藤原学園の『年中夢求』日記

〜今日も顔晴るみんなへ〜

2010年 夏期合宿 小学生メカ工作

農作物にせよ、工業製品にせよ、道路にせよ、

リアルに「モノ」として存在するモノの「ものづくり」は、

社会の原点ですよね。



























先日、小学校の日曜参観で、江戸時代の新田開発についての

研究発表がありました。生徒達は、一生懸命特大の

模造紙に、レポートをまとめて発表しています。



































人口が増えてきて、今までの田畑だけでは、生活が出来ない。

どうすればよいか・・・に対する当時の人々の知恵だったわけですが、



























その新田も、すでに新田の役目を終え、新しいものづくりをしないと

いけない時代がとっくに訪れています。



































今、日本では、仕事が大変少なく、多くの大人たちが日々大変な

思いをしています。



























新田開発のように、いいアイデアは簡単に湧くものではありません。

今の時代のための、いいモノを作る、あるいは、作らせる事が出来る人が

これからもっともっと重要になると思います。



がんばらないといけませんね。





ルーツ

●むこう向きのおっとせい その56




昨日、ヒゲ先生の満中陰の法要があった。

 

極楽浄土に無事たどり着くだろうか。

ヒゲ先生の事だから、閻魔大王ともめたりしてないだろうかなど思いながら僧侶の読経を聞いていた。

 

その後の会食(お斎と言うらしい)で、ヒゲ先生の事を中心に、親族で随分会話が弾んだ。

自分の知らないヒゲ先生の姿がそこかしこにあった。

 

話をしながら、血のつながった者同士の一種独特の連帯感みたいなものを感じた。

 

 

血のつながりと言えば、昨日は来ていなかったいとこの一人が、

先日のお葬式の時に藤原家の家系図を作成して持って来てくれた。

 

亡くなったヒゲ先生のお兄さんが書き留めていたものを整理したとのこと。


ヒゲ先生のお父さん、すなわち私の祖父の5代上の先祖までさかのぼって書いてある。

 

まとめる労力は大変なものだった思う。

 

 

恵吉(祖父)・タケ→峯三郎・シモ→常平・里野→万兵衛・アキ→政平・ひな→善四郎・いう

 

政平1734年生、1816年亡と書いてあるので、江戸時代、享保の改革が行われた頃に生まれ、

82歳まで生きた事になる。

その当時としては随分長生きの部類に入るのではないだろうか。

 

次の万兵衛さんも76歳まで生きているので(この方も江戸時代生まれ)長生きの家系かもしれない。

 

シモさん、里野さんてどんな人だったのだろう。表を見ているといろんな事が想像できておもしろい。

 

 

自分が今こうして生きているのは、これらの祖先がさまざまな物語を刻みながら、

命をつないできたからだと改めて感じる。

 

時にはこの家系図を眺めながら、ヒゲ先生の事、そして祖先の事に、思いを馳せたいと思う

 

ではまた。



   (家系図です)

TTP

ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆

本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪







「人の物を盗んではいけません。」





って言われたらどう思いますか?





「そんなん当たり前やん。」





きっとこんな声が返ってきそうですね。





まさに、その通りです。





人の物を盗んではいけないのは、法律で禁止されてるからではありません。



そのことによって傷つく(悲しむ)人がいるからです。





ということは、盗むことによって喜んでもらえるのなら盗んでもいいわけです。





「そんなモノあるの?」





って声も聞こえてきそうです。





盗んでもいいモノ、それはその人の『良いところ』。





です。







「なぁ〜んや。」





なんて思う人もいるかもしれないですが、

盗んで喜ばれるのなら盗まないともったいないでしょう。









今、多くの中学生は学校の定期テストを目前に控えています。



学園でもテスト対策の真っ只中で、連日たくさんの質問を聴いています。





そんなテスト対策勉強会の中で、せっせと小さな紙に覚えるべく重要ポイントを書き写している子がいました。





ふと気になって尋ねてみると、





「学校でめっちゃ成績のいい◯◯がこうやって小さな紙をいくつも作って、寝る前に勉強してるんやって。

俺も真似してやってみることにしてん。」





とのこと。







「めっちゃ素敵やなぁ〜!」







って思いました。







『うまくいってる人の真似をする』





簡単なようで、中々できないことです。





真似るためには、その相手を認めないといけないから。





プライドが邪魔をするんですね。





ですが、『素直さ』がその『プライド』に打ち克ったとき、人を認めれるようになります。





その人の良いところをどんどん盗めるようになります。





その人の良いところを盗み、より素敵になったあなたを見て盗まれた相手はどう思うのでしょう?





