤツに対する憤りでした。

卵や一令幼虫から育て まもなく羽化するモンシロチョウ。その可愛い姿を思い描いてきた我々には、夢を叩き壊したコマユバチの存在が許しがたいものに思われたのです。
皆、口々にそんなことを言い始めました。



と、その時でした。ある男の子が、小さいけれど はっきりした声で

「でも……このコマユバチとしては こんなふうにしないと 生きられへんかったんちゃうの?」

と言いました。


我が耳を疑いました。

もう一度彼の言葉を反芻し、やっと彼の真意(コマユバチの立場から考えた「生」)を納得することができました。

周りの子たちも何かを感じとったようでした。


「そうだったんだ。これこそが『自然』なんだ……」


とても大切で、大きなことを 私は子どもから 授業中に教わりました。





理科実験や観察は筋書きの決められたショーではありません。

授業ごとの 小さな発見や喜びが こつこつと積み重ねられて やがて確固たる自信を築くのです。


知識やテクニックのみを 競争させながら身につけさせる方法は一見たいへん効率的であり、成果は短期間に数値となって反映されることもあるでしょう。

しかしそれだけでは、本来 子どもの成長にとって大切にすべきことを軽視することになりはしないでしょうか?



藤原学園実験教育研究所 森山隆伸(上本町校校長・理科担当)



上本町校を任されて5年目、僕自身の思いや情熱が噴き出している文章だった、と感じる。



もはや、歳は取り故障の多い身体になって来た。

しかし、子どもたちに向ける情熱は錆びついたものにはしたくない。改めてそう感じさせてくれる時間となった。

完璧出遅れ、申し訳ありません。

森山's Honey Buket 357


相当出遅れました。

子どもたちも、先生方も、助手の皆さんも、張り切って新学期をスタートしたというのに…

新学期スタートのまさにその日、あろうことか緊急入院してしまいました。

上行結腸憩室炎ってのが悪化して腹膜炎を起こした…らしいのです。


お医者さんや看護師さんのお話を要約すると…

大腸の壁に開いた穴とその外側のちっちやな袋に、う○こが入り込んで炎症を起こし、ほったらかしてる間にまずいことになった、ということのようです。


「先生!せめて今日だけは何とか出勤出来ませんか?」

と泣きつく僕に

「そんな許可が出せるくらいなら、今すぐ入院しなさいなんて言いません!」

と叱る先生


「今日から少なくとも4日間は絶食です!
薬を飲む時以外は水も飲めません。

しかも安静にすること。
腸を動かしている限りは治りません。

入院はおよそ10日間。」



軽い気持ちで、ちょっと薬をもらいに病院に行ったつもりが、なななんという誤算!



とにかく学園の先生方に連絡しなければ!

そうだ、Y田先生に泣きついてみよう!(Y田先生は先日助手を卒業されたばかりの先生。)


どの先生方からも、仕事は心配せず早く治してくださいと、励ましの言葉をいただきました。

そんなこんなで、大勢の先生方に絶大なご迷惑をお掛けしています。



今日で3日目

あああ…

1日6本、四六時中点滴を繋がれ、ただベッドに横たわる…

この時間の長さ…

いつもは休日大好きの僕だけれど

仕事に行けない情けなさ&辛さ。

やっぱり自分の生活の中心は仕事なんや…と気づきました。




ふと、定年退職後の自分を思い浮かべてしまいました。

退職したら、毎日こんな空虚な時間になるの?

ウゥウゥ…お腹が痛い。


たとえあと何日絶食を強いられようとも、お医者さんの言いつけを守り、早く治って職場復帰するぞ!


戻ったら、皆さんどうか暖かく迎えてくださいね。お願いやから「もう要らんで!」なんて言わないでね!




最後に一言、ほんとうにご迷惑お掛けして申し訳ございません。











素敵な子育てをされましたね

森山's Honey Buket 356

先々週、ある卒業生のお母様がお亡くなりになった。

学園のことをいつも心から応援してくださった恩人と想える方だったので、驚きとショックは大きかった。
最期のお別れをしたかったのだけれど、春合宿中だったこともあり、それは叶わなかった。


卒業生Mさんは48期生。
学園上本町校の歴史に名前を刻む超頑張り屋さんだった。

彼女が自分の目標に向けて毎日毎日学園に脚を運び、少しずつしかし明らかに前進していく様子を、同級生たちはよく見ていた。


中3生で、やるべきことを自覚していない子はまず居ない。
ただ、親御さんや先生から、面と向かって「やりなさい!」と指摘されると、直ちにヘソを曲げて敵前逃亡を企てる。
それが一般的な中3だとも思える。


そんな言い訳名人の15歳たちも、頑張ってる友人から「一緒にがんばれへん?」って声を掛けられると素直に応じる。

やがてクラスの皆が、頑張る子たち、前を見つめる子たちの集団に変化していった。その頃を懐かしく思い出す。


他人を変革するエネルギーを持つ人がこの世には確かにいるのだ…しかもそれは年齢によらない。





彼女が学園に入学してまだ日の浅い頃、僕は自分の勝手な思い込みから、彼女のお母さんに「親の過剰な期待は子どもを潰す。お母さんはそうではありませんか?」と言ったことがある。

