藤原学園の『年中夢求』日記
〜今日も顔晴るみんなへ〜
GJT
●むこう向きのおっとせい その599
もうすぐ6月。
いつもなら夏の準備を始めだす頃だ。
しかしながら今年も桐蔭中学、育英西中学、岡山中学などの
外部合宿はまたまた実施できそうにない。
そんな中、桐蔭中学からは
学校で実験を実施してもらえないかとの打診を受け、
先日打ち合わせに行ってきた。
学校行事は全て中止になったが、
この実験だけは体験させてやりたいとのことだった。
先生方の強い熱意を感じた。
お話の後で施設を見せてもらったが、
何とかやれそうだ。
小豆島の自然の中での実験とは違って、
普段過ごしている学校内での実験なので、
生徒の気持ちも今までとは違うだろうけれど、
実験の楽しさを少しでも感じてもらいたいものだ。
また、育英西中学は、
去年は学校まで行って実験したが、
今年は、準備する我々への配慮と、
どこにも行けない生徒のモチベーションを上げたいということで、
学園の若江校での実施をお願いされた。
若江校は狭いけれど、これも何とかやれそうなので
お受けしようと思っている。
いずれも、この実験実習には高い評価を頂いていることが、
とてもありがたく、嬉しいことだ。
本来なら小豆島の大自然の中でのびのびと実験したいのだが、
このコロナの状況ではどうしようもない。
島での実習には届かないが、
出会った子どもたちの心に感動を与えられるように、
精一杯のことをやろうと思っている。
GJTは「学校で実験を楽しむ会」の略
実験を体験する子どもの輪を広げようと、
実験することを20年ほど前に、
学校に呼びかけたものだ。
ヒゲ先生のネーミングによる。
23日はヒゲ先生の誕生日だった。
生きていたら96歳。
いつまでも心の中では生きている。
ではまた。
もうすぐ6月。
いつもなら夏の準備を始めだす頃だ。
しかしながら今年も桐蔭中学、育英西中学、岡山中学などの
外部合宿はまたまた実施できそうにない。
そんな中、桐蔭中学からは
学校で実験を実施してもらえないかとの打診を受け、
先日打ち合わせに行ってきた。
学校行事は全て中止になったが、
この実験だけは体験させてやりたいとのことだった。
先生方の強い熱意を感じた。
お話の後で施設を見せてもらったが、
何とかやれそうだ。
小豆島の自然の中での実験とは違って、
普段過ごしている学校内での実験なので、
生徒の気持ちも今までとは違うだろうけれど、
実験の楽しさを少しでも感じてもらいたいものだ。
また、育英西中学は、
去年は学校まで行って実験したが、
今年は、準備する我々への配慮と、
どこにも行けない生徒のモチベーションを上げたいということで、
学園の若江校での実施をお願いされた。
若江校は狭いけれど、これも何とかやれそうなので
お受けしようと思っている。
いずれも、この実験実習には高い評価を頂いていることが、
とてもありがたく、嬉しいことだ。
本来なら小豆島の大自然の中でのびのびと実験したいのだが、
このコロナの状況ではどうしようもない。
島での実習には届かないが、
出会った子どもたちの心に感動を与えられるように、
精一杯のことをやろうと思っている。
GJTは「学校で実験を楽しむ会」の略
実験を体験する子どもの輪を広げようと、
実験することを20年ほど前に、
学校に呼びかけたものだ。
ヒゲ先生のネーミングによる。
23日はヒゲ先生の誕生日だった。
生きていたら96歳。
いつまでも心の中では生きている。
ではまた。
葉の緑を取り出す
●むこう向きのおっとせい その598
最近ブログの更新が遅れがちだ。
また規則正しく?更新しないと。
土曜日のジュニアサイエンスで小3・4 は
「葉の緑を取り出す」という実験をやった。
まずは植物と動物の違いは何だろうの問いから始めた。
そして光合成の説明をして、
植物はすごい能力をもっている。
でんぷんを作り酸素も作る。
人類は長い間その真似を出来なかったのだ。
我々ははとても恵まれていて、
蛇口をひねればきれいな水が出て、