僕ならとっても嬉しいです。









人の良いところは、



TTP(ってい きに くれ)



『やるじゃん!』

 こんにちは

 

CY ( コンパクト ヨコヤマ )











です。

 

 



3ケ月前 息子は 「これ何?」と言う代わりに

 何を どう間違って 覚えたのか 「こで」と言っていた。

 

年齢的に 知りたいことが たくさん出てきたらしく

 かたっぱしから 聞いてくる 

但し その言葉はいつも 「これ何?」ではなく 

 

こで」

 

 

今は ようやく 「こで」とは言わなくなった。

 そのかわりに

 

 これ?」

 

 

少し 上から目線の 文句があるような 聞き方にも聞こえる・・・。

 「 これ?」と言ったら 「これ 何?」と言い換えている。

 

しかし 息子は いつも

 

 「 これ?」

 

 

 

 

三輪車も3ケ月前の とっても暑い時期に乗っていたときには

 少しでも上り坂があると 足が動かない

 平坦でも うまく車輪を回せない

 

それが 11/23の祝日に 久しぶりに 乗ったら・・・

 

あれれ うまく漕いでいる しかも 速い

 上り坂でも ぐいぐいと漕いでいく

 

三輪車は 保育園でも乗っていると 連絡帳によく書いてあったが・・・

 なかなかの 上達ぶりである

 

私も 今年は 上手にマラソンのトレーニングができていたと

 思っていたが 私よりも 上達が早い

 

 

『やるじゃん』

 

 

しかも 下り坂でもないのに ペダルから足を離して 進んでいる

 反対側から見てみると 片足だけペダルを踏んで

 ス~イ スイ と 漕いでいる

 な、なんと!

 

こんな技 いつのまに覚えたのだろう

 そして

 私は 思った。

 

 

  「こで」

 

 

 

では、また来週金曜日に・・・。

紅葉の小豆島


森山’s Honey Bucket 55 

 


 学園長のブログにも紹介されていたとおり、


先週末は子どもたちと「紅葉の小豆島」を満喫してきました。


晴天にも恵まれ、美味しい空気をいっぱい吸うことができました。


 


 もちろんただの物見遊山ではありません。


 


 科学工作~天体(星座と流星)観測会など、


「星くずの村」実験学校らしく科学体験はバッチリです。 


 それにプラスして、


寒霞渓登山しながらの「紅葉狩り」あり、



ロープウェイからの絶景あり、



西に夕焼け空と東に上る満月を同時に観賞しながらの「温泉」あり、

 


仲間とつくる「鍋料理」あり、



早朝の「釣り」あり・・・





体験こそ子どもたちを成長させる大きなチャンスなのです。



子ども時代の感動こそ、一生の財産なのです。 

 


 参加してくれた子たちはしっかり心を満たして帰路についてくれたはずです。


もちろん僕も心洗われる思いで行事を終えることができました。

                                        

                                                           


             

  

2010年 夏期合宿 キャンプファイヤー

落ち葉といえば、落ち葉かき、そして、焼き芋!





































住宅密集地ですと、

ガレージバーベキューや庭先でやる線香花火の煙ですら、

気を使って事実上できません。



























かといって、開けたところでやろうにも、

先回りして、

「バーベキュー禁止」

のたて看板が!



























バーベキューですら、これですから、落ち葉での焼き芋なんて、XX

日本の美しい風習は滅び行く文化の筆頭かもしれません。



























そして、キャンプファイヤーもまたしかり。



























星くずの村でしか出来ない事は、まだまだたくさんあって、

それらが、子供達に与える責任は重大だと思います。



























こういうことを、普段出来ないから、星くずの村でやってみたい!

というリクエストをお待ちしています。



























僕は、落ち葉を集めて、焼きジャガイモ!



すてきな紅葉だった



●むこう向きのおっとせい その55

 

この土曜日、子どもたちを連れて、

秋の紅葉の観察と葉を採集するために寒霞渓に登った。

 

色とりどりの葉が見事に咲き誇っている。

 

子どもたちは気にいった葉を集めながら、元気な足取りで登っていく。

 

「疲れを知らない子どものように・・・♪」という歌があったが、

まさにその通りで、夢中になっている時の子どもは、

全く疲れないようである。

 

何食わぬ顔をして子どもと登っていたが、坂道続きの道はきつかった。

子どもが「きれいな葉がある。」と坂を走った時には、ついていけなかった。

 

う~ん、やはり年か。

 

 

ところで秋になると葉の色が変わるのは、寒くなってきて葉の働きがおとろえ、

葉の細胞の中で葉緑体が分解されたり、

もともと含まれていない赤色の色素が合成されたりするからで、

 

これは一言で言うと葉の老化現象らしい。

 

 

何だかそう考えるとわびしくなってくるが、

老化現象をきれいだと子どもたちから言われる葉っぱは、

幸せではないかとも思えてくる。

 

 

紅葉を見ながら葉っぱに感情移入したり、何かと感じるようになったことは

楽しい事でもある。

 

年を重ねることはそう悪くはないと思えてくる。

 

ではまた。























(見事な紅葉でした)



(子どもの作品です)

懐かし写真集

 | ・´ェ`・)<3順目ないくちゃんです!




夏はあんなに暑かったのに最近はごっさ寒いですね・・・




みんな体調とか崩したりしてませんか?




・・・とか言ってる自分も人のことは言えないのですがw







さて、今回も写真頼りな記事になるのですがお付き合いくださいませ(´ω`*)











つい先日、ちょいと部屋をいじっていたら写真がいっぱい出てきました。




どうやら昔は下手っぴながらも写真を撮るのが好きだった模様・・・?




