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藤原学園の『年中夢求』日記

〜今日も顔晴るみんなへ〜

流れ星

森山's Honey Buket379


午前1時帰宅
「今日はちょっと遅くなったなあ…」


原付バイクを家の前停めた時
「そうだった…」
と思い立って、自宅そばの三角公園に向かうことにした。


ヘルメットこそ取ったものの
他は防寒の重武装のまま、
仕事道具の入ったリュックも背負ったままだ。



ふたご座流星群の夜


月明かりのない夜空には
東から延びる雲もあったが
ふたごのポルックス・カストルも
冬の大三角も
天頂のカペラも
くっきりと輝いていた。


ふたご座を視野の真ん中にしつつ、
東から南に至る夜空を広く見ることが出来るよう頭の方向を定めた。


待つこと5分?10分?
あまりの寒さに心が折れそう。


あと100数えてダメならきっぱりあきらめよう。

結局108まで数え
もうプラス20ゆっくり数え
ダメだったので
自宅に戻る決心。


歩きながらそれでも頭は空に向けたまま(笑)
あと10歩で家という時、


閃光が目の前を駆けていった。


寒空の中、懸命に空を仰いでいたのが報われた一瞬だった。



流れ星は美しい


それを見ようと一途に想う気持ちが乗り移った分、美しさが増すのだろう。





今朝の新聞の「折々のことば」に

「言葉は、それを聴こうとする耳にしか届かない。関心のない人には、どれほど情理をつくし語っても伝わらない。」

とあった。


目も耳も
心と連動しているということだ。


一心に見
一心に聞く


自分にとっての宝物を探すには
そんな姿勢が必要ということか。



悩みは尽きない

森山's Honey Buket378


冬の入り口頃が多いかなあ…

夜中?暁の頃?
ふと目が覚める。

夢の中身に動揺して目覚め
そして
考えていると暫く眠れない。


その中身は
前日または近日にあった
子どもたちや
保護者の方との
ほんの些細なやりとり。


そのやりとりの言葉には
どれも


厳しい口調のものも
不平の台詞も
批判も

無い。



しかし、それは

自分の仕事を振り返らせ
これでよかったのか?

と立ち止まらせてしまう瞬間を作る。



だから
夢に出てくる。


不思議と
やりとりをしているリアルタイムより
夢の中の自分や
その夢で目覚めた自分の方が、
その事実と真剣に向き合っている。


今朝は朝焼けが美しかった。


次の授業で打つ手は何か?
どう接し、何を語り掛ければ良いか?


今回は
比較的短い時間で
〝こんなふうにやってみよう!〟
が頭に舞い降りた。



夢を見、悩んで、自分を言い聞かせ…

一連のことがまた
ひとつの夢になるかのように
再び眠りの中に入ることができた。



それにしても
何年この仕事やってんねん!俺は…
いつまで悩むねん…


また髪の毛が抜けていった(はずだ)。



























お幸せにね

森山's Honey Buket377


式場に敷設されているチャペルでの結婚式には何度か参加させてもらったことがある。自分の娘の時もそうだった。

しかし正真正銘?教会での結婚式は久方ぶりだ。

堺教会を訪ねるのは初めてだったが、とても立派な教会だった。



挙式に先立って、牧師さまから、結婚式は新郎新婦のみならず、ここに集う全ての人にとって神聖なものと受け止め、式中の写真撮影は慎しんでください。
お二人の退場の時にたくさん撮ってくださいと…確認があった。

バージンロードを進む花嫁とお父様や、二人の指輪交換などは、瞼に焼付けるより他ないんだなあ…と思いながら、スマホの電源を落とした。


教会の凛とした空気が、一参列者である自分をも緊張感で包んだ。


これより結婚式を執り行いますとの牧師さまの言葉とともに、パイプオルガンの重奏な調べが教会に響いた。

いよいよ新婦の入場となり、ますます緊張の度が増す。

カメラを通すのではなく、バージンロードの新婦とお父様の歩みをつぶさに見ていたからだろう、あっという間に熱いものがこみ上げてきた。


新婦の手がお父様から、祭壇の前で待つ新郎へ託された。おっと、またまた心が震える。

今日一日いったいどれだけ感動することになるのだろう…


賛美歌312番 「いつくしみふかき」を参列者で合唱。

僕の父母が生前よく二人でハモっていたのを思い出し、またも涙腺が…
堺で青春を過ごした父母はきっとこの教会に幾度か足を運んでいたに違いない。
鞄の中に、父母ふたりの写真を忍ばせて来て良かった…なんて思った。




そしてふたりはそれぞれ、神と皆の前ではっきりと誓いの言葉を宣言した。


指輪交換。
ここでも僕はまた勝手に緊張。

落としたらあかんで!
指間違えたらあかんで…

落としたり間違えたりすることになんて無いはずなのに、要らぬ心配をしてしまう。

無事終えられた…ホッ。そして追っかけで感動…



牧師さまは、ふたりの結婚を皆に報告された後、ご自身の言葉でふたりに祝福のメッセージを贈られた。

そのお話の中で特に印象的だったのは…

「パートナーの人生において、自分は脇役であることを忘れてはいけません。

自分は良き脇役として、この人の人生の応援が出来ているか…と、ときに顧みることが大切です。」



往々にして、パートナーの人生なのに自分が主役然と振舞ってしまうことがある。
僕自身を振り返りつつ反省したり、いやいやとそんなことはきっと無かったはず?と打ち消したり、とにかく誰もの心にも届く、大切で素敵なお話をしてくださった。


ちなみに僕の知りうる限り、今日の新郎は殊の外誠実な方だから、パートナーとなられる彼女のことを一生大切にされるに違いない。



結婚式後、時と場所を移しての祝賀の宴。

新郎新婦が心を込め、おそらくかなりの時間を掛けて準備されたのだろう、細やかな配慮がなされた披露宴だった。
ここでもいっぱいの幸せを感じさせてもらった。


ご両親に、ビールを提げてご挨拶にあがったとき、お母さんが「息子の進路懇談のとき、先生が書いてくださった赤ペンのメッセージを今も大切にしています。先日も読み返しました…。息子をずっと応援くださってありがとうございます。」と話された。
びっくりするやら嬉しいやら恥ずかしいやら。

でも息子の晴れの日に、わざわざこのお話をしてくださったのだから、素直に喜んで感謝しよう。



園長も記しておられたが、披露宴にはたくさんの新旧スタッフが招かれていた。
久しぶりにお会いできた方もいて、それも併せとても素敵な時間を頂けた。


朝から夜まで、ほんとうに素晴らしい一日だった。



最後になったけれど

山中ちゃん 真実さん

どうか末永くお幸せにね。

ありがとうございました。





















往く道

森山's Honey Buket376


義父は満89歳。

元小学校の校長先生であったからか、退職後おおよそ30年、毎朝夕の登下校時には必ず家の前に立ち、子どもたちに「おはよう。」やら「お帰り。」やらの声をかけながら、通学の安全を見守りを続けてきた。

同年代の親類の中でも際立って健脚で元気溌剌な父だった。

しかし、このところ少し気弱になって来たようだ。

それというのも、自慢の足腰が意のままにならなくなってきたからだ。

車椅子のお世話にこそなっていないが、このところ歩行時の杖は必需品となった。


そんな父に、たとえ車窓からでも美しい紅葉を見てもらえたら…と、家内が「比叡山辺りのドライブに行かないか?」と声を掛けた。

すると父は「大台ケ原に行ってみたい。」と返答したらしい。

「お父さん、大台ケ原はもう落葉していて、紅葉狩りには遅すぎるよ。」と家内が話すと…

「紅葉はいらん、わしは大台に行きたい…」と義父。


そんなこんなで、義父母と家内と僕の4人で、先の日曜日に大台ケ原に向かった。


幸いにも天候は快晴。秋晴れのドライブ日和となった。



終着点「大台ケ原ビジターセンター」へは国道169号から脇に入って約20キロのドライブウェイを走る。

ドライブウェイと言えども山道。対向車が来たらどうして行きかおうかとドキドキする小径も含まれる。

麓の谷間付近はまだ美しい紅葉が陽光に輝いていたが、山道を走り進めるうちに落葉した裸の木が目立ち始めた。


そんな道をかれこれ20~30分登った辺りに、西に大きく展望の広がった駐車スペースがあった。


父は「ここで車を停めてほしい。」と言った。

そこからは世界遺産「大峯奥駈道」が尾根に走っている大峰山系の雄大な風景が広がっていた。


「この景色が見たかった…」と父は満足そうに呟いた。


かつて自身も駆けた奥駈道。

若かった頃に夫婦一緒に眺めた大峰の山並。


「あそこが行者還、その隣が弥山そして八経ヶ岳…」と父は遠い目をしながら指差した。


父はここからの景色が見たいと強く思っていたのだ。


ややして終着点大台ケ原に到着したのち、父に

「今日はありがとう。よく連れて来てくれた。僕はもう大台ケ原に来られることはないと思う。今日はほんとうに素敵な時間だった。」と礼を言われた。


ふいに寂しくなった。


そしてこれからも父が再訪したいと思える場所を一つでも多く尋ね、出来るだけ一緒に出向きたい…と強く思った。


















格好良い中1!