それがとんでもない誤りで、失言だったと、僕は後日思い知ることになる。

彼女の頑張りの背景に、お家が全面的に娘を信頼し、大きく包み込んで、余計な指示を一切口にされない方針であることが、はっきりと分かったからだ。

お母さんの肝の大きさは、娘にだけでなく、大口を叩く塾の若造をも包んでくださっていたのだ。




先日、お悔やみのメッセージを届けた時、思い切って、彼女に僕の過ちのことを打ち明けた。


母は私が藤原の仲間や先生に出会えたことをほんとうに喜んでいた。その話は母から聴いては無かったけれど、決して怒ってなんかいなかったと思うよ。きっと娘のことを真剣に考えてくれる人がいる…って喜んでた筈やわ…
と、慰めてくれた。そうであれば良いが…




彼女は努力が報われて憧れの高校に進学した。

1年足らずで…と仰天する程の成績の伸びだった。


合格の報告をした時、電話口の向こうで喜びのあまりただ泣くばかり、完全に言葉をなくした母に、やっとひとつ親孝行ができた気がした…と、彼女は回想していた。



「もりもり…健康管理ちゃんとせなあかんよ。うちのお母さんからの言葉やと思って、ちゃんと聴いてね。」


ラインのやり取りの最後に彼女が記してくれた言葉を、ほんとうに彼女のお母さんからのお言葉として大切にしたいと思う。



どうか安らかにお眠りください。

ありがとうございました。










卒業祝賀会

森山's Honey Buket 355

21日、蒐英舎第62期生の卒業祝賀会が本部校の天文教室で行われた。

僕は天文教室で行われる祝賀会が好きだ。

そこが学び舎であることも理由のひとつだが、広すぎず、身の丈にあった感じがしてとても落ち着く。



学園長から「失ったものを数えるな、在るものを最大限に活かせ」との、とても素敵なお話があった。勿論永遠の19歳である確認もしておられた。




今里本部校と若江岩田校のそれぞれの保護者を代表してお母さんお二方に祝辞を頂いた。

そのお二人ともが学園の出身者でおられるという奇跡と喜び。
心温まると同時に背筋が伸びる、感激の謝辞をプレゼントくださった。






そして、62期生共に学園を巣立たれる卒業職員3人を代表して、フランスパンこと米田先生が挨拶に立たれた。



米田先生は54期生。小学4年生の時から学園に通ってくれ、大学入学と共に学園の助手を務めてくださった。子どもたちの誰からも慕われる最上級に優しい先生だった。

「僕は先生として、本来君たちに教える側の立場だったはずだ。ところが実際には僕の先生が君たちで、計り知れないほど多くのことをあなたたちから教わった。ありがとう。」と話された。

いつも子どもたちのことを考え、悩み、そして正面から向き合ってきてくれた彼らしいお話だった。

高木先生、鬼つ先生、お3人の先生方、長い間ありがとう。お世話になりました。






第2部 アトラクションでは、先生方のダンスありバンド演奏や熱唱あり。

いつのまにこんな練習されたんだろう…って感心してしまう出来栄えだった。格好良かった!