中学や高校の遠足の写真に加え見たことのある写真が・・・








問:さて、ここはドコでしょう?








答:星くずの村、運動場







ただし、撮影は十数年前だったり

小学生の時の写真だからあってるはず・・・







村の外もこんな感じ












ずいぶんと前なのにそんな気がしない不思議(゜Д゜;)











木星の間、何度か模様替えしているとか・・・








スターライトタワーが出来てすぐだった気が・・・?





日本庭園あたり。冬っぽいかな・・・?





これは残ってた実験工作の裏表紙だけど小学生時代の村の鳥瞰図








よく見るとわかるけど、さすがに全部が一緒とはいかないようで


今とは少し違うところがちらほらあったり・・・




問:さて、今と違うところはどこでしょう?




と、謎かけをして退散することにします。

ヒントは星くずの村かな!←

あとは最近のアルバムとかfotologueとか・・・?




ごんぐ、かーん!!!(・ω・)ノシ
















誰得おまけ








鳥瞰図はこの実験↑「星くずの村植物 図かん」

まだ葉っぱ残ってたよ!?








そういえばこんなこともありました・・・:(;゛゜'ω゜'):

これはこれで楽しかったかもw

星の降る夜に

 ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆

本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい


 


 


 


先日の森山先生の記事にありましたが、今年もしし座流星群の時期がやってきました。


 


せっかくの天文イベントを見逃す手はない、ということで今年も観測に行ってきました。


 


 


当初は近場の予定だったのですが、より暗くてよく見えるところを求めて結局は奈良まで。


 


 


しかしながら、18日は月が明るくしかもあいにくの曇り空。


 


観測には全く適していない状況でした。


 


 


数時間、ウロウロしながら空を見上げていても雲は消えてくれなくて若干諦めの心境。


 


 


時刻はもう3時位になろうとしていました。


 


いよいよ断念して帰らなければならないかなぁと思っていたときです。


 


 


西の空を見るともう月が沈もうとしていました。


 


そしてしし座のある東の空を振り返ると、何と!


 


 


雲がはれていってるじゃないですか!


 


月明かりも無くなり、絶好の観測チャンス!!


 


 


そう思ってもう一度しっかりと空を見つめているとすぐに特大の一個が流れました。


 


 


大きくて、明るくて、とてもゆっくりと流れる流星。


 


「あ、流れてる!」





「ホンマや!すごいな~」


 


 


と会話ができる位の時間をかけて流れていきました。


 


 


あの時間があれば願い事を3回は言えたような気がするほど。


 


 


そういえばこの「流星が流れている間に願いを3回言えたら叶う」というお話。


 


誰もが聞いたことありますよね。


 


でも、実際にはあの一瞬で3回言うのはどうしても不可能だそうです。


 


じゃあ何故そんなお話があるのでしょうか?


 


 


僕はこう思っています。


 


 


いつ流れるかもわからず、流れても瞬く間に消えてしまう。





そんな流れ星に3回も願いを言える人ってどんな人でしょうか?








きっと日頃からどうしても叶えたいその願いを寝ても覚めても強く強く想っている人ではないですか?








それだけの強い想いがあれば流れ星の力を借りずとも、





その人は間違いなくその願いを叶えることでしょうね。


 


 


 


強い想いこそが夢を叶える力の源泉。


ビタミンC

こんにちは

 

CY ( コンパクト ヨコヤマ )

 

 









です。

 



毎年 2~3回風邪をひく



そして 6~18時間くらいで 風邪の症状は治まっていく



その時に 重宝するのは ビタミンC



1回に1gの原末を 水と一緒に飲む



ビタミンCは 薬局で買うことができる



「あっ 風邪かな?」 と思ったときに 1日3~4回 ビタミンCを飲む







毎年 いろいろな風邪が流行る



だから ヒトは何度も 風邪をひく



しかし 風邪をひくたびに すぐに治していけば



常に 新しい情報を体に取り込むことができる



つまり 常に 最新の体であることができる



風邪をひいても 問題はない



すぐに 治せば良いのである

 

  

では、また来週金曜日に・・・。

「しし座流星群」

 森山’s Honey Bucket 54

 

 

 2001年11月18日未明、僕は感動に酔っていた。

 

 雨のように降る流星…いわゆる流星雨を目の当たりにしたのだ。

 

 

 藤原学園の専任や助手の有志チームにうちの家族を合流させてもらい、

 アットホームな「流星ツアー」が始まった。

 

 尼崎臨海部→岸和田港→りんくうタウンと、雲のない空を求めて高速湾岸線を直走った。

 最後に辿り着いたのは、和泉葛城山のふもと、工場かニュータウンかの造成地のようなところだった。

 明かり一つない、不気味だけれど流星観測にはもってこいの場所。

 何より我々をしつこく追い回してきた雲がどこかへ消えていた。

 