森山's Honey Buket375


学園の中1生にK君という男の子がいる。

この子はなかなかの秀才だ。が、僕が思うに、成績より遥かに抜きん出て凄いなあ…と感心することがある。

絵心というか芸術的なセンスが人並みはずれている。


彼の手にかかれば、北朝鮮の彼の方も、アメリカの某大統領も、1~2分間でリアルな姿を現す。







また、彼はいつも愛用のカメラ持参で学園に来ている。

たしか小6の誕生日にお父さんからプレゼントされたと言っていたかな?とにかく本格的な一眼レフだ。

通塾途中にふと心の目に留まった風景を収めたり、実験中も気に入った現象や色彩を記録したり。

塾にも持参するくらいだから、土日は何処へ出かけるのにもカメラ片手は必然らしい。

きっと一瞬のシャッターチャンスを逃したくないのだろう。

そんな彼と先日ライン交換したのを機に、「君の撮った写真のうちのいくつかをラインで送ってよ!」って頼んでみた。帰宅後パソコンから届けてくれたそれらはまさに作品レベル。僕は言葉なく唸るほかなかった。

(本人には既に断りも入れたので)この場を借りてその一部を掲載させてもらうと…























僕も写真を撮るのは好きだ。でも、ど素人の僕でさえ、自分の写真と彼の写真ではレベルが全く違うことは分かる。


世の中には才能を持った人っているんだなあ…

才能と年齢って関係ないんだなあ…

いろいろ感じた。



でも彼はこう言っていた。

「写真や絵の勉強はこれからもずっと続けたい。
一生の大切な『趣味』にしたいんだ。」と。



職業にしようとは思ってないのか…

ちょっぴり惜しいような、でもやっぱり彼の考え方のほうが素敵なような…


中1の男の子のいろんなところに感心してしまう僕だ。格好良い!

美しすぎる!

森山's Honey Buket 374

実験学校翌日の月曜日、お休みを頂いていたので、夫婦で出掛けることにした。

遊歩道が復活した箕面の滝へ行こうか?それとも能勢の妙見山に行こうか?
はっきりと行き先を定めぬまま、取り敢えず北西へ向け出発した。

阪神高速を大阪城辺りまで走ったとき、嫁が「天滝の紅葉が見頃って言ってた…」と呟いた。


天滝は兵庫県養父市にある滝で、「日本の滝100選」にも選ばれ、兵庫県一98mの落差を誇る名爆だ。

以前ホタル観賞に行く途中立ち寄ったことがあり、その威容に心奪われたことを覚えていた。

「少し足を延ばしてみるか!」と、相談がまとまり、急遽行き先を変更した。



ほぼ満車状態の天滝駐車場に辛うじてスペースを見つけ、そこに降り立つと、もう正午だと言うのに早朝の様な冷気に震えた。

ここからほぼ40分、天滝渓谷を上流へと登って行く。息の上がる箇所もあったが、随所に見所の滝が現れたり、山の木々の紅葉が目を楽しませてくれたたりしたので、苦痛なく足を進めることが出来た。


到着。

「天から降り注ぐかのような滝」まさに「天滝」

紅葉の赤や黄

空の青

流れ落ちる滝の白


美しすぎる自然にしばし見惚れて、そして無心にスマホのシャッターを切った。








もしあなたがまだ天滝をお訪ねでないなら、どの季節でも良いので、一度ご覧になってください。




さて、美しすぎる…と言えば、次回12月の「星くずの村」実験学校は「美しすぎる実験スペシャル!」だ。


結晶の美しさ



光の反射織りなす美しさ



幻想的な淡い灯の美しさ



幾何学的な造形の美しさ



そして降るような星空の美しさ




などなど


(天体観測を除けば)どれも実験・実習によって「科学的&造形的な美しさ」を堪能してもらうつもりだ。

どうぞご期待ください。



紅葉・滝・青空・星空・山・流れ星…自然の織りなす美しさにも…
また、人の手によって科学的に造形されたものの美しさにも…
どちらにも心動かされる子どもたちであってほしいと思う。














ドングリコロコロ

森山's Honey Buket 373



ドングリコロコロ♬の季節到来だ。


小学1年の秋の遠足で枚岡公園に行ったとき、人生初の叩き合いの喧嘩をした。

相手は同じクラスのH君。
「これは僕のドングリや!」とお互い譲らず、口論の末の刃傷沙汰になったのだ(笑)
懐かしい。



ドングリって、形?色?艶やかさ?顔つき?どうしてあんなに可愛く思えるのだろう?


週末の実験学校の低学年向けの授業に「星くずの村」のドングリで「トトロ」を作ろう!というのがある。


授業担当は学園が誇る美の巨匠N理先生。
彼女の試作品を眺めたが、「さすが!N姫!」と思わず唸る。






低学年の子たちの作品も楽しみだ。



さて、ドングリの中には美味しく食べられるものとそうでないのがある。

食べられないのはタンニンが多く渋い。クヌギのドングリはこれだ。


美味しい方の王様は「栗🌰(ニホングリ)」。これはドングリの兄弟分だ。


それ以外ではシイ類のドングリ(スダジイやツブラジイ)はかなり美味しいらしい。


星くずの村には「マテバシイ」というのがある。
マテバシイの語源のひとつに「待っていればシイのように美味しくなる!」って昔の人が信じてたってのがあるらしい。面白い。





今回実験学校では環境教育学会のZちゃん先生が、このマテバシイを使ったクッキー作りの指導をしてくださる。

「星くずの村」の収穫物、マテバシイの味わいに期待したい。







趣味に想う

森山's Honey Buket 372

熱心な趣味と言えるほどではないけれど、毎回、次を心待ちにしていることが3つある。

「温泉旅行」「ボウリング」「山登り」だ。


「温泉♨️旅行」は、家計のやり繰りとの関係で、一泊二日を年に一度とか二度とか。

温泉地の自然の景観に触れ、ご馳走をいただき、まったりと温泉に浸かる…。たいてい4回は湯船の人になる(笑)

その都度、生きてて良かったと幸せを感じる。




「ボウリング🎳」は最近絶好調?だ。
直近9ゲームのうち4ゲーム200アップ!
まあ、それは格好良すぎる表現で、200超えた次のゲームが120点台なんてこともしょっちゅうだけれど(笑)

たまに出る良いスコアを糧に、しばらく継続して取り組めそうな気がする…

そう言えば僕らの通う「健康ボウリング教室」、始めた頃は細々10名弱だったのに、今や水曜午前のコースだけで18レーンが埋まる人気になった。

この勢い、うちの学園もあやかりたい…




もうひとつの趣味「山登り」

木々の移ろいや、可憐に咲く花、はたまた鳥のさえずり、沢を流れる水音…に心を奪われながら、一歩また一歩と山の頂を目指す。

山頂に辿り着いたときの達成感とそこからの眺めは最高だ。

行き交う人との間で会話が弾むこともあり、年長の方の人生に触れ、素敵な想いをすることもしばしばだ。




心身の健康に良いことは間違いなしの登山なのだが…

先日登った武奈ヶ岳で、自分の限界?をみた気がした。

武奈はお気に入りの山で、既に10回程は登ってきた。が、今回は今までになく下山に苦戦した。

浮き石やザレ、先日の台風によるおびただしい倒木。最後に1時間連続する急坂の下りに足も心も悲鳴を上げた。

「まだか…まだか…」これほどゴールを待ち望むというのは、もはや苦行とさえ思えた。


今まで下山後には、振り返って「今日もありがとうございました。また来ます。よろしく!」と山に挨拶をしてきた。

しかし、今度ばかりは「また来ます!」の爽やかな挨拶が出来ないままとなった。

もうこの山に登ることはないかも…今はそんな思いすら抱いている。



これからの人生、登山に限らず色々な場面で、今まで出来たことが出来なくなる…という現実に直面することだろう。

その都度心萎えることもあるに違いない。



でもマイナス思考ばかりではつまらない。


初めて自転車に乗ることが出来たあの春の日のように、それまで不可能だって思っていたことが、突然出来るようになることだってあるかも知れない!

そう信じよう!


