藤原学園の『年中夢求』日記
〜今日も顔晴るみんなへ〜
2010年 夏期合宿 小学生メカ工作
リアルに「モノ」として存在するモノの「ものづくり」は、
社会の原点ですよね。

先日、小学校の日曜参観で、江戸時代の新田開発についての
研究発表がありました。生徒達は、一生懸命特大の
模造紙に、レポートをまとめて発表しています。

人口が増えてきて、今までの田畑だけでは、生活が出来ない。
どうすればよいか・・・に対する当時の人々の知恵だったわけですが、

その新田も、すでに新田の役目を終え、新しいものづくりをしないと
いけない時代がとっくに訪れています。

今、日本では、仕事が大変少なく、多くの大人たちが日々大変な
思いをしています。

新田開発のように、いいアイデアは簡単に湧くものではありません。
今の時代のための、いいモノを作る、あるいは、作らせる事が出来る人が
これからもっともっと重要になると思います。
がんばらないといけませんね。
ルーツ
ヒゲ先生の事だから、閻魔大王ともめたりしてないだろうかなど思いながら僧侶の読経を聞いていた。
まとめる労力は大変なものだった思う。
82歳まで生きた事になる。
命をつないできたからだと改めて感じる。
(家系図です)
TTP
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
「人の物を盗んではいけません。」
って言われたらどう思いますか?
「そんなん当たり前やん。」
きっとこんな声が返ってきそうですね。
まさに、その通りです。
人の物を盗んではいけないのは、法律で禁止されてるからではありません。
そのことによって傷つく(悲しむ)人がいるからです。
ということは、盗むことによって喜んでもらえるのなら盗んでもいいわけです。
「そんなモノあるの?」
って声も聞こえてきそうです。
盗んでもいいモノ、それはその人の『良いところ』。
です。
「なぁ〜んや。」
なんて思う人もいるかもしれないですが、
盗んで喜ばれるのなら盗まないともったいないでしょう。
今、多くの中学生は学校の定期テストを目前に控えています。
学園でもテスト対策の真っ只中で、連日たくさんの質問を聴いています。
そんなテスト対策勉強会の中で、せっせと小さな紙に覚えるべく重要ポイントを書き写している子がいました。
ふと気になって尋ねてみると、
「学校でめっちゃ成績のいい◯◯がこうやって小さな紙をいくつも作って、寝る前に勉強してるんやって。
俺も真似してやってみることにしてん。」
とのこと。
「めっちゃ素敵やなぁ〜!」
って思いました。
『うまくいってる人の真似をする』
簡単なようで、中々できないことです。
真似るためには、その相手を認めないといけないから。
プライドが邪魔をするんですね。
ですが、『素直さ』がその『プライド』に打ち克ったとき、人を認めれるようになります。
その人の良いところをどんどん盗めるようになります。
その人の良いところを盗み、より素敵になったあなたを見て盗まれた相手はどう思うのでしょう?
僕ならとっても嬉しいです。
人の良いところは、
TTP(てってい てきに ぱくれ)
『やるじゃん!』
3ケ月前 息子は 「これ何?」と言う代わりに
紅葉の小豆島

森山’s Honey Bucket 55
学園長のブログにも紹介されていたとおり、
先週末は子どもたちと「紅葉の小豆島」を満喫してきました。
晴天にも恵まれ、美味しい空気をいっぱい吸うことができました。
もちろんただの物見遊山ではありません。
科学工作~天体(星座と流星)観測会など、
「星くずの村」実験学校らしく科学体験はバッチリです。
寒霞渓登山しながらの「紅葉狩り」あり、
ロープウェイからの絶景あり、
西に夕焼け空と東に上る満月を同時に観賞しながらの「温泉」あり、
仲間とつくる「鍋料理」あり、
早朝の「釣り」あり・・・
体験こそ子どもたちを成長させる大きなチャンスなのです。
子ども時代の感動こそ、一生の財産なのです。
参加してくれた子たちはしっかり心を満たして帰路についてくれたはずです。
もちろん僕も心洗われる思いで行事を終えることができました。



2010年 夏期合宿 キャンプファイヤー

住宅密集地ですと、
ガレージバーベキューや庭先でやる線香花火の煙ですら、
気を使って事実上できません。

かといって、開けたところでやろうにも、
先回りして、
「バーベキュー禁止」
のたて看板が!