 肌を刺す寒さ。

 凍える両手を擦りながら。

 足の裏を襲う大地の冷たさに地団駄を踏みながら。

 それでも片時も怠らず天を仰ぎ続けた。

 空を見ない瞬間があるのが惜しくてたまらなかった。

 

 それほどに、その夜の流れ星は素敵だった。

 

 火球を伴う流星

 流星痕がくっきり残った星

 滞空時間が長く、尾を引いたように流れた星

 

 一つの視野に複数個の流星が同時に飛び交う、夢のような光景だった。

 

 あれからもう10年…

 機会を見つけては空に目を凝らすが、あんな体験を味わうチャンスは得ていない。

 おそらくはこれからも難しいだろう。

 

 当時まだ小学校の高・中学年だった息子・娘にあの体験をさせてやれたことは、親としてとても誇らしい。

 きっと大人よりもっともっと大きな感動を瞼と心に焼き付けたはずだ。

 

 

 ちょっぴり心の財産を増やそうとしているのだろう、

 今夜も娘あゆみは「しし座流星群」観測に出掛けている。

 

 午前2時半、まだ帰って来ん…

 ちょっと心配な父(僕)である。



 

FFC

塾で実験を楽しむ会 = JJT (ヒゲ先生がされていた塾の先生に実験を教える会



Fujihara Fishing Club = FFC(真也先生のブログ池畑先生のブログ参照)





先日から他にもいろいろなネーミングを考えている。



小豆島 = syoudosima = SDS → SDS24 (24は二十四の瞳の24)



星くずの村 実験学校 = HJG → HJG55 (藤原学園55周年にちなんで)



FFCにも何か数字つけようか…先日ならFFC0(ゼロ) = 坊主(釣り用語で魚が釣れなかったこと)



何か後ろに数字をつけないと、今風ではないかな?



ちなみに



藤原学園実験教育研究所 = Fujihara Educational Institute of Science Experiment です。



FEISE ちょっとつづりが違うけれど フェイス(face:顔面)ですね。フェイズ(faze:おどろかす)



でもいいかな。















2010年 夏期合宿 星くずの村の夏

季節は、秋真っ只中。

星くずの村実験学校では、今週末、特別回として、

秋の紅葉スペシャルを企画しています。





























すっかり、季節外れの感じが出てきましたが、夏の報告の

残りいくつかにお付き合いください。





























今年は、いつもの浜が、改修工事のため、特別に、

ホテルのプライベートビーチをお借りしました。



































お盆明けで、若干海が涼しいのですが、長時間、楽しく暴れるには

丁度いい感じです。



























飛び込み台もあって、大ハッスル。

勿論、この下は、身長より、はるかに深い海。

みんな、勇気あるなぁ~と。



























ボート訓練も平行して行います。

学園の助手スタッフは。みな、すいすいボートをこぎます。

さすがは、卒業生です。



























星くずの村まで、ボートをこいで帰ります。

相当な距離なので、初心者の子は、心細いと思いますが、

常に、ベテランが、そばにいるので、安心してくださいね。



























一通り、みなの笑顔の撮影を済ました後、

次の実験の準備のためのプランクトンを採取します。



ごそごそと、その昔、ヒゲ先生が投げておられた採取装置を海に投げながら、

あぁ、自分は、なんと、愉快な仕事をさせてもらっているんだ。

と1人で、微笑んでいました。



フィッシングクラブ

●むこう向きのおっとせい その54






「わくわく土曜日あっくん」に、話題を振られたので書く事にしよう。

 

FFC(藤原学園フィッシングクラブ)。

 

いつのまにか、こんなネーミングになっていた.。

 

 

 

昔、学園には、ラグビー、バンド、天文、テニスとクラブがあって卒業生が集まって、精力的に活動していた。

 

 

ラグビークラブはリーグに参加して試合をしていたし、バンドクラブは会場を借りてコンサートをしていたし、天文クラブは観測会を頻繁に行い、テニスクラブは日曜日にコートを借りて練習していた。

 

 

バンドは私も創生の時から参加して、へたくそながらギターとボーカルを担当していた。

自分にとっては青春の大きな思い出となっている。

 

 

そんなクラブも消滅して随分年月が立ったが、久方ぶりに「フィッシングクラブ」として復活した。

クラブと言うにはメンバーの数も活動も今のところ地味すぎるが、まぁ喜ばしい事ではある。

 



 

さてフィッシングクラブの釣果だが、ここ2回は惨憺たる結果である。

 

 

太刀魚を狙って、泉大津と南芦屋浜に釣行したのだが、奮闘むなしく、どちらも坊主であった。

 

 

しかしながら、海を前にして、魚との駆け引きを楽しむ時間というのは、いつもわくわくする心躍る時間である。

そんな時間を仲間と共有できるのは素敵な事だと思う。

 

 

 

元気に動き回れる時間が自分に一杯残されているわけではない。

 

 

今できる事を精一杯楽しんで、仕事にも精一杯打ち込んでいきたいと最近つくづく思う。

 

 

また近いうちに太刀魚にリベンジしよう。

 

 

ではまた。



 (次は釣るぞ)