弱気になったり、そんな自分を叱咤激励したり、ひと昔前とは違う自分を今、生きています。




小学生からのプレゼント

森山's Honey Buket 371

ジュニアサイエンスコース5年生のM君に、それはそれは素晴らしいプレゼントをもらった。

「これは君自身が大人になるまで大切に持っておくべきものだ…」とプレゼントしてもらうことは固辞していたのだけれど、結局は彼の熱意に甘えて、頂くことにした。


そのプレゼントとは…


夏休みに彼が『自由研究』で取り組んだ「チリメンモンスター さがせ!」だ。

大作の一部を写真で紹介すると…












作品のページはまだまだ続く

実によく調べ、写真やイラストを加えながら上手に仕上げている。

圧倒的に数多くの“モンスター”を見つけた根気も見上げたものだ。


実は夏休みに入る直前のジュニアサイエンスコースの授業で、チリメンジャコの中にいるカタクチイワシの稚魚以外の海の小さな生き物(チリメンモンスター=岸和田自然資料館命名)を探そう!という実験をした。

その時も子どもたちは、各自ターゲットのモンスターを熱心に探したり、図鑑資料と首っ引きになったりと、熱心に取り組んでいた。

かのM君は「タツノオトシゴを見つけたい!」と張り切っていたが、ついに見つけることが出来ぬまま、終了の号令を迎えてしまった。何せ授業70分、そのうち調査に充てた時間は50分弱だったのだから…


どうやら彼はこの授業をきっかけに、チリメンモンスターを夏の研究課題のテーマにし、もっともっと詳しく調べてみたい!と考えたようだ。


学園で取り組んでもらう理科実験や科学工作などが、子どもたちに興味を起こさせたり、より深い学習を始める動機になったりすれば良いなあ…と、学園長や先生方と常々話している。

格好良く言えば、「チャンスを与える!」のが僕たちの大切な仕事なのだ。



そういえばかつて実験学校で人生初となる釣りを体験し、たまたまフグを釣り上げたことが、海の生き物たちへの興味の入り口となった女の子がいた。

その後彼女は、苦心して手に入れた何匹かの「タツノオトシゴ」を相手に、その生態をつぶさに観察・研究し、第一席の「大阪府知事賞」を受賞した。

「すべての始まりはあの時の釣りでした…」と語ってくれた当時小5だったOさん、今はどうしてられるかな?



この週末は、学園60余年の伝統行事である「お豆の大変身!豆腐を作ろう!」が開催される。

手作りのお豆腐やお味噌汁やおからの美味しさを堪能するととも、「食と科学」に興味を抱いてくれる“豆?科学者”が現れてくれることを期待したい。

『リメンバー・ミー』

森山's Honey Buket 370

1年ぶりくらいでしょうか、駅前のレンタルDVD屋さんを覗いてみました。

何か当てがあったわけではなかったので、ぶらり店内を歩きながら、陳列棚の作品を手に取っては、裏に書かれた作品紹介を斜め読みしていました。

これにしよう!

決めた作品はディズニー映画『リメンバー・ミー』。

『カーズ3』などを手掛けた監督やスタッフが力を注ぎ、昨年度のアカデミー賞・長編アニメーション賞も受賞したとのことでした。




もう感動しまくりました。

映像の美しさへの感動もさることながら、家族・生と死などについて、改めて考え直すことの出来る内容で、とても素晴らしい作品でした。


もし、学園生や卒業生の貴方がまだ『リメンバー・ミー』をご覧になってられないなら、どうぞ。めっちゃお勧めしたい映画です。





ディズニーの公式サイトも参考に、映画のあらすじをここに記しますね。


主人公は、ラテンアメリカのメキシコに住み、ミュージシャンを夢見る、ギターの天才少年ミゲル12歳。

しかし、《家族の掟》によって、ギターを弾くどころか音楽を聴くことすら禁じられています。


ある日、ミゲルは古い家族写真をきっかけに、自分のひいひいおじいちゃんがメキシコ伝説のミュージシャン、デラクルスではないかと推測し、自分に流れるミュージシャンの血を確信します。


家族の掟に背き、音楽を愛するミゲルは、ある日屋根裏部屋に隠していた手作りのギターをお婆さんに見つけられ壊されてしまいます。


そこで、「死者の日」(亡くなった人が1年に一度この世に戻って来れる日)に、憧れのデラクルスの廟に忍び込み、飾られてある彼のギターを持ち出してコンクールに出ようと企てました。


しかしどうでしょう…ミゲル少年がデラクルスのギターを手にしてつま弾いた瞬間、先祖たちが暮らす“死者の国”に送られることとなります。

「死者の日」に故人の物を盗もうとしたからです。



死者たち(ガイコツたち)が暮らすその場所は、夢のように美しいテーマパークのような世界でした。この世界で、ミゲルは憧れのひいひいじいちゃんを探そうと決意します。

しかし「死者の国」に迷い込んだ命ある者は、次の日の日の出までに元の世界に帰らないと、体は消え、永遠に家族と会えなくなるというルールがありました。


唯一の頼りは、陽気だけれど孤独なガイコツのヘクターだけ…
彼は今も生きる家族(娘)に会いたい…ただそれだけを願うガイコツでした。


けれどこのヘクターにはあるタイムリミットが近づいていました。

「生きている家族に忘れられると、死者の国からも存在が消える(2度目の死を迎える)」という運命です。その2度目の死がヘクターに確実に迫っているのでした。


ミゲルとヘクター…そして彼らの家族をつなぐ唯一の鍵は、ミゲルが大好きな曲、“リメンバー・ミー”。



不思議な力を秘めたこの曲が、時を超えて奇跡を巻き起こすのです。




「この世から居なくなった人であっても、家族が忘れさえしなければ、その人がほんとうに死んでしまうことはない。」

この映画が伝えたいメッセージに僕はとても共感しました。


『リメンバー・ミー』…“忘れないで”…

ミゲル少年の歌声は、切ないけれど暖かい。

幸せな気持ちになる映画を観ることができました。


孫が大きくなったら一緒に見よう!って涙ぐむ僕でした。

長文にお付き合い、ありがとうございました😊





お宮参り ~デブの遺伝子おそるべし~

森山's Honey Buket 369


金木犀の優しい香りが風に運ばれてくる季節になりました。

今年は台風の度重なる襲来に気持ちが落ち着きませんね。次の7・8日に予定している「星くずの村」実験学校もまた、25号の進路と睨めっこしなければならない羽目になりました。



さて、8月末に孫娘を授かって早ひと月。

先日、自宅近くの弥栄(やえ)神社で「お宮参り」をしました。

「お宮参り」には、土地の神様に、出産を無事終えられたことを感謝・報告し、併せてこれからの健やかな成長を願うという意味があるそうです。

出産を無事果たすことやその後子どもを健康に育てることが、昔ははるかにたいへんだったのでしょう…。

あめつちの神への信仰が今より遥かに厚かった時代、出産からひと月たって、お宮参りをするという風習がこの国に始まりそして根付いてきたのも何となくうなづけます。


お宮参りの当日は台風の影響も受け、あいにくの雨でした。
しかし、神殿の中から見るその景色は、雨に煙る境内の様子といい木々の潤いといい、たいへん厳かで、神の在わす雰囲気を感じることさえできました。




祝詞を奏上される神主の声が神殿に心地よく響き、その下に集うわれわれ6人の大人たちの祈りがひとつになって神様に届くように思われました。




2160gと小さく産まれた孫も、ひと月で3459gまで大きくなりました。おおよそ1.3kgも体重を増やしたということです。

「あまり太らせ過ぎないように注意してくださいね。将来のコレステロール値に影響が出るかもしれませんからね…」と、1ヶ月検診で先生からアドバイスを受けたそうです。

さすが我が孫、体重を増やす天分があるようです(笑)





またまた、私ごとのみで今日のブログを終えます。
爺馬鹿でございますねんわ。
ごめんやしておくれやして、ごめんやっしゃ~




ロマンチスト

森山's Honey Buket 368




これ何ていう花かご存知ですか?



ホテイアオイ(ホテイソウとも呼ばれます)です。
夏から初秋に美しい薄青色の花を咲かせる水草(浮き草)です。


このホテイアオイ、実はヒゲ先生がとても好んでおられた植物です。

僕と同年代かまたは先輩の方であれば、昭和45年頃の旧教室の入り口にホテイアオイが幾つも浮いていて、綺麗な花を咲かせていたのを覚えてられないでしょうか?


観賞用としてだけでなく、実験のとき、膨らんで浮き袋の役目をしている茎を縦に切って、中が編み編みの空洞になっているのをヒゲ先生に見せてもらった記憶があります。



30年~10年程前、「星くずの村」の天の川はホテイアオイの楽園でした。その黒い根っこはメダカやヤゴたちの格好の住処になっていました。


しかし、日本庭園が完成した当時(今から43年ほど前)は、「天の川」にはホテイアオイも他の水草もカエルもサワガニもメダカもそしてヤゴも…生き物たちの姿はありませんでした。


少し不思議ですよね?

