藤原学園の『年中夢求』日記
〜今日も顔晴るみんなへ〜
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若干見苦しくなってしまいますが、どうかご了承下さい。
〜以下、忍者ブログより〜
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9月5日のお知らせさせていただきました通り、
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■実施日時
2011年9月28日(水)より
「走る」ことは 「眠る」こと
新しい家族
森山’s Honey Bucket 98
母が夜中にふと目覚めたとき、
ベッドの周りに誰もいないのは寂しかろう…と
仔犬を1匹飼うことにした。
おじいちゃん(まさゆき)から「ま」の1文字
おばあちゃん(いくよ)から「い」の1文字
をとって家族会議で決まった名前は「まい」。
やんちゃな女の子だ。
美顔の犬が並ぶ中で、母が選んだのは「パグ」。
母が悩んだ末に導き出した結論に、もとより異議を唱えるつもりはなかったが、
「なんでパグを選んだん?」と尋ねてみると…
「この子やったら、私の方が鼻高い。優越感に浸れるやん!」
なんとも素敵な理由だった。
今はまだ、
夜中に騒ぐやら、ウンチいっぱいするやら、
母の安眠を妨害してばかり。
ほんとうによかったのかなあ…と悩むこともあるが、
可愛い家族の一員となっている。

雨のち曇り、時々晴れ
FFC合宿報告
先週小豆島に釣行する前に、1投目に40センチのチヌが釣れたと、
願望を込めてフィクションでブログを書いた。
さて実際はどうだったかというと
釣れました!
40センチには及ばなかったし、1投目ではなかったが、37センチのチヌが釣れた。
最初、坂手の港で釣っていたのだが、全く釣れなかったので、
場所を「ダイヤモンドビーチ」(改めて書くとすごい名前だ)に変えた。
その前に「林釣具店」に寄り、いい味をしているご主人に、
「どのルアーがいいですか」と尋ねたら、あるルアーを勧められた。
そしてそのルアーで投げ始めてまもなく、待望のアタリがあった。
強烈な引きを感じながらリールを巻き取ると、大きなチヌが上がってきた。
ブログの予想では、サップ君にタモですくってもらうように書いたが、
実際は林先生にタモですくってもらった。
皮1枚つながった状態だったが、何とかゲットすることが出来た。

よい結果を思い浮かべ、期待しながら待つというのはいい結果を生むのかも。
これからもちょくちょくこのパターンでいってみよう。
またいいことが起こりますように。
ではまた。

(ヒゲ先生の好きだった曼珠沙華が咲いていた)
はじめまして
上本町校助手の山中です!
夏合宿と実験学校何回か行ってるので知ってくれてる人もいると思いますが
まだ僕の存在を知らない人も多いですよね
そこで今回は僕のことを知ってもらおうと思います
僕は野球が好きですね
中学高校は野球部でした
ちなみに巨人ファンなので敵が多いかもしれないですね(笑)
休みの日は大概テレビで野球見てます
あと緊張しいなんで実は授業のときはけっこう緊張してるんですよ
昔から人前で話すのが苦手なんでね
でもみんな友達みたいな感じで接してくれるので僕としてはすごく嬉しいですよ
僕は藤原学園のみんな仲がいいあの雰囲気が大好きです
生徒だったときと全然変わってないですね
僕は小学校3年生のときから藤原学園に通っているのですが
行きたくないなと思ったことは一度もありません
楽しかった思い出しかないですよ
みなさんにもそんな風に思ってもらえたらと思います
まとまりのない文章になってしまいましたがこのへんで終わりしておきます
それではまた教室でお会いしましょう
デクノボー
ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
長く続いた暑さも続けてやってきた台風に飛ばされてすっかり秋の空気になりましたね。
きれいな青空を眺め、心地良い風を受けているとBBQがしたくて仕方がないです。
秋真っ只中の昨日もまさにそんな日でした。
どこかへ出かけるのも素敵だなぁと思いつつ、一日中「読書の秋」を満喫。
おかげで積ん読状態の本を2冊減らすことができました。
うち1冊は久々の歴史小説。
戦国時代、ほぼ天下を手中に収めた豊臣秀吉がついに落とせなかった城「忍城」が舞台です。
石田三成率いる豊臣軍20000人に対して、忍城側は何と500人。
40倍の勢力を相手にするわけです。
忍城側の総大将はどれだけ優秀なんだろうか、と思いますよね。
一騎当千の武力の持ち主か。
はたまた秘策のような軍略を考え出せる智力を備えているのか。
この本の主人公であるこの総大将・成田長親にはそのどちらもない。
それどころか、領地の農民たちにすら「でくのぼう」と呼ばれるような人物です。
では彼にはいったい何があったのか。
それは何故だか人を惹きつけてしまう魅力、つまり「人気」。
この「人気」ゆえに周囲の人々はこの「でくのぼう」を放っておけずに助けてくれるのです。
僕たちも周りを見渡せば様々な特技や能力を持った人がいます。
自分にもそんな力があったらなぁと思うことも少なからずありますよね。
もちろん、鍛錬して身につけることができるものは手にいれれば良いでしょう。
ですがそれができないものもあります。
そんなときには助けてもらえばいいんですよね。
いっぱいいっぱい力を貸してもらえばいいんです。
どれだけスゴい人でも、一人で出来ることには限りがあるんですから。
ただ、助けてもらうためには必要不可欠なものがあります。
もう分かってますよね。
そう
人から好かれること
ですね。
『のぼうの城』(和田竜)
とっても面白かったです。
来年には映画化もされるみたいですね。
おれは剣術を使えねェんだコノヤロー!!!