バーベキューですら、これですから、落ち葉での焼き芋なんて、XX
日本の美しい風習は滅び行く文化の筆頭かもしれません。

そして、キャンプファイヤーもまたしかり。

星くずの村でしか出来ない事は、まだまだたくさんあって、
それらが、子供達に与える責任は重大だと思います。

こういうことを、普段出来ないから、星くずの村でやってみたい!
というリクエストをお待ちしています。

僕は、落ち葉を集めて、焼きジャガイモ!
すてきな紅葉だった
(子どもの作品です)
懐かし写真集
星の降る夜に
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
先日の森山先生の記事にありましたが、今年もしし座流星群の時期がやってきました。
せっかくの天文イベントを見逃す手はない、ということで今年も観測に行ってきました。
当初は近場の予定だったのですが、より暗くてよく見えるところを求めて結局は奈良まで。
しかしながら、18日は月が明るくしかもあいにくの曇り空。
観測には全く適していない状況でした。
数時間、ウロウロしながら空を見上げていても雲は消えてくれなくて若干諦めの心境。
時刻はもう3時位になろうとしていました。
いよいよ断念して帰らなければならないかなぁと思っていたときです。
西の空を見るともう月が沈もうとしていました。
そしてしし座のある東の空を振り返ると、何と!
雲がはれていってるじゃないですか!
月明かりも無くなり、絶好の観測チャンス!!
そう思ってもう一度しっかりと空を見つめているとすぐに特大の一個が流れました。
大きくて、明るくて、とてもゆっくりと流れる流星。
「あ、流れてる!」
「ホンマや!すごいな~」
と会話ができる位の時間をかけて流れていきました。
あの時間があれば願い事を3回は言えたような気がするほど。
そういえばこの「流星が流れている間に願いを3回言えたら叶う」というお話。
誰もが聞いたことありますよね。
でも、実際にはあの一瞬で3回言うのはどうしても不可能だそうです。
じゃあ何故そんなお話があるのでしょうか?
僕はこう思っています。
いつ流れるかもわからず、流れても瞬く間に消えてしまう。
そんな流れ星に3回も願いを言える人ってどんな人でしょうか?
きっと日頃からどうしても叶えたいその願いを寝ても覚めても強く強く想っている人ではないですか?
それだけの強い想いがあれば流れ星の力を借りずとも、
その人は間違いなくその願いを叶えることでしょうね。
強い想いこそが夢を叶える力の源泉。
ビタミンC
「しし座流星群」
アットホームな「流星ツアー」が始まった。
明かり一つない、不気味だけれど流星観測にはもってこいの場所。
何より我々をしつこく追い回してきた雲がどこかへ消えていた。
凍える両手を擦りながら。
足の裏を襲う大地の冷たさに地団駄を踏みながら。
それでも片時も怠らず天を仰ぎ続けた。
空を見ない瞬間があるのが惜しくてたまらなかった。
おそらくはこれからも難しいだろう。
きっと大人よりもっともっと大きな感動を瞼と心に焼き付けたはずだ。
今夜も娘あゆみは「しし座流星群」観測に出掛けている。
FFC
Fujihara Fishing Club = FFC(真也先生のブログ、池畑先生のブログ参照)
先日から他にもいろいろなネーミングを考えている。
小豆島 = syoudosima = SDS → SDS24 (24は二十四の瞳の24)
星くずの村 実験学校 = HJG → HJG55 (藤原学園55周年にちなんで)
FFCにも何か数字つけようか…先日ならFFC0(ゼロ) = 坊主(釣り用語で魚が釣れなかったこと)
何か後ろに数字をつけないと、今風ではないかな?
ちなみに
藤原学園実験教育研究所 = Fujihara Educational Institute of Science Experiment です。
FEISE ちょっとつづりが違うけれど フェイス(face:顔面)ですね。フェイズ(faze:おどろかす)
でもいいかな。
2010年 夏期合宿 星くずの村の夏
星くずの村実験学校では、今週末、特別回として、
秋の紅葉スペシャルを企画しています。