種明かししますと…


「星くずの村」の中を流れる「天の川」は、自然の川ではありません。人口の川は人口の池が水源でした。

ヒゲ先生は、島が断水に見舞われた時の対策(実際半世紀前は断水は日常の出来事だったようです)で、コペルニクスという名の人工池(20~30㎡程の広さ)を築かれました。

断水時、飲み水以外の生活用水の確保を考えられてのとこでしょう。


しかし、稀代のロマンチストヒゲ先生が、生活用水の溜池造りで終わるはずがない!ですよね。


案の定(笑)、そこから流れ出る「川」、そしてその川の水を下流域で一旦大きな水槽に集め、それをポンプアップして「池の上へと導く水路」を作り、そしてなんと言うことでしょう…コペルニクスに流れ落ちる「滝」と水面から高く立ち昇る「噴水」までこしらえてしまったのです。


池も川も滝も噴水も、元は生活用水となる水の確保が主目的。その水が濁っていたり、プランクトンいっぱい!っという訳にはいきません。

合宿の無い時期は水を抜いておき、いざ合宿で水を張り滝を落とす前には、棒ずり(デッキブラシ)で池底や川底を丁寧に磨くんです。僕ら職員も何度かやりましたが、それは重労働でした(笑)


だから、子どもたちがワイワイとやって来るタイミングには、澄み渡る水が池に満たされて、そこから流れ出る「天の川」も文字通り清流でした。



当時毎年、合宿を終えたお盆の頃に、「蒐英舎総会」という学園の同窓会が、島で行われていました。毎年ほんとうにたくさんの同窓生が集まられ、賑やかな会でした。

総会の最後の夜は、参集した老いも若きも同窓生たちが共にすき焼きパーティーをし、「蒐英バンド」の演奏に酔い、やがてドンチャン騒ぎとなります。

バンドの生演奏に合わせて歌い踊りときには絶叫し、そして1人また1人と人工池のコペルニクスに飛び込んでいきます(笑)。今どきプールでそんな飛び込みをしたら必ず係員に大目玉を喰らうような遠慮無い激しいダイブです!

池で気持ち良さげに泳いでいる人。池の水をバンドメンバーに容赦なく浴びせている人。

中には天の川を下流から上流へ、匍匐前進している猛者もいました。

想い出しても楽しい時間でした。
よく怪我人が出なかったものです(笑)。



そんな清き「コペルニクス」や「天の川」ですが、残った水にカエルが卵を産み落とすようになってからでしょうか?それとも島に大きなダムが出来て断水の心配がなくなったからでしょうか?ヒゲ先生は生き物たちの生活の場に提供されるようになりました。

ほぼ毎週末、島を訪れておられたヒゲ先生は、人工の池と川の水を枯らすことの無いよう気を遣われるようになりました。

そしてやがて、立春過ぎの「カエルの産卵」は「星くずの村」の風物誌となりました。

春合宿では無数のオタマジャクシが「天の川」を
泳ぎまわり、夏にはカエルが大合唱を聴かせてくれました。
メダカだって、ヤゴだって、カニだって…そしてホテイアオイだって…皆、人工の川とは知らず、幸せに暮らしていた気がします。



このお休みに夫婦で、大和三山を巡るハイキングをしました。ふと立ち寄った「本薬師寺跡」にそれはみごとなホテイアオイの広い群生がありました。

その美しさと共に、地元の方々の取り組みを思い、とても感動しました。


そして、ヒゲ先生のことを思い出しました。



長文にお付き合いくださり、どうもありがとうございました。







祝っていただきました!

森山's Honey Buket 367



先日また1つ歳を食いました。

中3の女の子にhappybirthdayの唄を歌ってもらったり、園長やスタッフ仲間・卒業生・友人などからメッセージを届けていただいたり。


「あれ!鍵どこへいった🔑??無い!!」というボケ現象を救ってくれる、最新「鍵探しグッズ」を頂いたり。
はたまた「初孫」という銘柄の日本酒をわざわざ取り寄せてくださる方がおられたり。
お好み焼きにメッセージを添えてもらったり…

今年も身に余る祝福を頂きました。






そして一昨晩には、専任の先生方でパーティーを開いてくださいました。

会場は言わずと知れた「鳥貴族 若江岩田店」

招かれた者であるにも関わらず、率先してメニューを繰っては、じゃんじゃん発注!

「チキン南蛮!モモ焼きタレ・塩!ぼんじり!手羽先!牛串!せせり!つくね!どれも3人前ずつ!」って具合で…

親しき仲にも礼儀あり…やったなあと、あとでかなり反省😂


仲良しメンバーと、何1つ気遣いをせず(笑)、呑んで、舌鼓を打って…

心も胃袋も満たされてた極上の時間を過ごさせて頂きました。


そんな58歳ですが…

先日実験学校の帰りの船の中で、小学生の子たちと「変顔コンテスト?」をしました。

なにごとにも手加減や容赦を加えてはならぬ。子どもたちのためにならない!との確信のもと。真剣勝負を挑みました(笑)

体力は還暦過ぎ、気持ちは小学生、の僕であります。
















ボランティア

今朝は網戸越しに涼しい風が入ってくる。秋の虫の音も耳に心地よい。

さて、西日本豪雨・台風21号・北海道胆振地震が立て続けに日本列島を襲った。

北海道に移り住んだ卒業生があり、気がかりになって連絡を入れた。不幸中の幸い、彼のところは大きな被害は無かったようだ。が、停電が続き不自由を強いられている…とのことだった(その当時)。
たくさんの方が命を落とされたことにお悔みを申し上げます。だだ、教え子である彼と彼のご家族の命が無事だったことは喜びたい。



災害が起こると被災地に復興のためのボランティアの方々がいちはやく集って来られる。

顔や手を泥だらけにし汗水流して尽力される姿をテレビニュースで見るたびに毎回頭が下がる。
被災されたお年寄りが涙ながらに感謝される様子からも、ボランティアの人たちの懸命さが伺える。

しかし、かの方々に、偉いなあ…立派だなあ…といつも感銘を受けるのにもかかわらず、僕は災害復興のボランティアに参加したことがない。
阪神淡路大震災の時ですら、淀川を越え被災地に近づくことはできなかった。


他人の良かれを願い、人の苦しみを少しでも軽減するために、自分の労力と時間と財を惜しみなく提供できる崇高な志を持ってられる人。そんな人のみが、きっとボランティアとなられるのだろう…と、思ってきた。

また、心に傷を負った被災者に寄り添うには、きっと細やかな気遣いも必要となる。そんな配慮のできる方がボランティアに相応しいのだろう…とも。

要は人格者でないとボランティアは務まらん…そんな一歩引いた所から、半分以上逃げ腰で物を見てしまっていた。

自分の可能性の芽を早くに摘んでいたのでは?と思ってしまう。


初めから出来る者は居ない!

あくまでも自分の体力と他を思う心の力とそして財力の範囲の中で、出来ることをやってみればいいのでは…と考え直すこの頃だ。

足手まといを怖れるよりも、実験してみる自分になってはどうか!


それぞれの人生、それぞれの価値があるだろう。


僕は、だれかのために役に立ち、喜んでもらえる人生が理想だ。

さて…残された時間で、ほんとうに間に合うか?



初孫!

森山's Honey Buket 365

久しぶりに恐怖を感じる台風でしたね。

皆さま、大きな被害には合われませんでしたか?

学園本部校は3階の階段横の大きなガラス窓が大破しました。畳一枚程の網入りガラスでしたが、余程の風圧だったのでしょう、ガラス片は2階の踊り場を超えて1階の下駄箱前まで飛び散っていました。
返す返す、休校にしていて良かった…と、胸を撫で下ろしました。




さて、学園ブログに毎度私事で恐縮ですが、ご報告させていただきま~す。


8月29日(焼肉の日)にめでたく孫を授かりました。
2160gと小さな女の子でしたが、待合で祈っていた僕の耳にも産声が聞こえてくるほど、元気に生を受けました。
お陰様で母子共に健康に出産出来ました。


産まれて間もない我が子を愛おしく抱きしめるうちの娘を見て、言葉にならない大きな感動を覚えました。





出産後は安堵感に包まれながら、孫娘の名前をあれこれ考えてみることにしました。

焼肉の日生まれなので…
“はらみ”“ロース”“こころ”“ハツ”いっそ“たれ”…

そう言えば、僕の娘の生まれた日が“花博”の開会日で、当時の生徒に名前を考えてもらうと、
1位 ゴルバチョ子(開会式に参列したソ連大統領名から)
2位 花と緑の博覧会子(そのまんま…)

うちの娘はそんな生徒投票は参考にせず“あゆみ”にしたのと同様、孫娘の名も焼肉とは一切関係なく娘夫婦が“柚花(ゆずか)”と名付けました。


退院後も近くに住んでいることをいいことに、毎日顔を見に行ってます。

今の僕のなによりも大きな楽しみであり、エネルギー源です。

どうぞこれからは“もり爺い”と呼んでやってください。

爺馬鹿ついでに…すみません…













奇跡

森山's Honey Buket 364

講習合間の日曜日、卒業生の子たちとA先生と僕の6人で飲みに行った。学園48期生の子たちだ。

集まった4人は29歳と30歳の女の子。
こないだまで中学生やったのに…

話を聞くと、彼女たちどうやら昭和生まれと平成生まれに分かれるらしい。同級生なのに生まれた元号が違うって、女性にとってはゆゆしき問題?
案の定、「誰がババアや!」って暫くなじりあっていた(笑)