航海術も持ってねぇし!!!
料理も作れねェし!!
ウソもつけねェ!!
おれは助けてもらわねェと、
生きていけねェ自信がある!!!
(モンキー・D・ルフィ:ONE PIECE)
立候補

こんにちは
CY ( コンパクト ヨコヤマ )です
小学生 中学生のとき
多くの生徒は 学級委員や生徒会に立候補することなど なかった
そこでは いつも一部の生徒たちが 立候補していた
その当時 もし委員や委員長になれば
仕事が増えるだけだ
その代わり 遊ぶ時間が減ってしまうかもしれない
これは一大事だ!
大人社会では 議員などに 挙って立候補している
全員 本当に自分がやりたいことがあって 立候補しているのだろうか
仮に 本当は自分が 立候補しなかったら・・・
そのときは 別の人間が 議員になる・・・
その人間が 自分のやりたいようにするだろう・・・
その方法が もし自分の意に沿わないものだとしたら・・・
これは いけない 何としても阻止しなければ
こうして 自分が立候補して 自分の思うように法律を作る
この先も 選挙が続く
しっかりと 人間の中身を見て やりたいことがある人に任せたいと思う
では また来週金曜日に・・・
秋分
森山’s Honey Bucket 97
ある人の随筆に、日本のこよみにはアメリカなど西洋のそれに比べ、
季節にまつわる記述が圧倒的に多いとあった。
なるほど、節分・立春・春分・八十八夜・立夏・入梅・半夏生・土用・立秋・二百十日・・・
そして秋分。
2月から9月までのカレンダーにも四季の節目となる日の記載が数多くある。
アメリカでは独立記念日だとか、リンカーンが大統領に就任した日であるとかいった具合に、
人に関わる記述が多いそうだ。
あまり季節にとんじゃくがない例として、アメリカの教科書には、
冬を感じさせる文章の挿絵にサーフィンを楽しむ人が載せられていたり、
夏の場面に冬の写真が掲載されたり・・・といったことが少なくないと筆者は書いていた。
服装に配される図柄を見ても、
梅雨時期にはアヤメはショウブといった具合で、その季節らしいものが好まれる我が国に対し、
アメリカでは朝用(morning)と夜用(evening)というように、1日の中でのメリハリが意識されるのだとか・・・
もちろんどちらが良い悪いの問題ではないのだが。
農耕が生活の基盤だったからか、
四季がもたらす景観や生活様式の変化に、いつも心を向け続けてきたからか、
この国の人々は四季の移ろいを楽しみにし、大切にする国民性になったようだ。
自分もまさにその一人だ。
秋風が涼しい朝、素敵な空に出会った。
我が家の朝顔(もうそろそろ終わりだが…)の枯葉の上に、ショウリョウバッタの夫婦が仲良く並んでいた。
まもなく、中間テスト対策・個人懇談会・とうふつくり・先輩を囲む会・・・
FFC秋の合宿
17日の授業終了後、PM11時に八戸の里出発。
午前1時発のジャンボフェリーで島に渡る。
今回はこれまでのガシラ・メバル中心の釣りではなく、
ちょっとサイズアップのチヌ・シーバスをターゲットに釣行した。
行く前に本を読んだり、ネットの動画を見たりして少し研究。
この時間が楽しい。
島に到着後、「星くずの村」に行き、釣り準備。
そして勇んで釣り開始。
場所は林先生に一任。
はじめての仕掛けにワクワクしながら第一投。
ゆっくりとリールをまいてくると、なんと竿に手応えがあった。
即合わせると、ずっしりとした重みがある。
バレないかと心配しながら、ゆっくりとリールを巻く。
魚はサップ君が待機してくれたタモに無事に収まった。