すっかり、季節外れの感じが出てきましたが、夏の報告の
残りいくつかにお付き合いください。

今年は、いつもの浜が、改修工事のため、特別に、
ホテルのプライベートビーチをお借りしました。

お盆明けで、若干海が涼しいのですが、長時間、楽しく暴れるには
丁度いい感じです。

飛び込み台もあって、大ハッスル。
勿論、この下は、身長より、はるかに深い海。
みんな、勇気あるなぁ~と。

ボート訓練も平行して行います。
学園の助手スタッフは。みな、すいすいボートをこぎます。
さすがは、卒業生です。

星くずの村まで、ボートをこいで帰ります。
相当な距離なので、初心者の子は、心細いと思いますが、
常に、ベテランが、そばにいるので、安心してくださいね。

一通り、みなの笑顔の撮影を済ました後、
次の実験の準備のためのプランクトンを採取します。
ごそごそと、その昔、ヒゲ先生が投げておられた採取装置を海に投げながら、
あぁ、自分は、なんと、愉快な仕事をさせてもらっているんだ。
と1人で、微笑んでいました。
フィッシングクラブ
「わくわく土曜日あっくん」に、話題を振られたので書く事にしよう。
(次は釣るぞ)
ありがとうございました
沢山の方々の御弔問、御供花、御弔電、御言葉、本当にありがたく頂戴致しました。
また、連絡不行き届きの諸氏の方々には申し訳ございませんでした。
睡眠時間 1日3時間半
晩酌 3合
購読新聞 4紙
テレビ 見ない
風邪 ネギに醤油と唐辛子をかけて酒の肴にして治す
そんな生活を何十年続けてきた父が、いよいよもうあまり長くは無いのか…と感じた8月
酸素マスクの下から動かす唇の動きを読み取れないはがゆさ
思い出の数々を耳元で話しかける
こんなに傍に居ることって今までなかったですね…
仕事が忙しくてゆっくり話せませんでしたね…
治ったら美味しいものを食べに行きましょうね…
ドクターストップが掛かってるから今は駄目だけど、早く治してお酒飲みましょうね…
池田の呉春か、河内長野のあまの酒がいいですかね…
自叙伝も書かないとね…タイトルは何がいいですか…
声は出せなくても、首を縦に振ったり、横に振ったりで会話した…
とうとうそれもできなくなって、手足も顔もむくんで…
まだ逝かないでください、せめて今度の実験学校が終わるまでまだ逝かないでください、と言い続けてきた
ごめんね、逝くな逝くなって、もうしんどいですよね、早く楽になりたいですよね、もういいですよ~と言った翌日
息を引き取った
普段はなかなか会えない、話せない、そんな父だったけど、小豆島の合宿の時は朝から晩まで父の姿を見て
いた。おなじみの白のクレープシャツの上下で、広い敷地内を何かしら作業をしていた
草むしりであったり、お風呂掃除、落ち葉掃除、溝掃除、ボイラー点検、町への買出し、写真屋さん、農協、
何でも自分で動いた
常に前向きで、後ろは見ない
人前で泣き言は言わず、トイレで「藤原君がんばれ!」と自分を励ました人だった
永いお付き合いの清風の平岡先生が「あんな先生はもう二度と出んやろう」とおっしゃられたと聞いた
何かひとつ、父のように出来ることがあればなぁ…と思案が続く…
FFC
とはいえ、あまりにも何もできなくて(知らなくて)先輩方にご迷惑をかけまくる状態。
なので、そろそろとしっかり学んでいかなくては!
最初は人に助けてもらいお膳立てをしてもらっていても十分に楽しいですが、