ありがとうございました

関係者御各位の皆様方、この場を借りて厚く御礼申し上げますm(__ _)m



沢山の方々の御弔問、御供花、御弔電、御言葉、本当にありがたく頂戴致しました。



また、連絡不行き届きの諸氏の方々には申し訳ございませんでした。





睡眠時間   1日3時間半

晩酌      3合

購読新聞   4紙

テレビ     見ない

風邪      ネギに醤油と唐辛子をかけて酒の肴にして治す







そんな生活を何十年続けてきた父が、いよいよもうあまり長くは無いのか…と感じた8月



酸素マスクの下から動かす唇の動きを読み取れないはがゆさ



思い出の数々を耳元で話しかける




んなに傍に居ることって今までなかった
ですね…



仕事が忙しくてゆっくり話せませんでしたね…



治ったら美味しいものを食べに行きましょうね…



ドクターストップが掛かってるから今は駄目だけど、早く治してお酒飲みましょうね…



池田の呉春か、河内長野のあまの酒がいいですかね…



自叙伝も書かないとね…タイトルは何がいいですか…







声は出せなくても、首を縦に振ったり、横に振ったりで会話した…



とうとうそれもできなくなって、手足も顔もむくんで…







まだ逝かないでください、せめて今度の実験学校が終わるまでまだ逝かないでください、と言い続けてきた





ごめんね、逝くな逝くなって、もうしんどいですよね、早く楽になりたいですよね、もういいですよ~と言った翌日



息を引き取った







普段はなかなか会えない、話せない、そんな父だったけど、小豆島の合宿の時は朝から晩まで父の姿を見て



いた。おなじみの白のクレープシャツの上下で、広い敷地内を何かしら作業をしていた



草むしりであったり、お風呂掃除、落ち葉掃除、溝掃除、ボイラー点検、町への買出し、写真屋さん、農協、



何でも自分で動いた



常に前向きで、後ろは見ない



人前で泣き言は言わず、トイレで「藤原君がんばれ!」と自分を励ました人だった







永いお付き合いの清風の平岡先生が「あんな先生はもう二度と出んやろう」とおっしゃられたと聞いた







何かひとつ、父のように出来ることがあればなぁ…と思案が続く…



















 

FFC

ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆

が、、、日曜日になってしまいました(^^;

そんなボクのヒトリゴトに今日もお付き合い下さい♪

 

 

本当なら土曜日の授業後に家に帰ってこのブログを更新する予定でした。

 

 

が、しかし!

 

 

急遽クラブ活動をすることにらり、更新することが出来なかったというのが言い訳です。

 







 

 

ん?

 

 

 

 

クラブ活動!?

 

 

 

 

 

って思われていますね。

 

 

 

 

 

ハイ、説明しましょう(^^)

 

 

 

 

 

その名も、

 

 

 

 

Fujihara Fishing Club

 

 

 

通称、FFC

(注:まだ誰も呼んでいません)

 

 

 

 

です。

 

 

 

 

要は、学園の釣りクラブですね(^^;

 

 

 

 

 

 

 

以前の林先生の記事にもあるように、元々釣りをされていた真也先生と林先生を中心に、

 

完全なるドシロウトの僕と、何名かの若い先生方で今現在活動を行っています。







とはいえ、あまりにも何もできなくて(知らなくて)先輩方にご迷惑をかけまくる状態。



なので、そろそろとしっかり学んでいかなくては!

 

と思う今日この頃です。

 





最初は人に助けてもらいお膳立てをしてもらっていても十分に楽しいですが、

 

自分で出来るようになってくると面白さが倍増するのは何にでも共通ですよね☆







(空が白んできた、帰り際の海岸)





釣果は真也先生にお尋ねください。

ディシプリン & ポリバレント

こんにちは


 PCY ( ポリバレント コンパクト ヨコヤマ )











です。

 

 



 

今年は 順調にマラソン練習ができている。

 

long jog 90分間

ロング走 20~24km

LSD 180分間

jog 60分間

 

以上を 1週間で走り 走力をつけてきた。

 

無理なく走っているので 体調も万全。

 

12月には またワンランク上のトレーニングを行う予定。

 

 

 

何事も 計画(プラン)が大事。

 

プランを立てたら ポリバレント(柔軟に)それをこなし

 大会当日にピークがくるように 普段のトレーニングを実施。

 

 

トレーニングには一定のディシプリン(規律)があり

 それに従って コツコツと こなしていく。

 

そうすれば いざというときに 自分の持っている力を

 恐れることなく 自信をもって 表現することができる。

 

そう思って走ってきた  

これからも そのようにして走っていこう!