お腹減ったと思えば食べ物がある。
でも世界には何億という人が食べ物がなく、
飢えて死んでいく子どもたちもいっぱいいる。
だから人工的に光合成のできる葉を作れたら、
多くの人たちを救うことが出来る。
もうすぐそれも実現できる。
という話をしたら、子どもたちは意外にも真剣に聞いていた。
そして葉の緑のところに、
その光合成をする葉緑体という工場がある。
今からそれを取り出してみようと話して実験開始。
いろんな葉を用意して、
すり鉢とすりこぎですりつぶし、
エタノールを入れてろ過し、フイルムケースに入れる。
単純な実験だが、
ろ過されて出てきた液はとてもきれいな緑で、
子どもたちは生き生きと取り組んだ。
特に赤い葉をすりつぶした時には、
すり鉢にある葉は赤いのに、
エタノールを入れてろ過すると、
やはり緑が出てくることに、
子どもたちは驚きの声を挙げていた。
授業の最後に
「植物の持つ力が分かったかな。
今度植物を見たら、
『君たちはすごいね』と声をかけてくださいね。」と言ったら
多くの子どもたちがうなずいていた。
こんなに素直に反応する子どもたちと時間を共有できることの幸せと、
間違ったことは言えないというちょっぴりの緊張感。
毎回のことだけど、
いつも子どもたちとの時間を通して、
多くのことをもらっていると実感する。
今日は中学2年生の実験がある。
小学生と違って、ちょっとひねてはいるが、
中身は小学生とたいして変わらない。
楽しく実験したいと思う。
ではまた。
最近ブログの更新が遅れがちだ。
また規則正しく?更新しないと。
土曜日のジュニアサイエンスで小3・4 は
「葉の緑を取り出す」という実験をやった。
まずは植物と動物の違いは何だろうの問いから始めた。
そして光合成の説明をして、
植物はすごい能力をもっている。
でんぷんを作り酸素も作る。
人類は長い間その真似を出来なかったのだ。
我々ははとても恵まれていて、
蛇口をひねればきれいな水が出て、
お腹減ったと思えば食べ物がある。
でも世界には何億という人が食べ物がなく、
飢えて死んでいく子どもたちもいっぱいいる。
だから人工的に光合成のできる葉を作れたら、
多くの人たちを救うことが出来る。
もうすぐそれも実現できる。
という話をしたら、子どもたちは意外にも真剣に聞いていた。
そして葉の緑のところに、
その光合成をする葉緑体という工場がある。
今からそれを取り出してみようと話して実験開始。
いろんな葉を用意して、
すり鉢とすりこぎですりつぶし、
エタノールを入れてろ過し、フイルムケースに入れる。
単純な実験だが、
ろ過されて出てきた液はとてもきれいな緑で、
子どもたちは生き生きと取り組んだ。
特に赤い葉をすりつぶした時には、
すり鉢にある葉は赤いのに、
エタノールを入れてろ過すると、
やはり緑が出てくることに、
子どもたちは驚きの声を挙げていた。
授業の最後に
「植物の持つ力が分かったかな。
今度植物を見たら、
『君たちはすごいね』と声をかけてくださいね。」と言ったら
多くの子どもたちがうなずいていた。
こんなに素直に反応する子どもたちと時間を共有できることの幸せと、
間違ったことは言えないというちょっぴりの緊張感。
毎回のことだけど、
いつも子どもたちとの時間を通して、
多くのことをもらっていると実感する。
今日は中学2年生の実験がある。
小学生と違って、ちょっとひねてはいるが、
中身は小学生とたいして変わらない。
楽しく実験したいと思う。
ではまた。
唄を忘れた金糸雀
●むこう向きのおっとせい その597
ブログの更新が大幅に遅れてしまった。
この間耳鼻咽喉科に行った。
声枯れが長い間続くので、ネットで調べてみたら、
声帯ポリープとか癌の可能性があるとか書いてあったので、
心配になって病院に行くことにしたのだ。
もし声が出なくなったら、
授業が出来なくなってしまう。
今の自分には、それは最もつらいことだ。
癌と言われたらどうしようと、
かなり不安だったが、