今年の記念映画もたいへん素敵だった。とても凝った趣向でグイグイと引き込まれた。泣いたり笑ったり…誰もが感動できる素晴らしい作品だったと思う。

連日連夜作製にあたってくださった映画班の先生方に深く感謝します。ありがとうございました。



式の最後が近づき、卒業生代表の子たちからのメッセージを聞かせてもらった。

どの子たちも、上本町校・八戸ノ里校・若江岩田校・今里本部校で小さな頃から一緒に過ごしてきた子たちだ。どの子も大きくなったものだ。

この子たちが目の前に立っているだけでまさに感無量。









何日もかけて原稿を考えてくれた人。
原稿を忘れてしまった…と言いつつ、たいへんしっかり気持ちを伝えてくれた人。

それぞれがそれぞれの言葉で、自分にとって学園が大切なものだった…って語りかけてくれた。

たいへん立派だったよ。

ありがとう。



とても素敵な時間を頂いた。

来年も再来年も…ずっと、こんな豊かな気持ちで卒業生との別れを惜しむことのできる我々でありたい。









マグロのお刺身

森山's Honey Buket 354

公立高校入試も終わり、後は結果を待つばかり。
それぞれの子たちの夢が叶うことを祈るばかりだ。


ふとN君のことを思い出した。

以前…

受験校をどこにするか…の懇談をしていた11月のこと、彼は藪から棒に

「先生、おれ高校へは進学しないことにした。」
と、切り出した。

驚きつつも話を聴くと、和食の料理人になるための修業をする決心をしたのだ、と言う。

お家の人とも相談をして、翌週にはお父さんと、修業させてもらおうと思っている師匠のところに挨拶に行くつもりだと、熱く語った。


翌週、彼は
「春から修業させてもらえることになった。」と嬉しそうに報告してきた。


15歳なのに偉いなあ…と彼の決断を讃える気持ちと、

高校の3年間を通して、気持ちが本物かどうかを確かめてからでもいいのでは?という気持ちと、

僕にはどちらの思いも同じくらいあったけれど、彼の行動力 = 彼の気持ち だった。


その彼はその後、なんと冬合宿の徹夜学習もやり遂げ、卒業まで学園に通い続けてくれた。

「今、やらなあかんのはやっぱこれやから…」

彼のそんな言葉を思い出す。




1年ほど経ったある日、彼が教室を訪ねてくれた。

ひとつ下の後輩たちが、受験のために居残って勉強していた時だった。


「先生、これ見て。」

彼が大切に取り出したのは、師匠に見立ててもらったという刺身包丁だった。


刀身が細長く、とても格好良かった。


そしてにっこり笑いながら、これみんなで食べて…と、タッパーを手渡してくれた。


「まだまだやけど、おれが造った。」

マグロのお刺身がたくさん入っていた。


中3生たちととても美味しくいただいた。



N君、まだ修業中かな?ひょっとしてもう自分の店を構えたかな?





教えた子たちには

イタリアンの店を出した人
歯科医院を開業した人
お寺を継いでいる人
ガラス職人さん
町工場の社長さん
整体師さん
学校の先生
福祉士さん
飛行機関係のエンジニア
薬剤師さん
保育士さん
声楽家
看護師さん
大阪を遠く離れひとり勤務している人

母さんになって頑張ってる人

そして

藤原学園で共に働いてくれている相棒



それぞれが

それぞれの道で頑張っている。





合格発表をドキドキした思いで待つ62期生のみんな!

希望が叶えばもちろん最高!!

でも、もし万が一今回が、涙に暮れる結果になろうとも、君らが頑張ってきたことは事実なんや。

その時はその時、次にそれぞれの道で活躍出来る自分になろうね。



一歳年長の兄のつもりで

森山's Honey Buket 353

長らく投稿出来ませんでした。

何事も一旦止まっていたことを再始動するにはエネルギーが必要だなあ…と思いながら、画面に向かっています(笑)


普段の僕は、たいした拠りどころも無いのに「まあ行ける!」って物事を楽観的に捉えてしまう奴です。
が、このところ両肩にズシリと鎮座して、いっこうに立ち去ってくれない悩みがあります。

髪の毛が…とか、お腹のたるみが…とか言った類ではなく、この歳にして仕事のことで悩んでいるのです。

それも根源的?

目の前の子どもたちとどう向き合えば、より良い関係が築けるのだろう…といった切実な内容です。


「そんなに悩むなって!大丈夫やって!」と、いつものように楽観的な自分もいます。でも、「そうやんな…」って納得しても、気づくとそれはまた頭をもたげてくるんです。


信頼を寄せる仲間がいるのだから、相談すれば良さそうなのだけれど、情けないというか辛いというか、妙なプライドが働くというか…今のところ一人でのたうちまわっています。



そんな先日、学園創立50周年を祝して編まれた冊子に眼が止まりました。12年も前、ひげ先生がご健在でおられた頃のものです。

冊子中、卒業生(蒐英舎同人)が寄せた文章が多くあり、そのひとつに自分が書いたものもありました。

懐かしさと、何を書いていたんやろう?との好奇心もあって、再読してみました。

以下、その文からの引用です。


(前略)

トリノオリンピックに出場できた選手の世界全人口に占める割合は0.00000038だったそうです。

スポーツのできる子もあれば、できない子もある。
成績が優秀な子もいれば、そうでない子もいる。
器用な子もまた不器用な子もいる。

多くの子たちは、自分にとってできることと、たくさんのできないこととを持って生きている。

しかし、
「他人を思いやるやさしい心を持つ人になること」

「自分の夢を見つけたとき、そのことに一所懸命打ち込める人になること」

「自分を支えてくれる周りの人に、日々感謝の気持ちを持つことのできる人になること」

これらは一握りの子どもに与えられた特権ではなく、多くの子どもたちそれぞれの心の中に育てていくことのできる大切なことだと思います。


子どもたちの心の中に「自信の芽」を育み、将来それぞれが、その自信を拠り所に「思いやり」と「行動力」に溢れ、かつ「感謝」を忘れぬ豊かな人生を歩むことを期待して

いつも一歳年長の兄のつもりで

子どもたちを見守り続けること…

それが「藤原学園の教育」ですよね、ひげ先生…

36年間、ひげ先生のそばに居て、途切れることなく先生から感じ続けてきたことです。

(後略)

と、僕は綴っていた。

尊敬するひげ先生へのラブレターみたいな文だった。


でも、その頃の自分を確かめることもできた。




目の前の子どもたちの人生を、必ずより良きものにしよう!とたえず考え、一歳年長の兄のつもりで接する。


基本に立ち帰り、そこからもういっぺん再出発。

捲土重来を期すことにしよう!


