 

 

では、また来週金曜日に・・・。

子メダカ誕生


森山’s Honey Bucket  53

 

 メダカの赤ん坊です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  多くの卵が孵化することなくカビに包まれてしまったので、

  残りの卵も駄目だろう…と諦めかけていたのです。

 

 が、なんとこの子たち4匹は見事に孵化しました。

 事務の智香ちゃんが「先生~!!!生まれてま~す!!!」と見つけてくれました。

 

 毎日元気に泳いぎまわり、乳鉢ですりつぶした餌(小野っちが丁寧にすりつぶしてくれました)

 をよ~く食べます。 

 もう生まれたときの3倍くらいの大きさになった気がします。

 

 卵のうちからお母さんお父さんメダカとは離され、隣の水槽に暮らしていますが、

 もう少し成長したら、親子同じところを泳がせてやりたいと思っています。

 

 

 

 実はこの子メダカたち、ヒゲ先生のお葬式の日に生まれました。

 

 

 それはもちろんただの偶然なんですが…。

 

 この子メダカたちを大きく元気に育てることに、何だか特別な意味がある。

 そんな気がしているのです。


キツネの嫁入り

 昨日、お昼ごろに突然雨が降った。そしてすぐに晴れてきた。けれども、お日さんが照っているのに、まだ、



しばらく雨が降っていた。いわゆる「キツネの嫁入り」である。天気雨とも言うそうである。諸説はネットを



ググれば出てくるのでjここには書きませんが、この「キツネの嫁入り」で思い出すのは、ギターインストゥル



メンタルの曲である。学生時代、ギターを一生懸命に弾いていた時代に練習した曲のうちの一つである。



晴れている(ゆったりとしたテンポ)イメージから、一転、雨が降る(速いテンポ)になり、ふたたび、元の



ゆったりとしたテンポになる曲である。「キツネの嫁入り」通りのイメージで大好きな曲のうちの一つである。



You Tube で「キツネの嫁入り 中川イサト」と打ってください。聞けると思います。



 晴れてから空を見たら、真也先生のブログの「行雲流水」にぴったりだなあと感じました。「人は流れに



乗ればいい(シャーアズナブル)」ってか。

 

2010年夏期合宿 中3夜の学習

中学3年生は、夜の学習の前半に、ウニの発生について実験観察を行いました。



































自分達で、実際に捕獲してきたウニを、解剖し、

受精卵を作り、細胞分裂→発生の様子を観察します。



































本格的には、高校の生物で習う内容なのですが、

普段から、顕微鏡観察に慣れ親しんでいるため、

手つきのスムーズさはさすがに、学園生達です。



























中には、気味悪がって、おどおどと、遠巻きに観察する子もいました。



































実験の後は学習開始です。



























深夜1時ぐらいまで、スタッフとともによくがんばりました。

冬期合宿はさらにハードな夜の学習があります。



みなが、通ってきた道です。

しっかりと応援していくので、一緒にがんばりましょう★





「こんにゃく田楽」と「行雲流水」

●むこう向きのおっとせい その53




ヒゲ先生が亡くなって2週間。

まだヒゲ先生がいなくなったことがピンとこない。

 

いま、天文教室にはヒゲ先生の写真と遺骨が置かれている。

教室に入るとヒゲ先生はいつもの笑顔で私を迎えてくれる。

 

しかし写真の下には小さな骨になったヒゲ先生がいる。

 

やはりここにはいないのだと思い知らされる。

 

 

 

25年ほど前、とてつもなく落ち込んでいた私を見て、

ヒゲ先生が一緒にご飯を食べようと声をかけてくれた事がある。

 

ヒゲ先生がそんな事をするというのはまずないことで、私の様子がよほどおかしかったのだろう。

 

部屋に入るとコンロに鍋がセットされていて、こんにゃくがお皿にたっぷりと置かれていた。

 

他には、何もない。ただこんにゃくがあるだけ。

 

余り話さない私を相手に、ヒゲ先生はたわいもない事を話し続ける。

 

ビールを飲み、お酒を飲み、そしてひたすらこんにゃくをゆで、味噌をつけて食う。

 

 

「こんにゃくだけではさすがに寂しいな。」とヒゲ先生が苦笑いしながら言った。

 

 

その時、ヒゲ先生の私を思いやる気持ちが痛いほど伝わって来た。

 

 

別れ際、ヒゲ先生は紙に筆で「行雲流水」と書いて、笑顔で私に手渡してくれた。

 

 

「こんにゃく田楽」と「行雲流水」

再び前を向いて歩き出す事が出来た。

 

 

死者を死せりと思う無かれ

生者のあらん限り

死者は生きん 死者は生きん

                                     ゴッホ

 

 

ヒゲ先生は目の前にはいなくなったけど、

もしかしたら今まで以上に身近にいるのかもしれない。

 

 

ではまた。

金髪少年の思い出

ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆

本日も僕のヒトリゴトにおつきあいください♪







「なんだ、その髪の毛の色は!!!」






僕が高校生の時代、学園におられた方のほとんどが知っているエピソード。



高校の帰り道に、ふと思い立って本部校に顔を出したときのことでした。



当時働いておられた事務の先生と職員室でお話をしていたときに、事件は起きました。



普段は忙しくあちこちを飛び回っておられて、あまり顔を出されることはないと聞いていたので寝耳に水状態です。





そう、ヒゲ先生が来られたのです。



髪の毛を染めることをとても嫌っておられた先生は僕の頭を見るなり大激怒。



当時の僕は、自由な校風の高校に入学できたことをイイことに輝くまでの金髪。



当然烈火のごとく怒られ、僕はすごすごと教室をあとにしました。



その後、事務の先生から心配されて連絡がくるほどの怒られっぷりでした。





これが僕のヒゲ先生に関する一番の思い出・・・















では、ないですよ!