結果は、初めて聞いた「声帯結節」という症状だった。
学校の先生や歌手など、声帯をよく使う職業に多いらしい。
とりあえずは薬を飲んで、様子を見ることになった。
声帯をなくしたらどうしようと心配したが、
その可能性は低くなったので、ほっとした。
病院に行く前に頭に浮かんだのは
「歌を忘れたカナリア」という唄だった。
唄はよく覚えていなかったが、
「唄を忘れたカナリアは~♪」のフレーズだけは覚えている。
自分も「唄を忘れたカナリア」になるのかと思いつつ、
そのフレーズが頭を巡った。
今日薬を飲んだ後、
ネットで調べて聴いてみた。
歌詞を見てこんな唄だったのかと、
ちょっと驚いた。
唄を忘れたカナリアは後ろの山に棄(す)てましょか~
唄を忘れたカナリアは背戸(裏の戸)の小藪に埋(い)けましょか~
唄を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか~
その後には
「いえいえそれはなりませぬ」と否定はしているが
唄を忘れたカナリアに対してかなり酷い仕打ちだ。
唄の最後は
唄を忘れたカナリアは
象牙の船に銀の櫂(かい)
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄を思い出す
とある。
この「唄」は唄というだけでなく
それぞれにとっての「大切なもの」も意味しているかもしれない。
時に大切なものをなくしたり、なくしそうな時がある。
その時に象牙の船や銀の櫂が、
自分のあるべき姿を思い出させてくれる。
棄てられても仕方なかった自分にとっての象牙の船は、
目の前の子どもたちだった。そう思う。
薬を飲むのがほんとに下手糞なので
飲むのが億劫だけど、
元の声に戻るためにもしっかりと飲まなくては。
ではまた。
ブログの更新が大幅に遅れてしまった。
この間耳鼻咽喉科に行った。
声枯れが長い間続くので、ネットで調べてみたら、
声帯ポリープとか癌の可能性があるとか書いてあったので、
心配になって病院に行くことにしたのだ。
もし声が出なくなったら、
授業が出来なくなってしまう。
今の自分には、それは最もつらいことだ。
癌と言われたらどうしようと、
かなり不安だったが、
結果は、初めて聞いた「声帯結節」という症状だった。
学校の先生や歌手など、声帯をよく使う職業に多いらしい。
とりあえずは薬を飲んで、様子を見ることになった。
声帯をなくしたらどうしようと心配したが、
その可能性は低くなったので、ほっとした。
病院に行く前に頭に浮かんだのは
「歌を忘れたカナリア」という唄だった。
唄はよく覚えていなかったが、
「唄を忘れたカナリアは~♪」のフレーズだけは覚えている。
自分も「唄を忘れたカナリア」になるのかと思いつつ、
そのフレーズが頭を巡った。
今日薬を飲んだ後、
ネットで調べて聴いてみた。
歌詞を見てこんな唄だったのかと、
ちょっと驚いた。
唄を忘れたカナリアは後ろの山に棄(す)てましょか~
唄を忘れたカナリアは背戸(裏の戸)の小藪に埋(い)けましょか~
唄を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか~
その後には
「いえいえそれはなりませぬ」と否定はしているが
唄を忘れたカナリアに対してかなり酷い仕打ちだ。
唄の最後は
唄を忘れたカナリアは
象牙の船に銀の櫂(かい)
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄を思い出す
とある。
この「唄」は唄というだけでなく
それぞれにとっての「大切なもの」も意味しているかもしれない。
時に大切なものをなくしたり、なくしそうな時がある。
その時に象牙の船や銀の櫂が、
自分のあるべき姿を思い出させてくれる。
棄てられても仕方なかった自分にとっての象牙の船は、
目の前の子どもたちだった。そう思う。
薬を飲むのがほんとに下手糞なので
飲むのが億劫だけど、
元の声に戻るためにもしっかりと飲まなくては。
ではまた。