来年生まれてくる子たちもそんな運命が待っているんだなあ…



ミナミに出るなんて実験学校の集合くらいしかない(笑)
予約されていたのは、道頓堀川のリバーサイドにBBQテラスも設営されたお店。高級感溢れるお洒落なお店だった。

地元の居酒屋か立ち飲み屋しか知らない僕と比べ、今どきの娘さんは素敵なところを知っているもんだ…とひとしきり感心する。


乾杯して程なく、店のスタッフさんから来店者皆に、2組のカップルの結婚が報告された。なかなか素敵な演出で、幸せのおすそ分けをしてもらった。


幸せ…といえば、この子たちも負けて?いない。


4人のうち、1人は間も無く入籍する。その入籍の日は「今年最も縁起のいい日」ってGoogleで検索して決めたんだとか…
隔世の感しかない。
挙式も12月に決まっていて、あとは住まいを最終決定するだけだとか…
この時期は幸せなんやよなあ、なんて30数年前を思い出す。


別の1人は、学園の同級生の男の子と愛を育んでいる。中学生の頃から「わたし将来R君のお嫁さんになりたい!」って公言していたので、もう一踏ん張り頑張って、めでたくゴールを迎えて欲しい。
新婚間もないふたりの寝込みを襲ってやろう!って今から目論む僕である。


また別の娘は、さっきの公言娘が愛のキューピット役を務めて、高校で同じクラスだった男の子と久しぶりに再会。今交際寸前らしい。
「高校・大学と同じだったんだけれどその時はあまり意識してなくって…」て恥ずかしげに話す彼女の目元から幸せの予感が溢れている。


もう1人はガラス職人への道を極めている。尊敬するお師匠さんに付いてかれこれ8年。遠く京都の山奥のそのまた奥で、日々ガラスを吹いている。
目下の熱いお相手は、ガラス君のようだ。
ちなみに毎夜愛用の水割りグラスは彼女が吹いてくれたものだ。だから毎晩、J子頑張れって思ってる。




大いに呑み食べ、大音響で喋りまくった(近隣の皆様ゴメンなさい)&唄いにも行った(笑)


かつて学園に入学してくれるという奇跡が無ければ、この子たちと永遠に出会うことはなかっただろう。

せっかく巡り会えた人たちなのだから、できる限り長く、そして大切におつきあいしたいものだと思う。


幸せな時間だった。








ドラレコ

森山's Honey Buket 363

万一事故を起こしたり、トラブルに巻き込まれたりした時のため、装備する運転者が増えてきたというドライブレコーダー。

このドラレコはもともと、トラックに追突される事故でバイクに乗る息子を失った父親が発案し開発に深く関わったそうだ。この事故ではバイクの息子の方に重大な過失があったと判断が下されたそうだ。

死人に口なしとばかり、被害者が一方的に不利な状況に追いやられたり、残された家族がより深い悲しみの淵に沈められたりしないように…との父の思いが、企業との共同開発に繋がったらしい。


先日車検を受けるのを機に、うちの車にもドラレコを付けることにした。2週間ほど前のことだ。


まさかこんな早く日の目をみるとは…

と言っても、うちの車が事故をしたり巻き込まれたりしたわけではない。


事故の瞬間を目撃する羽目になったのだ。


ほぼ40キロで走っていたうちの車を、轟音を響かせながら1台のバイクが抜き去って行った。しかも左側から…

かなりのスピードが出ていたので、あっという間に前方の交差点を左折しようとしている車に近づいて行った。

うちの車に乗る3人が「わあ~」やら「あ~」やら「あぶない!」やら絶叫するのとほぼ同時に、バイクは車の土手っ腹に、勢いそのままに突っ込んだ。

その瞬間ライダーは高く舞った。映画を見ているようだった。

興奮の中、目を凝らすと、ライダーが身体を起こすのが見えた。

ほっ…ちゃんと生きている。


意識があるのなら、当事者たちが救急車や警察への連絡も出来るだろうと判断し、その場を離れることにした。


役に立つのか立たないのかは分からないが、とにかく警察署に行って、情報提供を申し出た。それが市民たる者の責任ではないかと思えたからだ。

きっとドライブレコーダーがそれなりの記録をとどめているはずだ。


その足で向かった警察署で事情を話し、SDカードを預けて帰った。

翌朝、警察から「とても鮮明に記録されていました。ご協力ありがとうございました。」との感謝の言葉とともにカードが返却された。

「幸いバイクの人は軽傷でした…」警官はその一言を添えてくれた。


小市民も役に立てたかな…小さな自負心を持った。



ドラレコを付けて思うのだが、ドラレコの目は運転者である自分にも向けられている。

信号無視や速度超過、強引な右左折や追い越し、自分の運転が全て記録される。

自らの違反を強く自制する作用が、ドラレコには確かにある…と思う。

エアバッグやETCが多くの車に搭載されているように、シートベルトが全ての車に付いているように、ドライブレコーダーが公道を走る全車に義務付けられる日が来ても良いのになあと思う。















夏合宿始まる!

森山's Honey Buket 362

8月16日 待望の本科夏合宿が始まろうとしている。
今、集合場所から神戸港へ向かうバスの中、あちこちから明るい声が聞こえてくる。


久しぶりに会う子どもたちの顔は皆真っ黒に日焼けしている。この5日間でますます黒くなることだろう。


暑い夏を熱く過ごしてもらうため、今回の合宿でもたくさんの工夫を凝らした。

オリエンテーリング・ボートツーリング・海辺の生物観察…と、外に出る行事も多いため、熱中症への対策もずいぶん話し合って来た。

上記の3大行事については、なんと朝一番の時間帯を選んで挙行することにした。
オリエンテーリングは開催40年を越える伝統行事だが、朝7時にスタートというのはかつてない。まだ気温が上がりきる前の美しい海岸線を歩き、島で一番のプールへと向かう。
出発前の検温や問診、スタート後も4キロ毎のチェックポイント(エイドステーション)での水分補給やエネルギー補給を欠かさない。
今回から、予めチェックポイント通過の制限時間も設けた。

万全のバックアップ体制は敷きつつも、我々は黒子。「自分と仲間と」やり遂げた達成感は子どもたち自身のものと感じさせてあげたい。


そろそろ神戸港に到着する。

事故なく無事に、大きな喜びと自信を身につけたこの子たちを大阪に連れて帰りたい。



ご無沙汰でございます。

真也先生がただお一人ブログを更新してくださっている現状ですが、遥か以前、実は他の何人かの職員もこのブログに参加していた時代があったのです…。皆さんご記憶にあられますか?
もう忘れてますよね(笑)

という事情ですので、まずは自己紹介からやり直します。


蒐英舎(藤原学園卒業生の呼称)20期 森山隆伸です。今はもりもりと呼ばれて喜んでます。

小学4年生春入学。当時おそらく身長120cm。
中1~2年生は他県への引っ越したため学園には通えず。中3春に出戻ったあと、人生で一番熱心に勉強し?昭和50年卒業。高校生となる。

高1の冬合宿で付き添いデビュー(当時は1年後輩の子たちの質問聞き役に、高1生が各部屋1人ずつで当たっていた。)

大学1年の秋、学園助手に誘っていただく。
もっぱら授業終了後の電話帳(全国高校入試問題集)の質問を受ける役目。
当時は夜中の1時近くまで、中3生ほぼ全員が居残って勉強してたなあ…

大学2年春、通年での授業を受け持つ。
自分なりにめっちゃ予習して、大学の空き教室で授業の練習をしてから本番に臨んだなあ…ああ懐かしい。
当時生徒だった皆様、拙い授業、この場で深くお詫びします…

そう言えば、現役時代にはビビって泳げなかった弁天島までの3kmの遠泳を、隊列の先頭で泳がせてもらったのも大学2回の夏だったなあ…


4回生夏、小学校の先生に成る夢に向かって頑張っていたつもりが力及ばず、採用試験不合格。

涙ながらにヒゲ先生に報告に行くと…
「君さえ良ければヒゲの元で一緒にやらないか!」と、思ってもみなかったお声を掛けていただいた。悲しみの涙が嬉し涙に変わった。


結婚式ではヒゲ先生ご夫婦に仲人をお願いし、高砂の席でお祝いのヒゲをいただいた。ジョリジョ~リ


大好きな学園にお世話になって早35年。

息子も娘もそして嫁も、学園のことを大好だと思ってくれているこの幸せ!


そしてまもなく

超々憧れだった
お爺ちゃんとお婆ちゃんになれる日がやって来る予定です。
(自転車置き場に孫のプールを置くため用の人工芝は3年前から用意してました…はい。)


今からドキがむねむね

母子ともに元気で出産できますように…



と、こんな内容のブログ再開で失礼しました!