転んでもただでは起きない

森山's Honey Buket 352


新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。



年末に体調を崩してしまった。


夫婦で年初めの恒例行事としている「新春の富士山を拝もう!」に、元旦夕刻から出掛けるつもりだったが、寄る年波、そんなに劇的に回復する訳もなく、泣く泣く断念。


「今回は何処から富士を仰ごうかしら?」
この1ヶ月、コースの下調べに余念のなかった家内には、すまないことをしてしまったが、
さすがに「君一人で行ってきてくれる?」と言える距離でも無いので、家内の行き先は、富士山→若江の実家に変更してもらって、親姉妹と共に盛り上がってもらうことにした。



一方自分は…布団の中で何か出来る良いことはないか?と考えて、オーソドックスではあるけれど、棚に眠っていた未読の本を読むことにした。



超ご近所にお住いの作家だったのに、今までスタート出来ていない、司馬遼太郎さんの本を読むことにした。
『この国のかたち2』(文春文庫)
『この国のかたち3』(同上)
『日本史探訪』(角川文庫)



稀代の歴史小説作家は言っている。

「これまでに調べ考察してきたこの国の習俗・習慣、思考や行動の基本的な型を、私なりに切り刻んで大鍋に入れ煮詰めている。
読者自身がその鍋から、日本人の本質というエキスを取り出して欲しい。」と。



読み終えて、自分は司馬さんが期待した読者では無いことは分かった。

が、改めて「博識っていうのはこんな方のためにある言葉なんだ…」と感心しつつ、たいへん面白く読めたことに満足した。


自分の読み進め方をいつもの読書とは少し変えてみた。そのことが読後の満足の後押しとなった気がする。


具体的には、読み方や意味がわからない言葉に出会うたび、この地名はどこ?この本・人物・事象をもう少し知りたいなあと思うたび、湧き出た小さな疑問や欲求を、枕元に置いたスマホをフル活用して片っ端から調べつつ読み進めたことだ。


「親鸞が著した『歎異抄』の教え」や「西郷が西南戦争に向かわざるを得なかった真実…」「室町時代の持つ大きな意味」などなど、今まで知っているつもりで実は知らなかったことをたくさん学ぶことができ、こんな歳でも素直に喜べた。




静岡や山梨から見られただろう景色とはまた違った素敵な景色を布団の中から眺めることができた。



冬合宿3日目

森山's Honey Buket 351

小豆島冬合宿3日目、ちょうど中日を迎えた。

小5生から中3生までとてもよく勉強している。


1班4人までのグループに先生が1人ずつ。

次から次へと湧き出す質問に、どの机でも先生方はてんやわんや。嬉しい悲鳴だ。

今回は各自の弱点対策のために個々別々の教材を用意したのだから、疑問点???がいっぱい出て当然だ。


一つでもたくさん理解して、満足感を胸に最終日を迎えて欲しい。



今回参加してくれた小学生に、3泊4日の夏合宿最初の夜からホームシックになった子がいた。

1日に1回は電話で母さんの声を聞き、励ましを受けてなんとか乗り越えた。


どうするかなあ…きっと冬は参加しないだろうなあ…と、内心思っていた。

ホームシックはだいたい黄昏時に襲ってくる。冬は早く日が暮れる。夜は長い。しかも、今回は4泊5日とロングだ。


ところが、この子は参加してくれることになった。本人と送り出してくださったご両親の決意をとても嬉しく感じた。



「星くずの村」へと歩いて向かう坂道で、彼といろんな話をした。


「勇気をもってよく来てくれたね。」と励ますつもりで言った僕の言葉に、

彼は「うん、でも…さみしくなったらどうしよう…」と、力なく返答した。


先生とお話ししよう、とか

ときどき電話でお母さんの声を聞こうか?とか

話したのに加えて


「そんなときは、お月様とお話しするといいよ。

お月さまはいつも笑ってこちらを見てくれているやろう?」

と話した。


ちょうど南のまだ明るさの残る空に、上弦の月が明るく輝いていた。

意外にもしっかりした声で「そうやな、それがいい。」と彼は言った。



3日目を迎えた今朝、

「よくがんばってるな!」と声をかけると


「うん、お月さんとお話ししてるもん!今日も晴れるかなあ…」

と、にっこり答えた。


「今夜も晴れや!お月さんは昨日より丸く明るいで!」


可愛いなあ。

彼なりにしっかり闘ってるんやなあ…

と、成長を感じた。

あと2日!頑張れ!