多くの方にはそう思われているかもしれませんが(笑

















実はもっと時代を遡って、僕が小学生の時。



もちろん金髪ではありません。





実験学校で小豆島へ行っていたときに事件は起こりました。





夜の実験が終わった後、急激な腹痛に襲われたのです。



あまりの痛さと、自宅ではないという不安から泣き出してしまうほど。



そんな僕を見かねた友人がヒゲ先生を呼んできてくれたのです。





先生は僕を鬚髯庵(ヒゲ先生の部屋)に連れて行き、薬を飲ませ、ベッドに寝かせてくれました。



痛くて痛くてしかたなかったはずなのに、ヒゲ先生に守られているという安心感からか知らぬ間に僕は眠りについていました。



次に目が覚めたときにはすっかり痛みは消え、先生に送られて僕は自らの部屋に戻りました。





子供ながらに大きな愛情を感じた夜でした。







これが僕のヒゲ先生との一番の思い出。



きっと同じ様な体験をされた方も多いでしょうね。







さて、今日でヒゲ先生が旅立たれて2週間。



もう向こうの世界での宴会も一段落したころでしょうか。





全てを受け入れて 次へと進む言葉 さようなら

(KOKIA say goodbye & good day)


32年前

こんにちは

 

CY ( コンパクト ヨコヤマ )











です。

 

 

私は 中3の高校入試のとき 中学校の判定では第一志望校が×(不可)だった。

中学の担任の先生は 「志望校を変えなさい」 の一点張り。

 

 

五ツ木模擬テストでは 4月以降ぐんぐんと成績が上昇し 第一志望校には最終的には届いていた。

 しかし 内申点が足りなかったために 中学校では×だった。

 

 

藤原学園でも ヒゲ先生の個人懇談があった。

 

「内申が足りないが 実力はある」と言ってくれた。

 

心に残っているのは 決して 頭ごなしに「無理だ」とか「止めた方がいい」とはヒゲ先生は言わなかった。

 「こうすれば合格する」 「不合格の時には 私立に行くことになる」 という説明で

 最終的に決めるのは私自身だった。

藤原学園の判定がでない生徒は 藤原学園の授業中 何度も職員室に呼び出しがあった。

 

私も 授業中に 何度も 職員室に通った。

 

そんな時 うまく自分の気持ちが言い表せない。 黙ったまま・・・。

 

 

しかし ここまで 自分なりには 一生懸命に 本当にひたすら頑張って志望校に届くようにと 勉強に取り組んできた。

 

朝起きて 学校に行く前

       学校の休憩時間

       帰宅して藤原学園に行くまで

       藤原学園から帰ってからも



毎晩 日付が変わっても まだ入試問題に取り組んでいた。

 

自分を信じて 本当に毎日勉強した。

 毎晩の睡眠時間が5時間未満で 全国高校入試問題(電話帳)も仕上げた。

 



 

そして 願書を出す直前 ヒゲ先生との最後の懇談で やっと自分の気持ちを伝えることができた。

 

  「・・・すべってもいいから ・・・受けたいです。」

 

その声は 確かに震えていた。

自分の気持ちを言葉にするときに 人は声が震えるものだと その時に知った。

 

ヒゲ先生にまで もし「だめだ」と言われたらどうしようという緊張のため 感情は高ぶり 声が震えたのだろう。

 

ヒゲ先生は 「やってきなさい!」と言ってくれた。

その時 初めて 自分以外に信じてくれる人がいることを実感した。

 

私も 人を信じることができる人間になりたい。

 

 

受験が近づけば 人は不安になる。そして逃げ出したくなったり やけくそになったり あきらめたり・・・。

 

受験という大きな目標から 目をそらさずに 生徒(後輩)たちが挑めるように 私自身 しっかりと 歩んでいきたい。

 

 

 

では、また来週金曜日に・・・。

ヒゲ先生とJJT

 森山’s Honey Bucket 52

 

 

 もう15年以上も前になると思う。

 

 学園の職員会議の席上、ヒゲ先生が

 

 

 「小生は『全日本JJT』を立ち上げることにした。

 

 J…塾で、J…実験を、T…楽しむ会

 

 で、JJTである。」

 

 

 と話を始められた。

 

 

 常日頃からヒゲ先生は「日本の理科教育の現状は惨憺たるものである。」とおっしゃていた。

 特に公教育への失望を語られるのをよく耳にした。

 

 

 多くの予算を投入され立派な備品を揃えているにも関わらず、事故があってはならないからとか、

 手間を掛ける割に得られる効果が少ないからとか、

 と言う理由で、揃えた備品を真に活用しようとしない。

 そんな公教育の現状について、

 

 理科教育の有様を憂い、現況を打破しようと、

 信念を持って立ち向かう教育関係者が少ないことについて、

 