全長40センチのチヌだった。
今までに釣った魚の中で、タチウオ以外では一番の大物であった。
ルアーを投げてから取り上げるまでのこのワクワク感。たまらない。
ドーパミン出っぱなしである。
その後も次々に魚が釣れる。
本当に楽しい今回の釣行だった。
ではまた。
ちなみに「島に到着後〜」からは出発前に書いた私の想像、フィクションである。
帰ってからではブログを書いている時間がないと思ったもので(どうもすみません)
さて実際はどうなったのでしょう。
次回報告します。
新しい知識
今里本部校で助手をさせてもらっている長井泰三です。
突然ですが…
泰三←この字は何と読むと思いますか?ヽ(^^)
正解は やすみ です(笑)
そうです。ひらがなにすると ながいやすみ です(笑)
この名前を一発で読んでくれた人はいまだかつていません(T^
しかし、人の名前は読むのが難しい場合が多いし、
子どもたちが普段の授業や、実験学校、
もう学校が始まって、少し経った頃だと思いますが、
そろそろエンジンがかかる頃だと思うので、
雨の日に
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
僕たちが日頃使う様々な道具。
長い年月を経るなかで様々な工夫が凝らされている。
でもその工夫にはほとんど気付かない。
気付くとすれば、それを失くしたときだろう。
今日は出勤前に自転車で少しまわり道をして本屋に立ち寄った。
本を見て回ってると外から凄まじい音。
窓に目をやると景色が白くなる程の豪雨。
小雨になるのを待って教室へ向かった。
少しすれば雨があがり日が射し始める。
ほとんど濡れずに教室に到着。
と、思っていた。
が。。。
背中がずぶ濡れだ。
僕の自転車には泥よけがないんだった。
泥よけの有る自転車に乗っていたときには全く気付かなかった。
泥よけは素晴らしい工夫だ。
それが有るのが当たり前と思われる工夫って大発明だよな。

・・・次第
CY ( コンパクト ヨコヤマ )です
もしも 自分自身に関して 未来のことが 予め分かったとしたら
もしも 明日や1ケ月後や 来年の 自分のことが
今 分かったとしたら
分かってしまえば 未来に対する期待が薄れ
ドキドキ感もなく 今という時が つまらないだろうか
今度は 視点を変えて
もし 自分自身に関して 未来のことを
自分である程度 決めることが可能だとしたら
もし 明日や1ケ月後や 来年の 自分のことを
自分である程度 決めることが可能だとしたら
そのときは 未来に対して わくわく感やドキドキ感が 増すだろう
ヒトには感情があり それによって
日々 「今日は良い日」 「今日は悪い日」 と決めていることが多いと思う
ヒトには感情があり それをコントロールできれば
日々 「楽しい明日」がやってくる
スポーツも トレーニング次第
勉強も トレーニング次第
そして 感情も トレーニング次第
つまり 未来も トレーニング次第
では また来週金曜日に・・・

ついにギブアップ
森山’s Honey Bucket 96
ついに老眼鏡を購入してしまった。
(ヒゲ先生はご自身の使っておられたそれのことを老眼鏡とは呼ばず、
ずっと拡大鏡と言い続けておられたが…)
ここ1~2年、めっきり電話帳(全国高校入試問題正解)の問題が読めなくなった。
近視用の眼鏡を掛けていたせいもあるので、
もっぱら眼鏡を頭の上にずらして対応してきた。
すなわち、遠いところは眼鏡で見、近くは眼鏡を外して裸眼で見る。
そんな不自由なことをしてきた。
しかし、アンチエイジング?