今年もあとわずか。

1年ありがとうございました。

来たる年が皆様方にとって素敵な年となられますように。


もう12月…ですね

森山's Honey Buket 350

「おっ、寒…」

期末テストの日曜勉強会を終え、すっかり真っ暗になった空を仰ぎ、チャリンコにまたがる。


今日もたくさんの質問に付き合った。

「わかったわ!」の言葉を聞くと嬉しい。

テスト本番で解き方をちゃんと思い出してくれたらええけどなあ…


「質問したのとおんなじ問題出てん!せやけど…でけへんかった…」

そんなセリフに、今まで幾度肩を落としてきたことか…



道すがら、換気扇からこぼれ出した夕餉の香りにときおり鼻をクンクンさせつつ、ペダルを漕ぐ。


自宅前にたどり着いたとき、お向かいのお家の壁面が美しく輝きを放っていた。

とても綺麗…クリスマスの電飾だ。

足元にはサンタやトナカイも輝いている。

年長組のおてんばなお姉ちゃんと弟ふたり。

3人姉弟のために頑張って壁に取り付けたのだろう、お父さんとお母さんの姿が目に浮かんだ。

もうそろそろ12月なんや…




日曜の夜はたいてい、食後程なく目が閉じる。

まだ8時になるかならないかからベッドに移動、すぐに意識が無くなる…ということも珍しくない。

調子に乗ってアルコールをあおるのが理由だ。



でも、この日は少し気分が違った。

このところ毎年、忙しい…を理由に、家内にまかせてきたクリスマスツリーを、自分で飾ってみよう!と思い立ったのだ。



僕は遠い昔、夢があった。

クリスマスのとき、家族皆で楽器演奏をすること。

そして、大きなクリスマスツリーを飾ること。



演奏会の夢は… それを夢見ていた当の本人の僕が、家族で唯一なんの楽器も演奏出来ない奴に終わったせいで、虚しく頓挫。バイオリン習ってたときもあったのになあ…(笑)


が、クリスマスツリーの方は夢が叶った。

我が家の息子・娘が小学校低学年だったとき、親子4人でツリーを選んだ。そして毎年少しずつ飾りを買い足したものだった。

子どもたちが大きくなっても、12月になると押入れから引っ張り出され、家族の誰かの手でその年のツリーがずっと飾られてきた。


飾り物を納得した場所にぶら下げられるよう、短い手を精一杯伸ばしたり、背伸びしたり。
何度も脚立に乗ったり降りたりして眺めたり。


さてどれくらい時間が経ったものか…

やっと飾り付けを終えたツリーを前に、レコードを聴いた。


おっと、娘のところに写メを届けておこう!

「今年は父が飾った。旦那さんと二人で見にきてや~」の後に、

「早く孫のサンタさんになりたい…」

と書き添えたい気持ちはグッと我慢した。









前向き思考

森山's Honey Buket 349


「ピピピッー!」

甲高いホイッスルの音が後ろから聞こえた。

ちらりと振り返ると、そのホイッスルは警官が吹いていたものだと気づいた。


可哀想に誰か捕まりよったんか…


何事もなく、原付バイクでそのまま行き過ぎようとしたその時、

「ピピピピッ」と再び鳴らす警官が指差しているのが、まさかの自分だってことに気づいた。


自分が?何故?理由は????



「そこの『止まれ』で、一旦停止されなかったですよね…。確かに減速もしていたし、右方向の目視もしていました。が、ちゃんと脚をついて止まって無かったですね…」


物腰は柔らかく、丁寧な口調ではあるが、
決して「今回だけは見逃してあげる…」的余地が感じられない、毅然とした物言いだった。



万事休す



「2点減点と5000円の反則金が課せられます。」

宣告は事務的で冷たく思えた。(確かに感情移入が多くても困るが…)




嗚呼…

5… 5… 5000円も罰金か…

爪の先に火を灯すような慎ましい生活をしてることを知らんのかい!

普段は近所の子どもたちも納得するほどの安全ドライバーやねんぞ!

世の中にはもっと悪質な奴がおるやろう!そっちを捕まえてくれ‼︎

頼むわ!見逃して!


散々文句や懇願の言葉が思い浮かんだ。(当然口に出す勇気は無い)


「僕の脚は短すぎて地面に届かないんです!って言えば、お巡りさんも納得して許してくれたかもしれんのに…」と、後で中2の女子がアドバイスをくれたが、その時は思いつかなかった。





反則切符を切られ釈放された後、超模範運転で教室に到着してから、考えてみた。


罰金が課せられたからこそ、
もう同じ失敗はしないでおこう!って思えるんや…

あそこで見逃してもらったら、やっぱりまた、同じことやっちゃうよね…


一旦停止だけやなく、スピードも、信号も、
普段まあええか!って感じで勢いで犯してしまっているチョイ違反がある。


もう罰金は懲り懲りや!との思いから、きちんと違反0の自分に変身したらどうだろう?


そうすることで、大きな事故を未然に防げたり、大難を小難に留めてくれたりに繋がるのかも。


きっと今度の5000円は人生の役に立つはずや!
人生万事塞翁が馬…


どこまで、前向きやねん!
と、少し呆れもするが、
今回の失敗を生かすことにしよう。



今から反則金振り込んできます!





PS
振り込み窓口で飴ちゃん3個貰いました。
1個1666円!ありがたく舐めることにします。

学園新聞『COSMOS』まもなく発行

森山's Honey Buket 348


久々に学園新聞『COSMOS』を発行する段取りになり、原稿作成中の日々です。

それに併せて「星くずの村」で3泊4日の夏合宿を過ごした子たちが、帰りの船中で綴った文章も全員分掲載することとなりました。


北日本では紅葉が見頃?というこの時期になって、夏合宿の作文?ってどこか奇異に感じられるかも知れませんが、そこんところは目をつむっといてください。


参加してくれたみんなに、楽しかった夏合宿を振り返ってもらいたい…というのもあるけれど

保護者の方々や不参加だったみんなに
合宿ではどんな経験ができるのか
参加者たちはどんなことを感じているのか…
ってことを知ってもらいたくて
掲載を決めたのです。


合宿の素敵なところもそうでないところも
参加者全員の「生の声」を一切の修正なく
あくまでも原文のまま活字にし、収録しています。
乞うご期待!



