藤原学園の『年中夢求』日記
〜今日も顔晴るみんなへ〜
生かされる
ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
「俺は自分一人でだって生きていける!」
過去を振り返ると、恥ずかしくもそんな風に思っていた時期があります。
さすがに最近そんなことを思うことはないですが、自分一人で出来ることだって少なからずあります。
ところが今現在の僕は、
「自分一人では何もできない!」
と胸を張って(?)言うことができます。
今週日曜日の夜に自分の不注意で怪我をしてしまいました。
大したことないだろうと思って眠りについた翌日、起きると歩くことはおろか、立ち上がることもできません。
両親に病院へ連れて行ってもらい、検査をすると骨折で即入院が決定。
人生、一寸先は闇とはよく言ったもの。
今はベッドの上で治療のため脚を牽引されながら絶対安静中です。
上半身は動かせますが、移動ができないのでほとんどの事ができません。
ご飯は運んできて、そして片付けてもらわないといけない。
手の届くところにない物はとってもらわないといけない。
頭は洗ってもらわないといけない。
歯を磨くための水をくんできてもらわないといけない。
etc...
もし一人にされたら一日たりともまともに生きていけない状況。
それでも僕は生きています。
なぜか?
一人じゃないからです。
僕ができない沢山のことを、代わりにしてくれる人たちがいるからです。
看護士さん、仲間たち、親戚、そして両親。
「生きている」のではなく「生かさせてもらってる」のだと強く感じます。
ただただ感謝しかありません。
考えてみれば普段の生活でもそうですね。
僕が川に水をくみに行ってろ過して…をしなくても蛇口をひねれば飲める水は出てきます。
僕が一生懸命発電機を回さなくても、スイッチをおせば明かりが灯ります。
僕が田んぼを耕さなくてもご飯は食べられるし、鶏を育てなくてもから揚げが食べられます。
全て一人でなんて到底できっこない。
誰かが代わりにやってくれてるんですよね。
見えないけれど。
ちゃんと感謝してたっけ?
と、ベッドに横たわる僕の頭の中をそんなことが巡っています。
生きるということは決して当たり前なことではなくとても大変なことだ。
だからこそ生きていることの素晴らしさを伝え合い、当たり前のことに感謝したい。
(栗城史多『NO LIMIT』より)
最後になりましたが、
学園生、特に僕の担当クラスの皆さん。
保護者の皆様。
学園のスタッフの皆さん。
僕の不注意のために沢山、たくさんご迷惑をおかけします。
本当にごめんなさい。
入院は少し長くなってしまいそうです。
身体は不自由な分、頭と心を鍛える時間にして、退院したらまた皆さんのお役にたちたいと思っています。
どうかお許し下さい。
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
「俺は自分一人でだって生きていける!」
過去を振り返ると、恥ずかしくもそんな風に思っていた時期があります。
さすがに最近そんなことを思うことはないですが、自分一人で出来ることだって少なからずあります。
ところが今現在の僕は、
「自分一人では何もできない!」
と胸を張って(?)言うことができます。
今週日曜日の夜に自分の不注意で怪我をしてしまいました。
大したことないだろうと思って眠りについた翌日、起きると歩くことはおろか、立ち上がることもできません。
両親に病院へ連れて行ってもらい、検査をすると骨折で即入院が決定。
人生、一寸先は闇とはよく言ったもの。
今はベッドの上で治療のため脚を牽引されながら絶対安静中です。
上半身は動かせますが、移動ができないのでほとんどの事ができません。
ご飯は運んできて、そして片付けてもらわないといけない。
手の届くところにない物はとってもらわないといけない。
頭は洗ってもらわないといけない。
歯を磨くための水をくんできてもらわないといけない。
etc...
もし一人にされたら一日たりともまともに生きていけない状況。
それでも僕は生きています。
なぜか?
一人じゃないからです。
僕ができない沢山のことを、代わりにしてくれる人たちがいるからです。
看護士さん、仲間たち、親戚、そして両親。
「生きている」のではなく「生かさせてもらってる」のだと強く感じます。
ただただ感謝しかありません。
考えてみれば普段の生活でもそうですね。
僕が川に水をくみに行ってろ過して…をしなくても蛇口をひねれば飲める水は出てきます。
僕が一生懸命発電機を回さなくても、スイッチをおせば明かりが灯ります。
僕が田んぼを耕さなくてもご飯は食べられるし、鶏を育てなくてもから揚げが食べられます。
全て一人でなんて到底できっこない。
誰かが代わりにやってくれてるんですよね。
見えないけれど。
ちゃんと感謝してたっけ?
と、ベッドに横たわる僕の頭の中をそんなことが巡っています。
生きるということは決して当たり前なことではなくとても大変なことだ。
だからこそ生きていることの素晴らしさを伝え合い、当たり前のことに感謝したい。
(栗城史多『NO LIMIT』より)
最後になりましたが、
学園生、特に僕の担当クラスの皆さん。
保護者の皆様。
学園のスタッフの皆さん。
僕の不注意のために沢山、たくさんご迷惑をおかけします。
本当にごめんなさい。
入院は少し長くなってしまいそうです。
身体は不自由な分、頭と心を鍛える時間にして、退院したらまた皆さんのお役にたちたいと思っています。
どうかお許し下さい。