藤原学園の『年中夢求』日記

〜今日も顔晴るみんなへ〜

常識?

森山's Honey Bucket 346


小学1年生の秋の遠足。

行き先は枚岡公園。


僕はそこで自分史中「三大決闘」のひとつにあたる古川君との死闘を演ずることになる。


取っ組み合い引っ叩きあいそして泣きあった。


原因はドングリの取り合いだった。


見つけたドングリを巡り、互いが「ぼくのドングリや!」っと譲り合わなかった末の大げんかだった。



だいたいはこういうことだったのだろう…


素敵なドングリを見つけ「いいな!」と思った瞬間に、別の子にそのドングリを取られた。


「おまえがいま手に取ったドングリは、おまえが拾うより前にぼくが『いいな!』って見つけてたんや!」言い分はこんなことだろう。


理屈から言えば、先に拾った子の方が、ドングリを見つけたのも早かったはずである。


でも、この子からすれば、あくまでも自分が見つけたのもをおまえが後から横取りした…と言うことになる。
この子の中では正しい主張なのだ。


ぼくと古川くんのどっちがどっちだったのか、51年も前のことで思い出せない。


それぞれ譲ることのできない正義をかけた決闘だったわけだ。



人の「主観」とはそんなものだ。



幼い子どもに限ったことでなく大人だって、人は主観を元に善悪を判断する。


自分が正しいと信ずる立ち位置に固執すれば、必然的に相手が間違いという結論しか出て来ない。





「主観」が近隣の者の援護を受け、いつの間にか鎧をまとい大手を振って歩き始めると、その人にとっての「常識」が出来上がる。



ぼくは今まで幾度となく、「君の行動は常識が無い!」という言葉だけで生徒諸君を叱ってきたことがあった。

短期決着を目指すあまり、自分が正しいと信ずる「常識」を振りかざす一方、説明や指導が欠落していた。

正しい叱り方ではなかった…と今さらながら恥ずかしい。




何が常識で何が常識ではないのか…は人それぞれ千差万別なのだ。



良き指導者を目指すのならば、自分の考えを伝えると同時に、相手の持つ「主観」を確認し、ときに議論する覚悟も懐に持っておかねばならない。























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