ここだけの話…
何でもいいから書け!って学園長に一喝されたもので…

嘘です。









天体スペシャル!6月実験学校

森山's Honey Buket 360

6月2日3日に実施予定の「星くずの村」実験学校は「天体スペシャル」だ。

かつて合宿に参加してくださった方にはご記憶もあろうが、小豆島の星空はとにかく美しい。

普段明るい街の夜では、心して星空を見上げる機会も少ないが、島の夜は空の星が近い。


今回の天体観測は、そんな美しい星々に子どもたち共々酔いしれようと、人工的な灯りが殆ど届かない場所まで移動して行う予定だ。


以前、そんな場所にスタッフだけで出向いたことがある。
文字通り降るような星空は、僕には「美しい」というレベルを超え「恐ろしい…」とすら思えた。(語彙力貧困)

そんな体験を子どもたちともしてみたい。



メインはもちろん本物の天体に触れる天体観測なのだが、他の実験や工作も天体にまつわるものを企画している。

そのうちの一つが、「プラネタリウムを作る」だ。

なかなかの大工作。75分間の授業時間内に、各自が満足な作品を仕上げるためには、ある程度下準備を進めておく必要がある。
目下、学園スタッフの手をたくさん借りて、準備を進めている。



学生時代の文化祭、友人を我が家に招くとき、家族旅行…どれをとっても、本番に向かう準備に心踊ったものだ。


6月の実験学校で、子どもたちのたくさんの笑顔が見られるよう、心弾ませながら、今しばらく準備を楽しもう!
(手伝ってくださっているスタッフの皆みなさんに感謝!!)




↑試作品

喜びひとしお

森山's Honey Buket 359

胸膨らませ期待していたことを諦めるのは辛い。

しかし一発逆転?諦めざるを得ないと覚悟していたことが上手く行ったときの喜びはひとしおだ。


いや何も、そんなにたいそうな話ではないのだが、このGWの天候が、僕にとってはその一発逆転だった。


二度にわたって延期していた今年の富士山見学ツアー。1回目はインフル。2回目は豪雨。今回ばかりは決行するぞと宿も予約していた。

一目だけでもいいから富士の勇姿を仰ぎたい。

しかし、週間天気予報を見て「あ~あ…」出るのはため息ばかり。よりによってその期間だけ曇/雨…トホホ…


開き直って、富士山麓の空気を吸いに行こう!それで良い!富士山は何も晴れているばかりが富士山なのではない!自分に言い聞かす日々だった。


出発のとき。覚悟を決め、しかし一縷の期待を胸に愛車のハンドルを握った。実験学校から帰宅して半時間。これから夜を徹して高速を走る。


途中浜名湖SAで嫁に運転交代。富士川SAで息を吹き返し、一路富士五湖のひとつ山中湖へ。


山中湖到着午前3:30


そこから奇跡続きでした。
(ここから文体を敬体に)


なななんと3日連続して、憧れの富士を見上げることが出来ました。


何度も何度も神様仏様にお礼をつぶやきました。


そんなこんなの僕と嫁の喜びの富士山ツアー、ちょっと見てやってください。

































子どもたちと育ち合える喜びを感じつつ

森山's Honey Buket 358

10日間の入院生活を終え、やっとの思いで娑婆に戻った。
とは言え、まだ食べものには制限が多く、いたって好きなアルコールや珈琲も今暫く我慢を余儀なくされている。


しかし、子どもたち相手に授業が出来るようになった喜びは大きい。
今日の授業は上手くいかんかったなあ…と、相変わらず反省も多い。

それでも1日を終え教室を出るときに、なんかニンマリしてしまうのは、やっぱりこの仕事が好きだということなのだろう。



さて昨日、探し物をしていたら、ふと懐かしいものが目に止まった。


上本町校校長時代に出した新聞チラシの中の挨拶文だった。

読み返すと、そこに書かれていた子どもたちとの場面がありありとよみがえり、「そうなんだよなあ……」と一人で感激した。




子どもたちと育ち合える喜びを感じつつ

と題したその挨拶文は…





「でも……このコマユバチとしては こんなふうにしないと 生きられへんかったんちゃうの?」



小学3年生の子たちと、春のキャベツ畑から採集してきたモンシロチョウの卵や小さなアオムシを飼育・観察していたときのことでした。


いっぱい食べていっぱいフンをし、脱皮を繰り返して まもなく“さなぎ”へと成長を遂げる終令のアオムシ。


が、そのアオムシの背中が突然裂けて 中から小さな幼虫がウジャウジャ無数に這い出してきたのです。
(これがアオムシコマユバチなのか……知識としては知っていたけれど)


子どもたちに直視させるにはあまりにも凄惨。
教科書や参考書・図鑑でも、まして児童用教育ビデオなどでは お目にかかることのない衝撃的情景でした。


驚きの次に私と子どもたちに同時に湧き上がったのは、このウジャウジャの小さなヤツに対する憤りでした。

卵や一令幼虫から育て まもなく羽化するモンシロチョウ。その可愛い姿を思い描いてきた我々には、夢を叩き壊したコマユバチの存在が許しがたいものに思われたのです。
皆、口々にそんなことを言い始めました。



と、その時でした。ある男の子が、小さいけれど はっきりした声で

「でも……このコマユバチとしては こんなふうにしないと 生きられへんかったんちゃうの?」

と言いました。


我が耳を疑いました。

もう一度彼の言葉を反芻し、やっと彼の真意(コマユバチの立場から考えた「生」)を納得することができました。

周りの子たちも何かを感じとったようでした。


「そうだったんだ。これこそが『自然』なんだ……」


とても大切で、大きなことを 私は子どもから 授業中に教わりました。





理科実験や観察は筋書きの決められたショーではありません。

授業ごとの 小さな発見や喜びが こつこつと積み重ねられて やがて確固たる自信を築くのです。


知識やテクニックのみを 競争させながら身につけさせる方法は一見たいへん効率的であり、成果は短期間に数値となって反映されることもあるでしょう。

しかしそれだけでは、本来 子どもの成長にとって大切にすべきことを軽視することになりはしないでしょうか?



藤原学園実験教育研究所 森山隆伸(上本町校校長・理科担当)



上本町校を任されて5年目、僕自身の思いや情熱が噴き出している文章だった、と感じる。



もはや、歳は取り故障の多い身体になって来た。

しかし、子どもたちに向ける情熱は錆びついたものにはしたくない。改めてそう感じさせてくれる時間となった。

完璧出遅れ、申し訳ありません。

森山's Honey Buket 357


相当出遅れました。

子どもたちも、先生方も、助手の皆さんも、張り切って新学期をスタートしたというのに…

新学期スタートのまさにその日、あろうことか緊急入院してしまいました。

上行結腸憩室炎ってのが悪化して腹膜炎を起こした…らしいのです。


お医者さんや看護師さんのお話を要約すると…

大腸の壁に開いた穴とその外側のちっちやな袋に、う○こが入り込んで炎症を起こし、ほったらかしてる間にまずいことになった、ということのようです。


「先生!せめて今日だけは何とか出勤出来ませんか?」

と泣きつく僕に

「そんな許可が出せるくらいなら、今すぐ入院しなさいなんて言いません!」

と叱る先生


「今日から少なくとも4日間は絶食です!
薬を飲む時以外は水も飲めません。

しかも安静にすること。
腸を動かしている限りは治りません。

入院はおよそ10日間。」



軽い気持ちで、ちょっと薬をもらいに病院に行ったつもりが、なななんという誤算!



とにかく学園の先生方に連絡しなければ!

そうだ、Y田先生に泣きついてみよう!(Y田先生は先日助手を卒業されたばかりの先生。)


どの先生方からも、仕事は心配せず早く治してくださいと、励ましの言葉をいただきました。

そんなこんなで、大勢の先生方に絶大なご迷惑をお掛けしています。



今日で3日目

あああ…

1日6本、四六時中点滴を繋がれ、ただベッドに横たわる…

この時間の長さ…

いつもは休日大好きの僕だけれど

仕事に行けない情けなさ&辛さ。

やっぱり自分の生活の中心は仕事なんや…と気づきました。




ふと、定年退職後の自分を思い浮かべてしまいました。

退職したら、毎日こんな空虚な時間になるの?

ウゥウゥ…お腹が痛い。


たとえあと何日絶食を強いられようとも、お医者さんの言いつけを守り、早く治って職場復帰するぞ!


戻ったら、皆さんどうか暖かく迎えてくださいね。お願いやから「もう要らんで!」なんて言わないでね!




