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藤原学園の『年中夢求』日記

〜今日も顔晴るみんなへ〜

情報化社会とは

 情報化社会とは、ハード(情報機器)よりもソフト(情報内容)が重視される世の中のことだ。ソフト重視の世の中では、何よりも一人ひとりの人間が個性的であることが求められる。個性的といっても、なにもすべての人々が奇妙な振る舞いをしたり、一芸に秀でなければならないという意味ではない。これまでの日本人のような均質で画一的な生き方をするのではなく、それぞれが個人として自分なりの考え方や生き方を持つということだ。
 ところが、情報源をマスメディアだけに頼っていると、みんなが似たような知識の断片を共有することになる。その結果、どの人も同じような物の見方や考え方をするようになってしまうわけだ。ワイドショーでXさんのコメントを聞いた人はXさんの意見、新聞でYさんの解説を読んだ人はYさんの意見を、それぞれ、さも自分の意見であるかのように語っているだけ。これではいくら「情報」を集めているつもりでも「個」を確立することができずソフト重視の情報化社会に逆行することになる。
 本来、情報は各個人が自分独自の考え方や生き方を形成するための素材となるべきものだ。オーダーメイドの洋服をつくるための生地に当たるのが情報だといえばいいだろう。そうなって初めて、情報化社会は個性にあふれたものになる。
 世の中にあふれている情報に流されずに自分らしい考え方や生き方をつくり上げるためには、いったい何をどうすればいいのかと、途方に暮れる人もいるだろう。でも、情報がメディアの中にあるものだという先入観さえ捨てれば、これはそんなに難しい話ではない。もともと情報というのは公的(パブリック)な場所にあるものではなく、一人ひとりの人間が持っている私的(パーソナル)なものだと思う。
 だいたい情報という言葉に含まれている「情」という文字は、無味乾燥な客観性を意味するものではないだろう。情熱、感情、情念といった言葉と同様、「情報」にも人間らしい主観的な判断や感覚が必要なのだ。これは、明治、大正期の代表的作家である森鴎外がドイツ語から翻訳した言葉らしい。さすがは鴎外、最初から情報の本質を見抜いていたに違いない。
 したがって、主観的な情報、一人の人間の個人的な価値観や経験などによる偏った見方や物の考え方を含む情報こそ、本物の情報だといえる。極論すればテレビのキャスターのコメントではなく、近所のおばさんの世間話の中に情報はあるのだ。なかには偏見に満ちているものもあるだろうし、独善的なものもあるだろう。でも、拒絶する必要はない。それも一つの見方として受け入れて、参考にしていけばいい。自分の生き方や考え方を作るための素材にすべきなのは、そういう生々しい情報なのだ。
 これらの「情報」を与えてくれるのは、人間しかいない。つまり、自分なりの情報ネットワークをつくるということだ。そのため情報化社会では、ビジネスライクな人脈ではなく、生活レベルでの深いつながりが重要になってくる。
 いろいろなタイプの友だちがいれば、それだけ物の見方や考え方は幅広くなる。自分とは正反対の意見を持っている友だちもいれば、意外な角度からの視点を与えてくれる友だちもいるだろう。かけ離れている存在だがらこそ、つきあっていて面白いということもある。そのネットワークはマスメディアとはまったく違う個人的なネットワークだから、そこから得た素材によってつくり上げた意見や発想は、間違いなく自分独自のものになる。それが自分の個性だ。そして、友だちの数が多ければ多いほど、そこからつくり上げられた個性は豊かなものになる。
〈横澤彪「大人のための友だちのつくり方」より〉

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