(空が白んできた、帰り際の海岸)
釣果は真也先生にお尋ねください。
ディシプリン & ポリバレント
こんにちは
子メダカ誕生
多くの卵が孵化することなくカビに包まれてしまったので、
事務の智香ちゃんが「先生~!!!生まれてま~す!!!」と見つけてくれました。
をよ~く食べます。
キツネの嫁入り
しばらく雨が降っていた。いわゆる「キツネの嫁入り」である。天気雨とも言うそうである。諸説はネットを
ググれば出てくるのでjここには書きませんが、この「キツネの嫁入り」で思い出すのは、ギターインストゥル
メンタルの曲である。学生時代、ギターを一生懸命に弾いていた時代に練習した曲のうちの一つである。
晴れている(ゆったりとしたテンポ)イメージから、一転、雨が降る(速いテンポ)になり、ふたたび、元の
ゆったりとしたテンポになる曲である。「キツネの嫁入り」通りのイメージで大好きな曲のうちの一つである。
You Tube で「キツネの嫁入り 中川イサト」と打ってください。聞けると思います。
晴れてから空を見たら、真也先生のブログの「行雲流水」にぴったりだなあと感じました。「人は流れに
乗ればいい(シャーアズナブル)」ってか。
2010年夏期合宿 中3夜の学習
「こんにゃく田楽」と「行雲流水」
生者のあらん限り
死者は生きん 死者は生きん
ゴッホ
金髪少年の思い出
本日も僕のヒトリゴトにおつきあいください♪
「なんだ、その髪の毛の色は!!!」
僕が高校生の時代、学園におられた方のほとんどが知っているエピソード。
高校の帰り道に、ふと思い立って本部校に顔を出したときのことでした。
当時働いておられた事務の先生と職員室でお話をしていたときに、事件は起きました。
普段は忙しくあちこちを飛び回っておられて、あまり顔を出されることはないと聞いていたので寝耳に水状態です。
そう、ヒゲ先生が来られたのです。
髪の毛を染めることをとても嫌っておられた先生は僕の頭を見るなり大激怒。
当時の僕は、自由な校風の高校に入学できたことをイイことに輝くまでの金髪。
当然烈火のごとく怒られ、僕はすごすごと教室をあとにしました。
その後、事務の先生から心配されて連絡がくるほどの怒られっぷりでした。
これが僕のヒゲ先生に関する一番の思い出・・・
では、ないですよ!
多くの方にはそう思われているかもしれませんが(笑
実はもっと時代を遡って、僕が小学生の時。
もちろん金髪ではありません。
実験学校で小豆島へ行っていたときに事件は起こりました。
夜の実験が終わった後、急激な腹痛に襲われたのです。
あまりの痛さと、自宅ではないという不安から泣き出してしまうほど。
そんな僕を見かねた友人がヒゲ先生を呼んできてくれたのです。
先生は僕を鬚髯庵(ヒゲ先生の部屋)に連れて行き、薬を飲ませ、ベッドに寝かせてくれました。
痛くて痛くてしかたなかったはずなのに、ヒゲ先生に守られているという安心感からか知らぬ間に僕は眠りについていました。
次に目が覚めたときにはすっかり痛みは消え、先生に送られて僕は自らの部屋に戻りました。
子供ながらに大きな愛情を感じた夜でした。
これが僕のヒゲ先生との一番の思い出。
きっと同じ様な体験をされた方も多いでしょうね。
さて、今日でヒゲ先生が旅立たれて2週間。
もう向こうの世界での宴会も一段落したころでしょうか。
全てを受け入れて 次へと進む言葉 さようなら
(KOKIA say goodbye & good day)
32年前
中学の担任の先生は 「志望校を変えなさい」 の一点張り。
最終的に決めるのは私自身だった。
学校の休憩時間
帰宅して藤原学園に行くまで
藤原学園から帰ってからも
毎晩 日付が変わっても まだ入試問題に取り組んでいた。
毎晩の睡眠時間が5時間未満で 全国高校入試問題(電話帳)も仕上げた。
自分の気持ちを言葉にするときに 人は声が震えるものだと その時に知った。
ヒゲ先生とJJT
特に公教育への失望を語られるのをよく耳にした。
手間を掛ける割に得られる効果が少ないからとか、
と言う理由で、揃えた備品を真に活用しようとしない。
そんな公教育の現状について、
信念を持って立ち向かう教育関係者が少ないことについて、
しっかり理科を勉強しているとは思えない人がたくさんいることについて、
だ。」とか、「この場面ではこんな演出をすると子どもたちは大いに喜ぶ。」とか、できる限り丁寧に伝える。
ついて、また互いの夢についておおいに語り合うのだ。
決済権のある人が相当の覚悟をもって実行に移さない限り、子どもたちのための理科実験指導を
継続することなどできないからだ。」
これが僕の知りうるヒゲ先生のいつも変わらぬ生き方だった。
れた。そしてその都度ヒゲ先生を囲んで、実験を楽しみ、日本の理科教育に果たす塾の役割を確認されてい
たようだ。
くださったこともあった。
全国の塾がヒゲ先生に習って実験を始めるようになれば、わが学園の特色が特色でなくなり、
結果将来われわれがご飯を食べられなくなるのではないですか?僕はそれが心配です…」と。
いろいろな場所で多くの子どもたちが実験に歓声を上げ、ものごとをしっかり考えるようになるんだよ。
それを想像してみなさい。実に素晴らしいことだ。アッハッハ!」
その航跡を掻き消してしまうことのないよう、頑張らねばならない。
ヒゲ
その数十年前、私がはじめて藤原学園に入学して、みんなから「プレゼント」がもらえるよ。と教えて
もらっていた。何がもらえるのかは全く想像できなかったが、まあ何かもらえるならうれしいなと思って
いた。そして、その時が来た。新しく入った林くんに「プレゼント」をあげよう。これはまた欲しいと思って
もどこにも売っていないものである。分かるか?(?分からん)
では、あげよう、じょりじょり…。それがはじめてのヒゲだった。なぜヒゲ先生だったか、分かった瞬間
でもあった。後輩にも同じようにされていた。先輩にも同じようにされていたであろうその光景はもう
見られない。合掌。