最後に一言、ほんとうにご迷惑お掛けして申し訳ございません。











素敵な子育てをされましたね

森山's Honey Buket 356

先々週、ある卒業生のお母様がお亡くなりになった。

学園のことをいつも心から応援してくださった恩人と想える方だったので、驚きとショックは大きかった。
最期のお別れをしたかったのだけれど、春合宿中だったこともあり、それは叶わなかった。


卒業生Mさんは48期生。
学園上本町校の歴史に名前を刻む超頑張り屋さんだった。

彼女が自分の目標に向けて毎日毎日学園に脚を運び、少しずつしかし明らかに前進していく様子を、同級生たちはよく見ていた。


中3生で、やるべきことを自覚していない子はまず居ない。
ただ、親御さんや先生から、面と向かって「やりなさい!」と指摘されると、直ちにヘソを曲げて敵前逃亡を企てる。
それが一般的な中3だとも思える。


そんな言い訳名人の15歳たちも、頑張ってる友人から「一緒にがんばれへん?」って声を掛けられると素直に応じる。

やがてクラスの皆が、頑張る子たち、前を見つめる子たちの集団に変化していった。その頃を懐かしく思い出す。


他人を変革するエネルギーを持つ人がこの世には確かにいるのだ…しかもそれは年齢によらない。





彼女が学園に入学してまだ日の浅い頃、僕は自分の勝手な思い込みから、彼女のお母さんに「親の過剰な期待は子どもを潰す。お母さんはそうではありませんか?」と言ったことがある。

それがとんでもない誤りで、失言だったと、僕は後日思い知ることになる。

彼女の頑張りの背景に、お家が全面的に娘を信頼し、大きく包み込んで、余計な指示を一切口にされない方針であることが、はっきりと分かったからだ。

お母さんの肝の大きさは、娘にだけでなく、大口を叩く塾の若造をも包んでくださっていたのだ。




先日、お悔やみのメッセージを届けた時、思い切って、彼女に僕の過ちのことを打ち明けた。


母は私が藤原の仲間や先生に出会えたことをほんとうに喜んでいた。その話は母から聴いては無かったけれど、決して怒ってなんかいなかったと思うよ。きっと娘のことを真剣に考えてくれる人がいる…って喜んでた筈やわ…
と、慰めてくれた。そうであれば良いが…




彼女は努力が報われて憧れの高校に進学した。

1年足らずで…と仰天する程の成績の伸びだった。


合格の報告をした時、電話口の向こうで喜びのあまりただ泣くばかり、完全に言葉をなくした母に、やっとひとつ親孝行ができた気がした…と、彼女は回想していた。



「もりもり…健康管理ちゃんとせなあかんよ。うちのお母さんからの言葉やと思って、ちゃんと聴いてね。」


ラインのやり取りの最後に彼女が記してくれた言葉を、ほんとうに彼女のお母さんからのお言葉として大切にしたいと思う。



どうか安らかにお眠りください。

ありがとうございました。










卒業祝賀会

森山's Honey Buket 355

21日、蒐英舎第62期生の卒業祝賀会が本部校の天文教室で行われた。

僕は天文教室で行われる祝賀会が好きだ。

そこが学び舎であることも理由のひとつだが、広すぎず、身の丈にあった感じがしてとても落ち着く。



学園長から「失ったものを数えるな、在るものを最大限に活かせ」との、とても素敵なお話があった。勿論永遠の19歳である確認もしておられた。




今里本部校と若江岩田校のそれぞれの保護者を代表してお母さんお二方に祝辞を頂いた。

そのお二人ともが学園の出身者でおられるという奇跡と喜び。
心温まると同時に背筋が伸びる、感激の謝辞をプレゼントくださった。






そして、62期生共に学園を巣立たれる卒業職員3人を代表して、フランスパンこと米田先生が挨拶に立たれた。



米田先生は54期生。小学4年生の時から学園に通ってくれ、大学入学と共に学園の助手を務めてくださった。子どもたちの誰からも慕われる最上級に優しい先生だった。

「僕は先生として、本来君たちに教える側の立場だったはずだ。ところが実際には僕の先生が君たちで、計り知れないほど多くのことをあなたたちから教わった。ありがとう。」と話された。

いつも子どもたちのことを考え、悩み、そして正面から向き合ってきてくれた彼らしいお話だった。

高木先生、鬼つ先生、お3人の先生方、長い間ありがとう。お世話になりました。






第2部 アトラクションでは、先生方のダンスありバンド演奏や熱唱あり。

いつのまにこんな練習されたんだろう…って感心してしまう出来栄えだった。格好良かった!




今年の記念映画もたいへん素敵だった。とても凝った趣向でグイグイと引き込まれた。泣いたり笑ったり…誰もが感動できる素晴らしい作品だったと思う。

連日連夜作製にあたってくださった映画班の先生方に深く感謝します。ありがとうございました。



式の最後が近づき、卒業生代表の子たちからのメッセージを聞かせてもらった。

どの子たちも、上本町校・八戸ノ里校・若江岩田校・今里本部校で小さな頃から一緒に過ごしてきた子たちだ。どの子も大きくなったものだ。

この子たちが目の前に立っているだけでまさに感無量。









何日もかけて原稿を考えてくれた人。
原稿を忘れてしまった…と言いつつ、たいへんしっかり気持ちを伝えてくれた人。

それぞれがそれぞれの言葉で、自分にとって学園が大切なものだった…って語りかけてくれた。

たいへん立派だったよ。

ありがとう。



とても素敵な時間を頂いた。

来年も再来年も…ずっと、こんな豊かな気持ちで卒業生との別れを惜しむことのできる我々でありたい。









マグロのお刺身

森山's Honey Buket 354

公立高校入試も終わり、後は結果を待つばかり。
それぞれの子たちの夢が叶うことを祈るばかりだ。


ふとN君のことを思い出した。

以前…

受験校をどこにするか…の懇談をしていた11月のこと、彼は藪から棒に

「先生、おれ高校へは進学しないことにした。」
と、切り出した。

驚きつつも話を聴くと、和食の料理人になるための修業をする決心をしたのだ、と言う。

お家の人とも相談をして、翌週にはお父さんと、修業させてもらおうと思っている師匠のところに挨拶に行くつもりだと、熱く語った。


翌週、彼は
「春から修業させてもらえることになった。」と嬉しそうに報告してきた。


15歳なのに偉いなあ…と彼の決断を讃える気持ちと、

高校の3年間を通して、気持ちが本物かどうかを確かめてからでもいいのでは?という気持ちと、

僕にはどちらの思いも同じくらいあったけれど、彼の行動力 = 彼の気持ち だった。


その彼はその後、なんと冬合宿の徹夜学習もやり遂げ、卒業まで学園に通い続けてくれた。

「今、やらなあかんのはやっぱこれやから…」

彼のそんな言葉を思い出す。




1年ほど経ったある日、彼が教室を訪ねてくれた。

ひとつ下の後輩たちが、受験のために居残って勉強していた時だった。


「先生、これ見て。」

彼が大切に取り出したのは、師匠に見立ててもらったという刺身包丁だった。


刀身が細長く、とても格好良かった。


そしてにっこり笑いながら、これみんなで食べて…と、タッパーを手渡してくれた。


「まだまだやけど、おれが造った。」

マグロのお刺身がたくさん入っていた。


中3生たちととても美味しくいただいた。



N君、まだ修業中かな?ひょっとしてもう自分の店を構えたかな?





教えた子たちには

イタリアンの店を出した人
歯科医院を開業した人
お寺を継いでいる人
ガラス職人さん
町工場の社長さん
整体師さん
学校の先生
福祉士さん
飛行機関係のエンジニア
薬剤師さん
保育士さん
声楽家
看護師さん
大阪を遠く離れひとり勤務している人

母さんになって頑張ってる人

そして

藤原学園で共に働いてくれている相棒



それぞれが

それぞれの道で頑張っている。





合格発表をドキドキした思いで待つ62期生のみんな!

希望が叶えばもちろん最高!!

でも、もし万が一今回が、涙に暮れる結果になろうとも、君らが頑張ってきたことは事実なんや。

その時はその時、次にそれぞれの道で活躍出来る自分になろうね。



一歳年長の兄のつもりで

森山's Honey Buket 353

長らく投稿出来ませんでした。

何事も一旦止まっていたことを再始動するにはエネルギーが必要だなあ…と思いながら、画面に向かっています(笑)


普段の僕は、たいした拠りどころも無いのに「まあ行ける!」って物事を楽観的に捉えてしまう奴です。
が、このところ両肩にズシリと鎮座して、いっこうに立ち去ってくれない悩みがあります。

髪の毛が…とか、お腹のたるみが…とか言った類ではなく、この歳にして仕事のことで悩んでいるのです。

それも根源的?