本編前のインロトの部分だけ、予告編としてアップしておきます!




2017年夏3泊4日で開催された「星くずの村」での夏合宿。参加した皆さんの感想文をお届けします。ご覧ください!


大都会大阪の日常では体験し難い「未知の時間」がそこにはいっぱい。

蝉の声が響く中での学習。

煌めく満天の星を仰ぐ天体観測。

海辺の生き物を手にしたときの不思議な感触。

降りしきる陽光の元、20キロを歩き切ったオリエンテーリング、そして登山。

大海原を行く5kmのボートツーリング。

空中高く舞い、水しぶきを立てたプール。

キャンプファイヤーの炎を囲み、各班趣向を凝らしたリクリエーション。

美味しかった夕餉そしてすき焼き。


クラスや学年の枠を超えて広がったコミュニケーション。



知らなかったことを知る喜び。

出来ないって思いこんでいたことを乗り越えたときの自信。

小さなことの蓄積でいい。

どうか素敵な想い出を語れる大人になって欲しい。


※全ての表記は生徒の皆さんの感想文原文に忠実にしています。お見苦しい点はお許しください(笑)




そんな『COSMOS』間も無く完成です!
出来上がったらみなさんのお手元にお届けしますね。

匂い袋

森山's Honey Bucket 347


金木犀の花が香る頃となった。

人によって好き嫌いは分かれるようだが、僕はこの香りが好きだ。

教室の東隣のお家に大きな金木犀の木があるので、吹く風が爽やかになって来たこともあって、窓を全開にし、香りと風を楽しみながら授業をしている。



秋に漂うこの香りが、まだ金木犀という植物によるものだと知らなかったほどの昔。
好きだった女の子から金木犀の香りの匂い袋をもらった。
甘く豊かな香りのする小さな巾着袋の中をそっと覗くと、橙色の小さなかけらがたくさん入っていた。


好きだった子から、手作りの匂い袋をもらう…って、それは何?うまくいったってこと?
などと思ってくれたあなたに、正直に言う…



転校することが決まった僕が、意を決して書いた「告白」の手紙に、その子が返事の手紙をくれた。
その手紙に添えられていたのが金木犀の香りの小袋だった…ということ。



遠くへ行っても元気でね

yours ever



手紙には僕が期待していたような言葉はなかった。


だから…、金木犀の香りは、初恋が実らなかった切ない想い出を、この時期微かによみがえらせる。



あれから43年か…

まあ、想い出というのはたくさんあるほうが、きっと幸せなのだろう。









常識?

森山's Honey Bucket 346


小学1年生の秋の遠足。

行き先は枚岡公園。


僕はそこで自分史中「三大決闘」のひとつにあたる古川君との死闘を演ずることになる。


取っ組み合い引っ叩きあいそして泣きあった。


原因はドングリの取り合いだった。


見つけたドングリを巡り、互いが「ぼくのドングリや!」っと譲り合わなかった末の大げんかだった。



だいたいはこういうことだったのだろう…


素敵なドングリを見つけ「いいな!」と思った瞬間に、別の子にそのドングリを取られた。


「おまえがいま手に取ったドングリは、おまえが拾うより前にぼくが『いいな!』って見つけてたんや!」言い分はこんなことだろう。


理屈から言えば、先に拾った子の方が、ドングリを見つけたのも早かったはずである。


でも、この子からすれば、あくまでも自分が見つけたのもをおまえが後から横取りした…と言うことになる。
この子の中では正しい主張なのだ。


ぼくと古川くんのどっちがどっちだったのか、51年も前のことで思い出せない。


それぞれ譲ることのできない正義をかけた決闘だったわけだ。



人の「主観」とはそんなものだ。



幼い子どもに限ったことでなく大人だって、人は主観を元に善悪を判断する。


自分が正しいと信ずる立ち位置に固執すれば、必然的に相手が間違いという結論しか出て来ない。





「主観」が近隣の者の援護を受け、いつの間にか鎧をまとい大手を振って歩き始めると、その人にとっての「常識」が出来上がる。



ぼくは今まで幾度となく、「君の行動は常識が無い!」という言葉だけで生徒諸君を叱ってきたことがあった。

短期決着を目指すあまり、自分が正しいと信ずる「常識」を振りかざす一方、説明や指導が欠落していた。

正しい叱り方ではなかった…と今さらながら恥ずかしい。




何が常識で何が常識ではないのか…は人それぞれ千差万別なのだ。



良き指導者を目指すのならば、自分の考えを伝えると同時に、相手の持つ「主観」を確認し、ときに議論する覚悟も懐に持っておかねばならない。























果報者です。

森山's Honey Bucket 345


19:40

中3理科の授業で実験室に上がると、カーテンが閉まっている。

扉を開け、カーテンをひらくと部屋は真っ暗。



せーの

ハッピーバースディ ツゥユー ♬ ♪ ♪

もりもり、お誕生日おめでとう!