 子どもたちに最も近い位置に立つ現場教師の中に、

 しっかり理科を勉強しているとは思えない人がたくさんいることについて、

 

 嘆いておられたのを記憶している。

 

 

 

 「学校が駄目なら、塾が立ち上がるより他にない。」

 

 「全国の心ある塾が、子どもたちのために理科実験をする。」

 

 「そのためのノウハウはすべて公開し、塾の先生方が安全かつ有意義に実験できるようヒゲが指導する。」

 

 「小生の構想では、当初は月に一度、小豆島「星くずの村」にてJJTを開催するつもりだ。

 開催の度、小生が塾の先生方を生徒たちに見立てて実験授業をする。同時に「ここではこんな注意が必要 

 だ。」とか、「この場面ではこんな演出をすると子どもたちは大いに喜ぶ。」とか、できる限り丁寧に伝える。

 「実験の要諦は予備実験にある。」これもしっかりと指導したい。

 

 3~4つの実験授業が終わったら、先生方とスキヤキをつつき、杯を酌み交わしながら、塾の使命や経営に

 ついて、また互いの夢についておおいに語り合うのだ。

 小豆島までの交通費のみ自弁。その他JJTへの参加費用は一切無料とし、ヒゲがすべて負担する。

 JJTへの参加資格は唯一、『塾長自らが会に出席することのみ』。

 決済権のある人が相当の覚悟をもって実行に移さない限り、子どもたちのための理科実験指導を

 継続することなどできないからだ。」

 

 

 ヒゲ先生のJJT構想は、先生の頭の中では既に完成をみていたようだ。

 

 寝ても覚めても考え抜いて、「よしっ。」となったら即実行。

 これが僕の知りうるヒゲ先生のいつも変わらぬ生き方だった。

 

 

 やがてJJTの存在は全国の心ある塾長に知られるようになった。

 

 各地方から、生徒数何万という大規模塾の塾長や町の小さな塾の塾長らが毎回「星くずの村」にやってこら

 れた。そしてその都度ヒゲ先生を囲んで、実験を楽しみ、日本の理科教育に果たす塾の役割を確認されてい 

 たようだ。

 ヒゲ先生は乞われて、北海道や沖縄石垣島へも実験をするため出向かれることもあった。

 JJTの活動に共感されたある国立大学の教授が、実験講師として自ら名乗りを上げ応援授業をして

 くださったこともあった。

 

 

 先の専任会議の頃、不安を抱いた僕はヒゲ先生にこんなことを尋ねてみた。

 

 「ヒゲ先生、理科実験は藤原学園のいわば専売特許、学園の大きな特色です。

 全国の塾がヒゲ先生に習って実験を始めるようになれば、わが学園の特色が特色でなくなり、

 結果将来われわれがご飯を食べられなくなるのではないですか?僕はそれが心配です…」と。

 

 ヒゲ先生は豪快に笑いながら、

 

 「君はけつの穴のこまいことを言うね。もっと日本全体のことを考えてみなさい。

 いろいろな場所で多くの子どもたちが実験に歓声を上げ、ものごとをしっかり考えるようになるんだよ。

 それを想像してみなさい。実に素晴らしいことだ。アッハッハ!」

 とおっしゃった。

 

 

 ヒゲ先生の蒔かれたJJTの種は確実に発芽した。

 

 全国の塾で実験を楽しんでいる子たちの数は飛躍的に増えた。

 

 

 「ヒゲ先生、やっぱり最近ご飯が食べ難くなってきましたよぉ…」

 そんな泣き言が天国のヒゲ先生の耳に入るようなことにでもなれば、

 

 「君は何を言っとるのかね!」

 

 こんどは叱り飛ばされるに違いない。

 

 高い志をもち、そのひとつひとつを現実のものとしてこられたヒゲ先生。

 その航跡を掻き消してしまうことのないよう、頑張らねばならない。

ヒゲ

  ヒゲ先生がお亡くなりになった。



その数十年前、私がはじめて藤原学園に入学して、みんなから「プレゼント」がもらえるよ。と教えて



もらっていた。何がもらえるのかは全く想像できなかったが、まあ何かもらえるならうれしいなと思って



いた。そして、その時が来た。新しく入った林くんに「プレゼント」をあげよう。これはまた欲しいと思って



もどこにも売っていないものである。分かるか?(?分からん)



では、あげよう、じょりじょり…。それがはじめてのヒゲだった。なぜヒゲ先生だったか、分かった瞬間



でもあった。後輩にも同じようにされていた。先輩にも同じようにされていたであろうその光景はもう



見られない。合掌。





はやく帰っていらっしゃい

はやく帰っていらっしゃい



青い海 緑の山河 思い出の星くずの村へ



いつも星くずの村に最後まで残って、

みなの元気な姿を後ろから見送りつつ、

子供達にかけられたヒゲ先生の言葉そのものなのだと、



いまさら、

気がつきました。



「やぁやぁ」

と目を細めて微笑まれている姿が、目に浮かびます。



これからも、僕達を楽しくお迎えください。

そして、僕達を安全に送り出してください。







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