目の前の子どもたちとどう向き合えば、より良い関係が築けるのだろう…といった切実な内容です。


「そんなに悩むなって!大丈夫やって!」と、いつものように楽観的な自分もいます。でも、「そうやんな…」って納得しても、気づくとそれはまた頭をもたげてくるんです。


信頼を寄せる仲間がいるのだから、相談すれば良さそうなのだけれど、情けないというか辛いというか、妙なプライドが働くというか…今のところ一人でのたうちまわっています。



そんな先日、学園創立50周年を祝して編まれた冊子に眼が止まりました。12年も前、ひげ先生がご健在でおられた頃のものです。

冊子中、卒業生(蒐英舎同人)が寄せた文章が多くあり、そのひとつに自分が書いたものもありました。

懐かしさと、何を書いていたんやろう?との好奇心もあって、再読してみました。

以下、その文からの引用です。


(前略)

トリノオリンピックに出場できた選手の世界全人口に占める割合は0.00000038だったそうです。

スポーツのできる子もあれば、できない子もある。
成績が優秀な子もいれば、そうでない子もいる。
器用な子もまた不器用な子もいる。

多くの子たちは、自分にとってできることと、たくさんのできないこととを持って生きている。

しかし、
「他人を思いやるやさしい心を持つ人になること」

「自分の夢を見つけたとき、そのことに一所懸命打ち込める人になること」

「自分を支えてくれる周りの人に、日々感謝の気持ちを持つことのできる人になること」

これらは一握りの子どもに与えられた特権ではなく、多くの子どもたちそれぞれの心の中に育てていくことのできる大切なことだと思います。


子どもたちの心の中に「自信の芽」を育み、将来それぞれが、その自信を拠り所に「思いやり」と「行動力」に溢れ、かつ「感謝」を忘れぬ豊かな人生を歩むことを期待して

いつも一歳年長の兄のつもりで

子どもたちを見守り続けること…

それが「藤原学園の教育」ですよね、ひげ先生…

36年間、ひげ先生のそばに居て、途切れることなく先生から感じ続けてきたことです。

(後略)

と、僕は綴っていた。

尊敬するひげ先生へのラブレターみたいな文だった。


でも、その頃の自分を確かめることもできた。




目の前の子どもたちの人生を、必ずより良きものにしよう!とたえず考え、一歳年長の兄のつもりで接する。


基本に立ち帰り、そこからもういっぺん再出発。

捲土重来を期すことにしよう!


















転んでもただでは起きない

森山's Honey Buket 352


新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。



年末に体調を崩してしまった。


夫婦で年初めの恒例行事としている「新春の富士山を拝もう!」に、元旦夕刻から出掛けるつもりだったが、寄る年波、そんなに劇的に回復する訳もなく、泣く泣く断念。


「今回は何処から富士を仰ごうかしら?」
この1ヶ月、コースの下調べに余念のなかった家内には、すまないことをしてしまったが、
さすがに「君一人で行ってきてくれる?」と言える距離でも無いので、家内の行き先は、富士山→若江の実家に変更してもらって、親姉妹と共に盛り上がってもらうことにした。



一方自分は…布団の中で何か出来る良いことはないか?と考えて、オーソドックスではあるけれど、棚に眠っていた未読の本を読むことにした。



超ご近所にお住いの作家だったのに、今までスタート出来ていない、司馬遼太郎さんの本を読むことにした。
『この国のかたち2』(文春文庫)
『この国のかたち3』(同上)
『日本史探訪』(角川文庫)



稀代の歴史小説作家は言っている。

「これまでに調べ考察してきたこの国の習俗・習慣、思考や行動の基本的な型を、私なりに切り刻んで大鍋に入れ煮詰めている。
読者自身がその鍋から、日本人の本質というエキスを取り出して欲しい。」と。



読み終えて、自分は司馬さんが期待した読者では無いことは分かった。

が、改めて「博識っていうのはこんな方のためにある言葉なんだ…」と感心しつつ、たいへん面白く読めたことに満足した。


自分の読み進め方をいつもの読書とは少し変えてみた。そのことが読後の満足の後押しとなった気がする。


具体的には、読み方や意味がわからない言葉に出会うたび、この地名はどこ?この本・人物・事象をもう少し知りたいなあと思うたび、湧き出た小さな疑問や欲求を、枕元に置いたスマホをフル活用して片っ端から調べつつ読み進めたことだ。


「親鸞が著した『歎異抄』の教え」や「西郷が西南戦争に向かわざるを得なかった真実…」「室町時代の持つ大きな意味」などなど、今まで知っているつもりで実は知らなかったことをたくさん学ぶことができ、こんな歳でも素直に喜べた。




静岡や山梨から見られただろう景色とはまた違った素敵な景色を布団の中から眺めることができた。



冬合宿3日目

森山's Honey Buket 351

小豆島冬合宿3日目、ちょうど中日を迎えた。

小5生から中3生までとてもよく勉強している。


1班4人までのグループに先生が1人ずつ。

次から次へと湧き出す質問に、どの机でも先生方はてんやわんや。嬉しい悲鳴だ。

今回は各自の弱点対策のために個々別々の教材を用意したのだから、疑問点???がいっぱい出て当然だ。


一つでもたくさん理解して、満足感を胸に最終日を迎えて欲しい。



今回参加してくれた小学生に、3泊4日の夏合宿最初の夜からホームシックになった子がいた。

1日に1回は電話で母さんの声を聞き、励ましを受けてなんとか乗り越えた。


どうするかなあ…きっと冬は参加しないだろうなあ…と、内心思っていた。

ホームシックはだいたい黄昏時に襲ってくる。冬は早く日が暮れる。夜は長い。しかも、今回は4泊5日とロングだ。


ところが、この子は参加してくれることになった。本人と送り出してくださったご両親の決意をとても嬉しく感じた。



「星くずの村」へと歩いて向かう坂道で、彼といろんな話をした。


「勇気をもってよく来てくれたね。」と励ますつもりで言った僕の言葉に、

彼は「うん、でも…さみしくなったらどうしよう…」と、力なく返答した。


先生とお話ししよう、とか

ときどき電話でお母さんの声を聞こうか?とか

話したのに加えて


「そんなときは、お月様とお話しするといいよ。

お月さまはいつも笑ってこちらを見てくれているやろう?」

と話した。


ちょうど南のまだ明るさの残る空に、上弦の月が明るく輝いていた。

意外にもしっかりした声で「そうやな、それがいい。」と彼は言った。



3日目を迎えた今朝、

「よくがんばってるな!」と声をかけると


「うん、お月さんとお話ししてるもん!今日も晴れるかなあ…」

と、にっこり答えた。


「今夜も晴れや!お月さんは昨日より丸く明るいで!」


可愛いなあ。

彼なりにしっかり闘ってるんやなあ…

と、成長を感じた。

あと2日!頑張れ!




今年もあとわずか。

1年ありがとうございました。

来たる年が皆様方にとって素敵な年となられますように。


もう12月…ですね

森山's Honey Buket 350

「おっ、寒…」

期末テストの日曜勉強会を終え、すっかり真っ暗になった空を仰ぎ、チャリンコにまたがる。


今日もたくさんの質問に付き合った。

「わかったわ!」の言葉を聞くと嬉しい。

テスト本番で解き方をちゃんと思い出してくれたらええけどなあ…


「質問したのとおんなじ問題出てん!せやけど…でけへんかった…」

そんなセリフに、今まで幾度肩を落としてきたことか…



道すがら、換気扇からこぼれ出した夕餉の香りにときおり鼻をクンクンさせつつ、ペダルを漕ぐ。


自宅前にたどり着いたとき、お向かいのお家の壁面が美しく輝きを放っていた。

とても綺麗…クリスマスの電飾だ。

足元にはサンタやトナカイも輝いている。

年長組のおてんばなお姉ちゃんと弟ふたり。

3人姉弟のために頑張って壁に取り付けたのだろう、お父さんとお母さんの姿が目に浮かんだ。

もうそろそろ12月なんや…




日曜の夜はたいてい、食後程なく目が閉じる。

まだ8時になるかならないかからベッドに移動、すぐに意識が無くなる…ということも珍しくない。

調子に乗ってアルコールをあおるのが理由だ。



でも、この日は少し気分が違った。

このところ毎年、忙しい…を理由に、家内にまかせてきたクリスマスツリーを、自分で飾ってみよう!と思い立ったのだ。



僕は遠い昔、夢があった。

クリスマスのとき、家族皆で楽器演奏をすること。

そして、大きなクリスマスツリーを飾ること。



演奏会の夢は… それを夢見ていた当の本人の僕が、家族で唯一なんの楽器も演奏出来ない奴に終わったせいで、虚しく頓挫。バイオリン習ってたときもあったのになあ…(笑)


が、クリスマスツリーの方は夢が叶った。

我が家の息子・娘が小学校低学年だったとき、親子4人でツリーを選んだ。そして毎年少しずつ飾りを買い足したものだった。

子どもたちが大きくなっても、12月になると押入れから引っ張り出され、家族の誰かの手でその年のツリーがずっと飾られてきた。


飾り物を納得した場所にぶら下げられるよう、短い手を精一杯伸ばしたり、背伸びしたり。
何度も脚立に乗ったり降りたりして眺めたり。


さてどれくらい時間が経ったものか…

やっと飾り付けを終えたツリーを前に、レコードを聴いた。


おっと、娘のところに写メを届けておこう!

「今年は父が飾った。旦那さんと二人で見にきてや~」の後に、

「早く孫のサンタさんになりたい…」

と書き添えたい気持ちはグッと我慢した。









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