まったく予想していなかったので感激ひとしお。


おまけに、似顔絵を囲むようにみんなが書いてくれたメッセージまでプレゼントされた!



「今日は判定テストね~」と宣言するのが若干ためらわれた(笑)





このところ、子どもたちと一緒に居ても
“どこか寂しい感”を味わうことが多かった。


子どもたちに悪気がないことも、また特別意地悪をされているわけでないことも、分かってはいる。


でも、以前には気づくことのなかった
“子どもたちとの距離”を感じ、無性に寂しいなあ…と唇を噛みしめることがちょくちょくあったのだ。


より歳若い先生方や助手の先生方への嫉妬心…とも言えるだろうか…



もう、この仕事もそろそろ引き際か…
でも、未練は残るし…

おっと、生活出来ん‼︎



今日の子たちは…
ひょっとして
そんな僕の寂しげな後ろ姿を日々感じてくれていたということなのか?


だとしたら、ますます優しい子たちだ…


たしかに元気をいただきました。

ありがとうございました。




真也先生をはじめとする専任の先生方にも

僕の大好きな鳥貴族で、テーブルからこぼれ落ちんばかりの皿数の大祝宴を開いていただきました。ごちそうさまでした。





来年の誕生日まで生きてられるんかいな?

ふとそんな不安もよぎりるほど、自身が果報者であると感謝できた1日でした。




















蟻になる

森山's Honey Bucket 344


山の中では人は蟻のようになる。

人は山でだんだん小さなものになり始める。

大きな自然に包まれて、解放され、興奮する。


深い霧の中を歩いていて、突然視野が開けることがある。

思うがままにならないこともまた山の魅力のひとつだ。


つらさも楽しさも分かち合うから、一緒に山を歩くと、その人との距離が近くなったと感じる。



自分の言葉のごとく書いてしまったが、実は山に魅せられたある随筆家が、著書でこのように語っている…と新聞のコラムにあったのだ。




ハイキングとも言えるほどの登山経験しかない僕だが、この夏は心に残る山行きを3つもすることが出来た。


①合宿で小学生諸君と登った寒霞渓登山

②お盆の休みに家族と登った白馬の八方池

③里帰りした娘と登った金勝アルプス天狗岩



どの山も、滴る汗と格闘しながら、ゼーゼーハァハァの時間だったけれど、一歩ずつ歩みを重ねたご褒美かな?頂上からの展望は最高だった。

そして、一緒に登った人たちとの距離も心もち近くなった気がした。




























イ・ノ・シ・シ

森山's Honey Bucket 343


育英西中学の合宿最終日、朝に担当の授業が無かったので、夏合宿で小学生たちが登る予定の「寒霞渓から星が城山」への遠足登山の下見をすることにしていた。


「寒霞渓」は日本三大渓谷美と称せられる名勝地で、小豆島最大の観光地。
「星が城山」は小豆島一の高峰である。



遠足の行程

まず麓の石門堂から標高差390mを1時間少しかけて寒霞渓まで登る。通称「裏八景」。花崗岩が侵食された奇岩が楽しめる。

寒霞渓では中休止。
渓谷美を堪能し、クールダウンも兼ねてお土産物屋を覗き、水分やエネルギーの補給後、名物?1億円のトイレで用を足して、後半の登山に挑む。

目指すは小豆島最高峰、かつ瀬戸内海で最も標高の高い「星が城山(817m)」。休憩ポイントからはあと標高200mと少しを登る。


山頂には昔の要塞跡があり、開けている。

そこに立てば、眼下にはたくさんの島が浮かぶ瀬戸内の景色が広がり、遠くには讃岐山脈越しに四国山地の山々も一望できる。


山の緑。空と海の青。眩しい陽光。麓から駆け上がる風。


汗をかき息を切らせて登った後には、これらのご褒美が待っているのだ。

きっと子どもたちも喜んでくれる…



そんな遠足を安全に成功させるためにも下見は欠かせない。


チャンスは育英西合宿の最終日だった。
6:00には登り始め、10:00迄には「星くずの村」に戻って、閉校式に参加する計画を立てた。



5:00に起床、用意を済ませて出発地点へ移動。

5:50 目指す「星が城」へ向け登山をスタートした。


早朝の朝靄に包まれ、石畳の箇所は足が滑るところがある。しかし子どもたちを引率する時間帯は大丈夫だろう…

6:40 寒霞渓着 誰もいない寒霞渓は初めてだ。1億円のトイレはこの時刻まだ自動扉が開かない。まあ、想定内。


寒霞渓そばの三笠山から星が城西峰を経て主峰の東峰へ。地図看板を確認していると、登山道ではなく遊歩道となっている。
「ゆっくり歩いて40分!」なるキャッチコピーもあった。


ずっと登りが続くが、遊歩道だけあって歩きやすい。頭上は左右の大木の葉が生い茂り緑のトンネルになっている。
夏の炎天下、緑のトンネルは子どもたちを守ってくれるに違いない。


これはいいコースだ。


そんな思いで歩き続けていると、遊歩道の左右の土が不自然に掘り返されたような跡が多く見られる場所に来た。

そしてその不自然な掘り返し跡はほぼ途切れることなく連続的に行く手に続いていた。



ゾワっとする感覚があった。

もしかして…

程なくして勘は的中していたことを知る。



進行方向の左側の草だか小枝だかがガサゴソ鳴った。

と、ほぼ同時に豚の鼻音そっくりのブーブーという鳴き声が、間近から聞こえた。


ついに遭遇してしまったかっ!