心の中で、老眼鏡(遠近両用)を作ることを頑なに拒んできた。
でももうダメだ…
ついに40~50cm先が見えなくなった。
近視用の眼鏡を掛ければ近すぎてピントがあわず、裸眼では遠すぎてやはりだめ。
コンピュータ操作が特にキツイ。
近眼用の眼鏡を掛けたまま画面の文字が読める位置までバックすると、
腕の長さが足らず、指がキーボードに届かない。
裸眼だと、サーキットレーサーがハンドルを操作するような格好で、
まるで画面に額を付けるような座り方になる。
ということで、ついに観念しました。ギブアップです。
潔く?老眼鏡とともに人生の後半を歩んでまいります。
感じる力と作る力
ずっと探しています。そして、できる限り
そういうシーンを記録したいです。」
と今まで話してきました。

普通なら見過ごしてしまう決定的瞬間を、
きっちりとひろいあげる「感じる力」は、
精神状態にも大きく左右されるので、
それだけに敏感で有り続けるのには限界があります。

最近新たにやってみたいと考えているのが、
観察者として、その場に潜み続けるだけではなく
より能動的に、楽しいシーンを自らが作り出して撮る
演出者的なスタイルです。
悪い言い方だと「やらせ」ともいいますが・・・
よい「やらせ」にする事が重要です。

ポーズや、立ち位置を指示したり、
笑顔や真剣な顔を引き出すためには、
まずは、こちらからの「言葉」と「表情」が重要です。
どう投げかけるか、また、うまく受け取ってもらって実行してもらえるか。

生徒と一緒に授業を作り上げていく時と
非常によく似ているのですね。
みんなちがって・・・
●むこう向きのおっとせい その97
10.11日と実験学校の特別会があった。
今回は「燃焼スペシャル」ということで、
ドライアイスの還元実験・花火作り(炎色反応)・フラッシュペーパー・粉塵爆発
と様々な燃える実験にチャレンジした。
中には中学レベルの高度な実験もあったが、子どもたちはしっかりと取り組み、
理屈もよく考えた。
私は、「花火」と「面白く燃える紙」の実験を担当。
特にフラッシュペーパーは一瞬に燃えて、影も形もなくなるのが面白く、
子どもたちは大興奮だった。
今回の夜ごはんは、いつもならすき焼きなのだが、「燃焼スペシャル」なので、BBQ。
第4宿舎の前に会場を設定して、みんなで楽しく食事。
爽やかな風を受け、時には星を眺め、心地よい時間だった。
入浴後は、ひと足早く「お月見」
月のクレーターの観測をしたあとで、お団子食べた。
月は本当に綺麗だった。
朝の釣りは、風が強く、波が荒かったので、釣り場を変更。
釣果はいまいちだったが、大物もまじり、子どもたちは楽しんでいた。
次回は今までの「うき釣り」から「リール使った釣り」に変更し、
新たな釣りに挑戦する。
みんなが釣りをしているときに、釣りには全く関心を示さず、
別行動をしている女の子がいた。
最初は「みんなと一緒にやろうよ。」と言ってたのだが、我関せず。
一人海の中を覗いては、何かを採っている。
しばらくほっておくと
「先生、『カメノテ』が採れた!」と叫んでいる。
見てみると群生しているはずの「カメノテ」の大きなのが、
ひとつだけ岩についているのを持ってきた。
「カメノテ」にも一人(?)外れているのが居るんだと思って、
なんだかおかしかった。
釣り終了後、彼女が夢中になって覗いていた岩場を見てみると
綺麗な水の中に、別の世界が開けていた。
「なるほどこういうことか」と妙に納得してしまった。
同じ場所、空間にいても、自分には見えない喜びを見つけている人がいる。
当たり前のことなのだろうが、一つ改めて教えられた瞬間だった。
これからも、子どもたちの感性を見落とさぬよう、付き合っていかねば。
ではまた。
(BBQ会場です)
夏休みの思い出
3.11から半年
朝から当時の恐ろしい映像が流れている
社員に「津波が来るから早く逃げなさい、そこはいいから早く逃げなさい、電気消して、早く!」
落ち着いて支持し終え、高台に避難し、目前で自分の会社が流されていく様を映像に収めている副社長の
「止まれ~、止まってくれ~、」という切ない声に
涙が止まらなかった
夏が終わった
始まるとき、暑いのは嫌だなと思ってたら
意外と早く終わりが来た
日本は四季があるからいい、という人もいる
季節ごとのレジャーも楽しめる
学生の頃は夏が好きだった
夏休み、一日中自分の好きに使える時間が好きだった
ゆきちゃん遊ぼ~、
しいちゃん遊ぼ~、
ひとみちゃん遊ぼ~、
小学生の頃は遊ぼ~、しかない
「夏のとも」、工作、天気調べ、ポスター
宿題はいつも夏休みが終わる頃に慌ててする
布施まで映画見に行く?