全身に緊張が走った。

イノシシだ!


相手を刺激してはならないと聞いていた。

走って逃げることはもちろん、立ち止まって武器を片手に挑んで行く…ようなことは厳禁らしい。(勿論そんなことはよーしないが…)


自分なりに冷静を装いゆっくり歩みを進めながら、必死の思いで左側に意識を集中させていた。

その時、藪の音と鼻音が大きく鳴り、見ると大きな影が左奥に流れていった。

驚き立ち止まる僕の目の前を、今度はウリ坊(仔イノシシ)が右から左に猛スピードで遊歩道を横切って行った。さっきの大きな影の鼻音主を追って行ったように思えた。


行く先の道にはまだイノシシが掘り起こしたのであろう土塊が続いている。


でも、ここで引き返したのでは、下見を終えられない。
戻る道にもイノシシ、行く道にもイノシシの危険を感じ、先ほどまでかいていたのとは違う種類の汗でびっしょりになりながら、とりあえず山頂を目指すことにした。



薄曇りの山頂だったので眼下の絶景は拝めなかったが、吹く風は涼しく汗を入れることができた。


麓の駐車場迄は、身の安全のため大回りになるがドライブウェイを歩いて戻る選択をした。



捨てがたいほんとうに素敵なルートだった。

しかし、子どもたちを危険な目に合わせるわけにはいかない。

少なくとも「寒霞渓」から「星が城」迄のルートは変更しなくてはならない。



下見の大切さを思い知った今回の経験だった。

素敵な夏にしたいなあ…

森山’s Honey Bucket 342


用を思いついて、2階の実験室から1階の職員室に降りてくる。

自分の机の前に来て

はた

自分は何をしに(何を取りに)ここに降りて来たのか…


時に自分でもおかしく

ときに腹立たしく

でも思い出せないものは思い出せない。



日常におけるこんな場面が、確実に増えた。




記憶力がこのレベルなので

最近は努めて、為すべき仕事をメモに書き留め、いつでも目につく場所に置いている。


思い付いたら間髪入れず書く。

時間が経つと、何を書き留めるべきかを思い出せなくなるからだ…



ひとつ終わればひとつ横線で消す。


横線を入れる瞬間は細やかな満足を感じる。

「やったぞ!」って




でも、夏を間近に控えたこの時期

終了済のチェックを入れる倍以上の速さで

やるべきことのメモが増えていく。



うちの先生方皆忙しい。

それぞれがしなくちゃならない仕事に追いかけ回されている感じだ。
(特に信ちゃんは仕事が好きすぎて帰らない笑)




でも職員室から笑顔と爆笑が絶えないのは


やっぱりみんな、今年もやってくる「学園の夏」を心待ちにしてるからなんだろう。


子どもたちの成長に、ちょこっとは役立てる僕らですように…


「わたしは急がねばならぬ」か…

森山's Honey Bucket 341


つい先日、新年を迎えたばかりな気がするのに、
もう半年が過ぎ去ろうとしている。

光陰矢の如し

光陰の光は太陽すなわち日、陰は月。
まさに月日は矢のように飛んで行った。




かつて60歳を迎えられる頃

ヒゲ先生は『私は急がねばならぬ』という表題の文章を学園新聞『航跡』に寄せられた。


過ぎ去る時の速さを身に感じつつ、
自分のなすべきことの多さを綴っておられた。


自らを奮い立たせるその文章の内容のとおり

まさにその頃から

学校週5日制の土日に子どもたちに有意義な経験をさせるべく、「星くずの村」実験学校を開設されたり


全国の塾長に「JJT運動(塾で実験を楽しむ会)」を呼びかけ、この国に理科実験を広めるべく東奔西走されたり


時を惜しんで、大きな仕事に挑んで行かれた。



ヒゲ先生はこんなことも仰ってられた。

「僕はよく、歴史上の偉人とされる人物が今の自分と同い年の時に何をしていたかを考える。
すると『小生もまだまだ間に合う!』と自分を叱咤激励することができる。」

と。


「斃れて後已む(たおれてのちやむ)」のことわざ通りの人生を送られたヒゲ先生。


尊敬すべき人生を送られたヒゲ先生を思う一方、では自分は?と、このところの我が歩みを振り返ると…
ふーむ、「穴を見つけて入る」しかない…


が、しかし、僕もヒゲ先生の薫陶を受けた教え子の一人なのだ。すねずめげずあきらめず「人様の人生に役立てるよう」もう少し頑張ってみよう!


頑張れ俺!頑張れ56歳9ヶ月!


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