本五会館でバンド演奏しやるから聴きに行く?
暇だからお誘いには応える
チョット行動範囲が広がった中学生
そして高校生になったら、夏休みはバイト代貯めて、友人数名と海への旅行
買い出しやら何やで、行く前から盛り上がり、帰ってきたら思い出話で盛り上がる夏の開放感、自由な時間が大好きだった
その頃はクーラーが無くても平気だったのに…
学生の本分は勉強だ、と言われても一生懸命勉強した覚えがない
(おっと、これは職業柄言ってはいけないことだった)
なんか今も変わってないな~
タイムリミットが近づくとやっと集中力が出る
早くからとりかかっても、ゆとりがあると寄り道する
会議の日もまだ時間があるし、と夕飯の一品の下ごしらえをして
またまた焦るはめになる
やるべき事の優先順位を決めろ
自分にツッコむこの頃
時は同じようにすべての人に平等に与えられてるのに
上手に使える人と、そうでない人
生徒が早くから自習をしに来る
来たとたんの休憩に、何しに来てるん?とツッコミたくなる気持ちと
やらなあかんと思って来るだけ良し、とするか~が交差する
やっぱり、
やっぱり
自分を動かすのは自分やなぁ…
さて、今日のやるべき事はなんだ
ブログネタどっかに落ちてないかな
才能?
ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
この前の日曜日、以前の讃岐うどんツアーのメンバーで宝塚にある手塚治虫記念館に行ってきました。
といっても、元々そこが目的地だったわけではないのです。
本当は前々から予定していた天橋立に行くつもりでした。
が、先週日曜日といえばあの台風12号が日本列島を離れた直後。
天気予報を見ると天橋立付近はそんなに天候が崩れなさそうなので強行することにして朝から出発。
出発時には天気も穏やかだったので、これは行けると思いながら車を走らせました。
ちょっと走っていると凄まじい豪雨。
数十メートル先が見えないほどです。
すると案の定、宝塚から先は道路が封鎖されてしまってました。
しかし、楽しむことにかけてはあきらめの悪い4人です。
転んでもただでは起きません。
早速代案を練り、近場で行ける手塚治虫記念館に行くことになったというわけです。
記念館の中はもちろん手塚治虫の情報が満載で、一つ一つ丁寧に見て回ると丸一日いることができそうでした。
その中でもやはり大きな部分を占めるのが、手塚治虫の生涯を著したコーナーです。
そこには彼が幼少の頃に描いた絵も展示されているのですが、小学校低学年の時点ですでに上手な絵を描いています。
そんな絵を見ながら友人と、
「小2でこんな絵が描けるなんてスゴいな~。」
「やっぱり才能があったんやね~。」
なんて話をしていました。
才能?
家に帰ってから妙にその言葉が引っかかります。
手塚治虫は絵を描くことが小さな頃から本当に好きだったようです。
ということはあの展示されていた絵を描くまでにきっと何十枚も何百枚も描いたであろうことは想像に難くありませんよね。
それを「才能」って一言の言葉で済ませてしまうのって何か違うなと。
例えば僕が中1の頃。
初めて勉強し始めた英語の単語を覚えるのに、最初のうちは紙に書きまくりました。
そして単語カードを作ってみたり、自分でテストをしてみたり、段々と工夫をするようになります。
そんな甲斐もあって見事、単語テストでは満点をとることができました。
そんな僕の答案を見ていた友人が、
「いいよなぁ、池畑は単語を覚える才能があって。」
って言ったら当時の僕はどう思ったのでしょうか。
「ちょっと待てぃ!」
「才能じゃないって。めっちゃ練習したんやって。」
って思ったハズです。
上手くいってない人ほど、上手くいくために必要なものを「才能」という言葉で片付けてしまうことがあります。
その舞台裏を見ようとせずに。
そして残念ながら「才能」を理由にしてしまうと何もできなくなってしまいます。
では、上手くいく人は上手くいく理由を何だと考えているのでしょうか。
多くの成幸者は、その理由を尋ねられたときにこう答えています。
「いや、上手くいくまで続けてきただけだよ。」
って。
そう、上手くいく人は、
「継続」
をその理由として考えているようです。
まぁ、もしも天が手塚治虫に何かしらの才能を与えたとするならば、
それは「誰よりも絵を好きになること」なのかもしれませんね。
好きだから継続し、
継続するから成幸する。
さぁ スタート!
峠の景色
森山’s Honey Bucket 95
一年に一度、夏の終わりから秋口にかけて、
何だか無性に眺めたくなる風景がある。
生駒山を越える暗峠辺りに広がる田んぼの景色だ。
膨らんだ稲穂が、峠を吹き抜ける涼しい風に揺られる様がいい。
「よし行ってみよう。」
たいていは前夜に思い立ち、あくる朝から生駒山を目指す。
ふだんから体を動かしている人にとってはたやすい山登りなのだろう…
しかし、僕のような身重(?)の体で、大阪側から生駒山(暗峠)をめざすのは
それなりにしんどい。
去年まではもう少し楽に登れたはずなのに、今年は途中休憩の回数が多い。
「う~ん、これではいかん!しっかりせい森山君!」
畔に腰をおろした。
素敵な時間なのに、静かにゆっくり流れている気がした。
いつもは、なだらかな坂道を南生駒駅まで下るのだが、
今回は鳴川から瓢箪山駅に下る道を選んでみることにした。
自分なりの達成感を得、夏休みを終えることができた。
涼海
スタッフは、ボートだしや、エリアチェック等前準備をしています。
連日35℃が続いた夏なのに、
どうしたわけか、
この日の気温は二十度前半!
写真は、寒いというY先生を、S先生が全身で暖めてあげようという、
心温まる、すばらしくも、気色悪い(w)ワンシーンです。

毎年、日焼け止めを大量に塗りたくって、
やれ、飲み水だ、サングラスだ、麦藁帽子だと、
大騒ぎで準備するのですが、今年は、汗すらかきません。

こんなに、COOOOLな夏の海は
過去、一度も体験したことがありません。
写真は、色等ノーレタッチなのですが、特別な
「涼」カラーの絵の具だけで描いた絵のようです。

本来は真夏が似合う華やかな花も、葉の緑も、
さすがに、この気温には、動揺している感じがしました。
石のスープ
夏休みが終わり新学期がスタートした。
と思ったら台風12号のためいきなり休校になった。
暴風警報が出ている割には雨風も強くない。
ジュニアサイエンスに通ってくれている小1の保護者の方から
「先生、今日は本当に実験はないのですか。風も強くないし、
子どもが行きたいと強く言うので、連絡は受けていましたが問い合わせてみました。」
との電話があった。
そんなにも期待してくれている子どもがいるというのは、大変嬉しいし、励みにもなる。
子どもたちにとって理科実験は、不思議にあふれた、興味津々のものなのだろう。
「石のスープ」という話がある。
3人の疲れた兵士が、ある村にたどり着く。
村人たちはケチなので食べ物を隠す。
兵士たちは村人に食べ物を分けてくれないかと頼むが誰も与えるものはない。
「それでは、仕方がない」と言い、3人は、鍋を借り石と水をいれてグラグラと煮立てる。
「石のスープ」を作るという兵士に興味をもった村人が鍋のまわりに集まってくる。
「ああ、塩とコショウがあればなあ・・・」と兵士がつぶやくと、
打ち解けてきたある村人が、それらを持ってくる。
「にんじんがあれば・・・」「ジャガイモがあれば・・・」と言うと、
次々と鍋の中身が充実してくる。
最後にはミルクと肉が加わり、村人と一緒に分け合い、大いに盛り上がり、
「こんなおいしいスープが石から出来るなんて信じられない!」と村人は大喜びする。
夜更けまで飲んで踊っての楽しい一夜になる。
というものだ。
いろんな解釈の仕方があると思うのだが、こんな「石のスープ」みたいな授業ができたらいいなと思ってしまう。
子どもたちがこちらの言ったことに興味を持ち、次々に授業が展開していき、
最後はみんな大喜びする。
いかに授業を導入し、子どもたちをいきいきと活動させるのか。
「石のスープ」
こんな発想を持って、子どもたちと向き合っていきたいものである。
ではまた。
夏を経て
八戸ノ里校で働かせてもらっている坂田晃樹です。
みなさん夏休みが終わり、9月から学校生活が始まりました。
夏休みどうでしたか?
早く学校に行きたいと思ったり、もっと夏休みが欲しいと思ったりといろいろだと思います。
その中でも中学3年生の方にとっては、
とても思い出に残った夏休みになったのではと思います。
部活の引退です。
中学1年生から2年半ほど毎日毎日頑張って続けてきた部活。
様々な思いがあったと思います。
先生に怒られてクラブに行くのが嫌になったり、
試合や大会でいい結果を残せてみんなで喜び合ったり。
僕もバスケをしていましたが、今でもそれらのことは鮮明に覚えています。
そして、引退試合では1回戦から強豪校とあたってしまい負けてしまいました。
しかし、最後の試合では2年半続けて培ってきたことを全て出せてとてもやりきった思いでいっぱいでした。
とてもすがすがしかったです。
中学1、2年のみなさんは残りの時間を最後にやりきったと思えるように、精一杯頑張ってください!!
3年生のみなさんは、これからの半年弱の間、勉強を頑張って自分の行きたい高校に行き、
また高校で素晴らしいクラブ生活を送ってください!!
わくわくパワー
ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
講習会中は行けなかった教室もあったので久しぶりに皆の顔が見れると思っていた矢先の台風です。
う〜ん、残念。
今日は不思議と穏やかですが、昨日は窓の外で唸りをあげる風の音に少し怖さを感じました。
そして「星くずの村」のある小豆島はまさに直撃なので随分と心配です。
来週末には実験学校があるので、大きな被害が出ていないことをただ祈るばかり。
今でこそこうして台風がやってくると恐ろしさを感じたり心配をしたりしますが、子どものときってそうではないですよね。
小学生の頃なんかは、むしろ台風がやってくることがわかるとワクワクしていました。
時間ごとに強くなっていく風を感じては妙に気持ちが高揚していたものです。
今思えばそれは、台風の本当の恐ろしさを知らなかったからであり、そしていざというときには必ず自分守ってくれる人がいるという安心感があったからなのでしょう。
ということを今朝考えていたら、脳科学者の茂木健一郎さんがTwitterでこんなことを書かれていた。
「なぜ、私たちは台風が近づくとわくわくするのだろうか。それは一つの適応であると考えられる。何が起こるかわからないという「偶有性」に向き合い、柔軟に対応するためには、いたずらに怖がっていたり、不安を感じていてはならない。「フリーズ」しては、臨機応変に動けない。
台風はもちろん危険なものであるが、だからこそ、わくわくすることで、脳はその潜在能力を最大限に発揮できる。わくわくは、偶有性への適応戦略である。子どもの頃、「大型で強い台風」と聞いて胸がわくわくしていたのは、そんな理由があったのである。」
なるほど。
危険に対して最高のパフォーマンスを発揮するためにワクワクする。
そうなのかもしれないですね。
そう言われてみれば、「うまくいってる人」を見たり、その人の話を聞いていると多くの人に共通していることがあります。
それは、
大変な状況におかれている場合、むしろワクワクしてその状況を楽しんでいる
ということ。
そして、見事その状況を乗り越えていくのです。
茂木さん流に考えれば、ワクワクしているからこそ力が発揮されて危機的状況を乗り越えることができたということですね。
困ったときにはとりあえずニカッと笑ってみようかな。
世の中は楽しんだ者勝ち。
逆らわないで いられるか

こんにちは
CY ( コンパクト ヨコヤマ ) です
また 台風が近づいてきた
“”自然”” について考えてみる
地球そのものが 自然・・・ 宇宙そのものが 自然・・・
ヒトが自然に逆らう・・・ なんてことは あり得ない
ヒトも自然の一部 ほんの一部
中国の 老子が言った
『からだの中で 一番強い部分はどこじゃ?』
老子の答は 『骨でもなく 歯でもなく それは 舌・・・』
老いれば 骨はスカスカに 歯もなくなっていく
しかし 舌は 堅くもなく ただ柔らかいのみ
しかし 舌は 死ぬまで 身体に残っている その形さえ崩すことなく
逆らわないで いられるか
後ろ向きでも 無気力でもなく 真剣に生を 『いきる』ため
では また金曜日に・・・
たこ焼き
森山’s Honey Bucket 94
今の僕の体型からは想像すらできない話だが、
小・中・高時代の僕は痩せギスだった。
もとよりチビだったので、やせっぽちの超チビ少年だった。
痩せギスの理由(これまた今の自分でも不思議だが)は、
「食すること」に一切関心がなく、むしろ「食」の時間が苦痛だったことだ。
母の作るカレーライスとオムライス…
そしてネギの入っていないきつねうどん、と、もう一つ…
が数少ない好物だった。
お寿司も特に喜ばず、お肉に至っては心底毛嫌いしていた。
そのもう一つの好物こそが、「たこ焼き」であった。(もちろん今も大好物)
昨夜の夕飯が家内自慢の「たこ焼き」だったので、ふと昔のことを思い出した。
銭湯「梅之湯」の並び、「本六地蔵様」の隣に、
僕が毎日のように通ったたこ焼き屋さんがあった。
姉妹らしいおばあさん二人が店を切り盛りしていた。
ぼくはどちらかと言えば、表面だけでなく中身にも火が通って全体が
カリカリになった「売れ残り」的なたこ焼きが好みだった。
まあよく繁盛している店だったので、
お目当ての「カリカリ」が当たることはめったになかったのだが…
ある日、珍しくぼく以外のお客さんがいなかった。
おばあさんは、普通のたこ焼きをのせた木の舟皿の横に
偶然にも僕の大好物のカリカリたこ焼きを
2つだったか3つだったかおまけでつけてくれた。
(毎日のように店に通ってくるぼくを、健気に思ってくれたのだろうか?)
そしておばあさんは、人差し指を1本、結んだくちびるの前に出して合図をした。
ぼくにはその合図に、「内緒だよ。」という意味が込められていることをよく理解できず、
ただ嬉しくて満面の笑みでお礼を言った…(そんな記憶がある。)
それからも何度かおばあさんはくちびるに人差し指をあてながら、
2つまたは3つとおまけのたこ焼きをプレゼントしてくれた。
ぼくはますますそのたこ焼き屋さんが、そしておばあさんたちが、好きになっていった。
その日も、湯気の上がる舟皿を手に、店の奥の座席に向かうと、
そこには同級生の子がすでにたこ焼きを頬張っていた。
別の壁際に大人の人が2人程いた気がする。
ぼくは居合わせた友だちに、
ここのたこ焼き屋さんがいかに素敵で、
おばあさんたちが優しい人であるかを伝えたい一心で、
「このお店の人はとても親切なんだ。
いつもおまけのたこ焼きをプレゼントしてくれるんだ。」
と話しかけた。
おばあさんたちへの感謝を示したい気持ちもあったので、
友だちだけに聞こえるのではなく、
おばあさんたちの耳にも届くほどの声を出していたのだろう…
ぼくがそんなことを言い終わるか否かのタイミングで
おばあさんの一人がぼくのそばに駆け寄ってきた。
そして、
「そんなことを言うもんではない!これから二度とおまけなんかしないからね!!」
と、厳しく叱られた。
その日のたこ焼きがどんな味だったか、全く覚えていない…
受けた親切に対して、自分なりに精一杯感謝を示したはずのぼくの行動が
おばあさんたちをあせらせ、おこらせてしまうことになった理由
(あの場面ではそうせざるを得なかった大人の事情)を、
ぼくは、相当年が過ぎてやっと解釈できるようになった。
でも当時のぼくは、その日を境にその店には行けなくなってしまった。
店の前を横切ることもできなくなった。
深く傷ついたのだ。
ぼくは長じて子どもたちを相手にする職業を選択した。
今も日々、子どもたちの前に立ち、横に座り、
話もし、ときには叱りつけもする。
思えば、ずいぶん怖ろしい仕事だ。
自分の立場からは正しいと信じて発する言葉や行動が、
知らず知らずに子どもたちを深く傷つけることになってはいまいか…
ときおり卒業生から
「あの時はひどく叱られた。」とか
「あんなに叱られた記憶は他にない。」とか
「先生の勉棒が一番きつかった。」とか
暴露され、
「そうやったかなあ?ほんまか?それは悪かった悪かった…」などと
赤面することがある。
しかし、こういった素敵なチャンスが与えられることはむしろ稀なことだ。
それぞれの子たちの心の機微やその真意を、どの瞬間にも感じ取り、理解する。
それは絶望的に不可能だ。
だとすると、子どもの心を深く傷つけずに済む方法とは?
たくさんの人のたくさんの価値観に触れ、共感できる自分(大人)であること。
自分の心を穏やかに保ち、キツキツ・カツカツで子どもに接しないこと。
だます子どもを悪人に仕立てる前に、
「あっ、またやられた。」と自分で自分を笑ってしまう…という心の持ち主が理想だ。
そして、やっぱり原点は
「子ども大好き」
それだけか!